第一話 リバスに変身
「えー、昨夜午前9時ごろ、ヨクアールホテルにて、男女の死体が発見されました。ホテルの従業員が不審な物音を聞き、駆けつけたところ、死体を発見したとのことです。部屋の窓には大きな穴があけられており、警察は事件の関連性について調査中とのことです……」
坊屋利英は自分が経営する喫茶店「シュバリエ」で、テレビを見ていた。客はほとんどおらず、従業員の川田美晴がウェイトレス姿で掃除をしている。
喫茶店は白いテーブルと椅子に、観葉植物などが置かれていた。落ち着ける雰囲気で、モーニングや昼などはにぎわっている。今は客足が途絶えただけだ。
「なんか物騒ですねぇ。ここ最近多くなってませんか?」
「そうかしら? 私にはどうでもいいわねぇ」
坊屋利英は40代に近い年齢である。短くした黒髪にどこか男勝りな印象があった。事実美晴は彼女のことをお頭と心の中で読んでいる。
美晴は大学生でバイトをしていた。金髪で活発そうだがどこか陰りがある。
「もうお頭ったら、もう少し世の中を見ないといけませんよ~。まあ、お頭の料理の腕は天下一品、サザンサザンですから、客足が遠のくことはないですけど」
「美晴。人をお頭呼ばわりするんじゃないよ!!」
利英が叱っていると、店の前でパトカーが止まっているのが見えた。何事かと思ったら、店内に男女が一組入ってきた。そのうち利英は男の方を見る。
「喜頓じゃないか!!」
「あっ、叔母さんおひさしぶりです」
大安喜頓は頭を下げた。その横で女性が利英に声をかける。
「大安喜頓くんの親戚ですね。私は警視庁の榎本健美と申します」
健美は懐から警察手帳を取り出した。利英は思わず恐縮し、美晴は口を開けて驚いていた。
「警察の方ですか? 喜頓が何かしでかしたのでしょうか?」
「いえ、とある事件を目撃していたので、参考までに事情聴取をしただけです。彼はあなたの家に行くつもりでしたが、旅費を落としたそうなのです」
「アンタって子は……」
利英は呆れていた。本来喜頓は両親を亡くし、唯一の肉親である叔母を頼りに来たのだ。
「違うよ! 俺は金を落としていない。困った人がいたからお金を全部上げたんだ!!」
喜頓は胸を張って言った。
「なんでも会社が倒産して一家心中しかけたそうだから、財布ごと上げたんだよ。いいことした後は気持ちがいいなぁ!!」
だが利英と美晴は呆れていた。明らかに騙されている。それもだれも騙されないような三文芝居に。
「だからといって全財産を人に渡すのはよくないな。これからは千円にしなさい。大抵人生は千円あれば事足りるからね」
「うん、わかった!!」
利英の言葉に喜頓は子供のように元気な声で答えた。傍にいた美晴はこの人はなんかすぐ詐欺に騙されそうだと心配そうである。
叔母の方は甥になれているのか、呆れつつも、指導しているようだ。
「ところでこの子は何の事件を目撃したのですか?」
「それは本人に聞いてください。私はこれで」
そう言って健美はすぐ店を出ていった。その様子に利英は喜頓の方を見る。
「あんた何を見たのさ」
「んー、殺人事件なのかな? 変な男がビルをヤモリみたいに上ってって、7階くらいにある窓を壊したんだ。数分経ったら再び出てきて、モモンガみたいに空を飛んで逃げたんだよ」
喜頓の話に美晴は怪訝な顔を浮かべていた。彼の話は荒唐無稽すぎるのである。
「……あの人、ものすごく呆れてませんでしたか?」
「ええ!? どうしてわかるんだい!! 君はエスパーなんだね!!」
無邪気に驚く喜頓に対し、美晴は残念な美形だとつぶやいた。だが利英は真剣な目で見ている。
甥は馬鹿正直すぎて、よくトラブルを起こしていた。だが嘘だけは絶対につかないことを、利英はよく知っている。甥は確実にそいつを見たのだ。
利英は甥に何か良くないことが起きると、確信していた。
☆
夜の公園、喜頓と美晴が歩いていた。喜頓はそのまま喫茶店で住み込みのバイトをすることとなった。健美が帰った後、店に客が大勢やってきた。みんな利英の料理が好きなのだ。
喜頓は慣れない接客業に悪戦苦闘していたが、持ち前の明るさに奥様方のファンをつけた。美晴にもファンがおり、店は繁盛していた。
店を閉めたころには日はどっぷり暮れていた。利英から美晴を送っていけと命じられ、喜頓は二つ返事で彼女と一緒に行く。
二人はあまり会話をしない。喜頓はむやみに人のことを聞くなと親から躾けられていた。美晴の方も初対面の男に心を開けなかった。仕事はできるが底抜けに明るい喜頓に対して、警戒していた。
「やあ、また会ったね」
目の前に一人の男が現れた。黒服を着ており、どこか死人のような感じがする。
昨日、ホテルのビルに上った男だ。
「あれ、あなたは昨日ホテルに上った人ですよね。俺に何か用ですか?」
喜頓の的外れの返事に、美晴の顔は青くなった。もしかしたら目の前の男は殺人犯かもしれないのだ。
「昨日、私を見たのに、君はまったく動じていない。一見純粋に見えるが、実に危険だ。人間の負の感情を浄化する力を持っている。なので君たちには死んでもらうよ」
すると男が光りだした。二人は目を閉じる。その後目を開くと目の前の男は、のっぺりした白い仮面をつけていた。全体的に白い衣装を着ている。背中には白い翼が生えていた。
『ははははは。私は天使だ。お前たちは汚らわしい悪魔たちを殺すための礎になってもらう。死ね!!』
さすがの喜頓も驚いていた。さすがは都会だなとピントのずれた思考をしていた。
だが美晴の方は違う。天使を名乗る者に対して、物おじしていない。
「まさか、天使と出会うとはね。しかも適合者と一緒なんだからついているわ!!」
美晴はポケットから何かペンのようなものを取り出した。
「喜頓君!! 君は天使と戦える才能があるの!! 私にはそれを目覚めさせる力がある!! さあこれを右のこめかみに突き刺して!!」
「なんだって!? いいよ!!」
喜頓は突然の申し出にも肯定し、ペンを受け取った。それを右手でこめかみに突き刺す。痛みはない。
体中に電流が走った気がした。
『ブレイン、プルプル、ピッカンコー!! あなたも、わたしも、くりゃりんこー!!』
思わず口走ったセリフの跡に、突き刺した跡が徐々に裏返っていった。
喜頓のすべてが裏返る。筋肉をむき出しにしたような形態で、目は白く濁っていた。だが口から白い息を吐き出している。そして吼えた。
「ウララララァ!!」
「よし!! 見事適合したわ!! あなたはリバス、裏返りのリバスよ!!」
すると美晴の体が光りだす。光が収まると、美晴の姿は変貌していた。銀髪にヤギのような角が生えていた。金色の瞳に、皮膚は褐色になり、身体がぴっちりした黒いレオタードを着ている。背中には蝙蝠のつばさと黒い細長いしっぽが生えていた。
天使はそれを見て驚いている。
『まさか、悪魔もいたとはな!! だが生まれたてなら、楽に殺せるに決まっている!!』
天使は空を飛んだ。そしてリバスに急降下する。
しかしリバスはかわそうとせず、逆に天使に抱き着いた。そして足で挟み、両手で頬を優しくなでる。
天使はリバスに抱き着かれたまま、天へ上った。すると天使の頭部とあごから水晶のようなものが突き出た。
それは天使の血液であり、リバスが優しくなでたことで、頭部の血液が凍結され膨張し、頭部とあごから突き出たのである。
リバスは身体が裏返っただけではない、因果も裏返っているのだ。
彼の体温は絶対零度になっている。口から吐く息は凍っていた。そして優しくなでられると、そこから凍結してしまうのである!!
これぞ優しく殺す効果!《キル・ミー・テンダー・エフェクト》!!
リバスの通常技である。
天使はそのまま墜落し、リバスは大の字になって墜落した。だが彼に衝撃はない。リバスは落下の衝撃もなかったことになるのだ。
天使はそのまま人間の姿に戻る。頭部とあごには凍った血液が突き出ていた。
リバスも元に戻る。だが美晴はまだ戻っていない。
「こっ、これはいったい!? 僕は人を殺してしまった!!」
喜頓は元の姿に戻ったが、目の前の惨状を見てパニックを起こしていた。
そこに美晴が喜頓の後頭部に右の人差し指を突き刺す。穴が開いて、そこから紫の煙が噴き出た。
すると喜頓は落ち着きを取り戻す。
「あれ、川田さんいつの間に着替えたの?」
「着替えてないわ。これが私の本当の姿。悪魔アスモデウスよ。私は自分たちを守るために、天使たちと戦っているの。正確にはあなたみたいにリバスになってもらうんだけどね」
「リバス? 悪魔って悪いことをする人なんだろ。なんで天使と戦うんだい?」
喜頓にとって悪魔は悪で、天使は善という認識がある。これは一般人なら誰でも思うだろう。しかしアスモデウスは首を横に振る。
「こいつら天使は私たちの敵よ。私たちを滅ぼすために人間を殺しているのよ」
なぜそんなことをするのか。喜頓が訊ねようとしたが、パトカーが数台やってきた。
中には榎本健美も混じっている。
「そこの男!! お前は何をしている!!」
健美が声を上げた。だが誰もアスモデウスのことは口にしない。彼らには彼女は見えていないのだ。
「!? あなた、ここで何をしているの!! それにこの死体は何!!」
喜頓は答えようとするが、健美はマシンガンのように早口でしゃべる。
「あなたを殺人容疑で逮捕します!!」
健美は喜頓に手錠をかけた。
坊屋利英:蒼月しずく。
川田美晴:綺羅めくる。
名前の由来は戦前に流行したあきれたぼういずの坊屋三郎と実弟の芝利英《》しば りえ、川田晴久がモデルです。芝利英はモーリス・シュバリエをもじったものだそうです。
なんでそんな名前にしたのか。自分でもわかりません。
大安喜頓のモデルである益田喜頓も同じ、あきれたぼういずにいました。