第13話 ルシファーの狙いは なんだろうね?
塀に囲まれた家の前で老婆が一人道路に水撒きをしていた。赤毛のパーマに赤縁眼鏡をかけている。筋肉隆々で赤いタンクトップとホットパンツを身に着けていた。一升樽には水がたっぷり入っており、バケツを片手に水を撒いているのだ。
家の前は空き地が広がっており、不動産会社の看板が立っている。
老婆の前に大勢の人間がやってきた。全員マスコミ関係のようだ。マイクやカメラを持って家の前を撮影している。そこでずる賢そうで眼鏡をかけたやせっぽちの中年男が老婆に声をかけた。マイクを持っているからレポーターなのだろう。
「おいばあさん。この辺りに大安喜一の家があるはずだ。どこにあるんだ?」
なんとも横柄な訊ね方だ。初対面に言う言葉ではない。老婆は男にバケツの水を頭からかぶせた。男はぬれねずみと化した。
「ぶはっ、ぺっぺっぺ!! ばばあ!! いきなり何しやがるんだ!! 俺は江来テレビのレポーター、根住宙助だぞ!!」
「ああ、すまないねぇ。歳のせいか目が悪くていけないや。で、あんた私になんか用かね?」
「ちっ、この辺りに殺人犯の家があるはずだ!! それとそいつには息子がいるんだ、どこにいったか教えろ!!」
根住は態度が大きい。老婆を完全に見下している。他のマスコミたちも彼女に喜一の息子、喜頓の居場所を教えろと迫った。息子にインタビューしたいのだろう。実際は警察の取り調べが始まったばかりであり、容疑者なのだが、彼らは喜一を殺人犯と決めつけていた。連日テレビでは被害者の家族が嘆き悲しみ、友人を殺された者が喜一を極刑にすべきだと声を張り上げていた。
なにせ犠牲者は日頃政治にケチをつける連中ばかりだ。テレビでは過激な発言が受ける。彼らはヒーローなのだ。そんな彼らが理不尽に殺された。スポンサーなどは格好の広告塔を潰され、犯人探しに躍起になっている。
都合がいいことに殺人犯には息子がおり、彼を責め立てることを目的としていた。現在SNSでは喜頓の同級生らが流出した彼の写真が拡散されている。全国では彼を殺人犯の息子として痛めつけ、自由にいじめていい存在として盛り上がっていたのだ。
「知らないねぇ。息子は両親が死んだあと、家を解体してどっか行っちまったよ。あいつがどうなろうが知ったこっちゃないねぇ」
「だからなんで知らないんだよ!! そいつは殺人鬼の息子なんだぞ!! 全国のお茶の間ではそいつのインタビューが訊きたくてたまらないんだ!! さっさと居場所を吐けよ!!」
根住の言葉に老婆はカチンときたのか、彼女は自前の筋肉を見せつけた。まるで巨大な壁である。そのまま押しつぶされそうな雰囲気であった。
マスコミたちは老婆の気迫に怯え、逃げ去っていったのだった。
「いいことを教えよう。大安喜一は2か月前に女房と一緒に交通事故で死んだらしいよ。多分逮捕されたのは騙りだね。とんだ無駄骨だよ」
老婆の凍えるような声にマスコミたちは悲鳴を上げ、こけながら走り去っていった。
老婆が鼻息を荒くすると、玄関から一人の女性が出てきた。小柄で赤毛のツインテールをしたそばかすが目立っている。18歳ほどだがぶかぶかの釣りズボンを穿いていた。
「ねぇばあちゃん。なんでうそついたのさ? 大安さんちは仲良しだったじゃん」
「冗談じゃないね。マスゴミどもに喜頓の居場所なんか死んでも教えるかい。ベッキー、あんたも口にするんじゃないよ」
「当然だよ。あんなくずどもを喜ばせるなんて、おてんとうさまが逆さになってもあり得ないよ」
どうやら二人は孫娘と祖母の間柄らしい。大安家は家族ぐるみで付き合っていた。喜頓は嘘をつかない難儀な性格だが、二人とも喜頓が大好きだった。彼の両親が亡くなったときは、二人だけでなく近所の人間も葬式を手伝い、家の処分にも手を貸していたのだ。
他のマスコミたちは別の家から喜頓の居場所を聞くが、知らぬ存ぜぬで通していた。マスコミを忌み嫌っているのだ。
「でもおかしいんだよね。SNSでは喜頓の顔写真が拡散されているけど、誰も見つけられていないみたい」
「うまく隠れているんじゃないのか? あいつは抜けているように見えて、抜け目がないからね」
「喫茶店で働いているって、メールをよこしてくれたよ。人と接する機会が多いのに、喜頓を探せないなんておかしいよね」
ベッキーは疑問を口にした。現在は写真壱枚で居場所を特定できる時代だ。個人を見つけるなど造作もないはずである。それなのにいまだ喜頓を探せないのはおかしいと思った。
「見つからないならいいじゃないか。自分と関係ないくせに、他人を傷つけるクズを喜ばすことはない」
「まあ、その通りなんだけどね」
祖母と孫娘は互いに笑いあった。
☆
『えー、根住です。容疑者の息子は依然として発見できておりません。我々は殺人犯の息子にインタビューをする権利があります。どうか視聴者の皆様、この写真の人物を見かけたらこちらの電話番号か、メールで連絡をよこしてください』
喫茶店シュバリエの店内で、金髪の少年、大安喜頓とマスターであり40代の黒髪のショートヘアの叔母の坊屋利英がテレビを見ていた。
店内には客はいない。たまたま空いただけだ。朝はモーニングセットの客でごったがえしていたが、誰も喜頓の顔を見ても騒がない。スマホで喜頓の顔写真を見ていても、会計の時に気づくことは一切なかった。
「こいつら、肖像権を無視しているよね。まだ容疑者なのに、その息子の写真を勝手に公表しているもの。まあ、訴えても無視するでしょうね。マスコミはクズだから」
金髪のウェイトレスの女性が答えた。川田美晴である。彼女の正体は悪魔アスモデウスといい、喜頓をリバスに変身させるペンを所持していた。
「だけど誰も喜頓を見つけられない。どういうことだろうね。天使たちは何がしたいんだか」
これは利英であった。
二人は天使ワスレルの術で、誰にも認識できないでいた。喜頓の近所に住んでいたベッキーから電話がかかってきたとき、彼女は喜頓の声を聞いて、本人だと認識している。電話越しで声を聞くなら問題はないようだ。
しかし天使たちの意図がわからない。喜一の遺体に憑依したルシファーが、喜頓たちを苦しめるために殺人を犯したなら話は分かる。だが誰も喜頓を探すことはできない。何のためにこんなことをしたのか、さっぱり理解不能である。
入り口の扉が開いた。二十代くらいの黒髪の男だ。どこか陰湿そうな雰囲気があり、着ている服はブランドものである。
「ひさしぶりだな。お前に会いたくなかったが、今日はお前に会わせたい方がいるんだよ」
警視庁の笠置静夫警視であった。彼は天使と悪魔が見える人間であった。
天使が起こす事件は彼が担当しており、後処理も彼の仕事だという。
「笠置さん、本当に俺が嫌いなんですね。そんなに素人が警察の仕事に首を突っ込むのが嫌なんですか?」
喜頓が訊ねた。なぜこのようなことを聞くのだろうか。だが笠置は冷静なままであった。
「お前、心が読めても口にするな。普通の人間はそれだけでお前を化け物扱いするぞ。お前に会わせたいのはこのお方だ」
店に入ってきたのは黒い西洋甲冑を着た男であった。がしゃんがしゃんと音を立てている。
店の外では黒い馬がいた。彼が乗ってきたようである。野次馬が馬を見物して集まっていた。
男はカウンター席に座る。そして兜を脱いだ。60代の中年親父が現れた。
「初めまして現役のリバス君。私は先代リバスの水谷主水と申します」
水谷が頭を下げた。喜頓もリバスの先輩が訪問したことに驚きを隠せなかった。
「あんたの知り合い?」
「違うよおかしら。たぶん他の悪魔が担当してますね」
利英が美晴に訊ねた。悪魔といっても彼女はすべてのことを知っているわけではないのだ。
「大事なことが抜けていますよ。あなたは警視総監ではないですか」
「あっ、そうだっけ? いーじゃん、今の僕はどこにでもいるおっちゃんだよ?」
笠置が注意した。警視総監と言えば警視庁で一番偉い人である。さすがの利英も目を丸くした。
しかし彼がリバスだったとは驚きだ。だが警察署長級で天使の案件を知っているということは、リバス関係者でなければ無理だ。
それにやたらと気さくである。とてもトップの人間とは思えなかった。美晴もたじたじである。
「おっ、利英さんは早く注文してほしいようだね。クリームソーダをお願いするよ」
利英は眉を顰め、水谷をにらんだ。なにか思うところがあるようだ。
「……あなたは人の心が読めるようですね。まるで喜頓のように。もしかしてリバスに変身すると人の心が読めるようになるのですか?」
利英はクリームソーダを作りながら、訊ねた。すると水谷は満面の笑みを浮かべ、両手の人差し指を、利英に突き出す。
「正解で~す。リバスはこの世の理から外れるからね。変身するたびに人間の性質が裏返っていくんだよ。恐らく徐々に聴覚が低下するけど、代わりに人の心が読めるようになる。視力が停止すればレントゲンのように人間の体や建物が透けて見えるようになるのさ。実のところ僕は盲聾啞の三重苦なんだよね。でも君たちの姿や声はきちんと聴こえるよ。本だってインクの香りを嗅げば読めるし、パソコンだって問題なく扱える。電話も空気の振動を感じ取れば通話も可能だしね」
水谷はけらけら笑うが、さすがの喜頓も怖いと思った。水谷は一種の怪物だ。通常でもリバスと同じなのである。
「なによそれ。美晴はそれを知ってて喜頓を巻き込んだの!!」
「おかしらごめん!! でもリバスになれる人間は普通の精神構造じゃないの!! 例え三重苦になっても喜頓なら努力すればいいと思っているわ!!」
「だからといって喜頓の人生をめちゃくちゃにしていいわけじゃないでしょうが!!」
利英は怒っていた。喜頓はこの世で唯一の肉親なのだ。亡き姉が残した一粒種である。
「いや、美晴さんの言う通りだ。耳が悪くなれば聴こえるように努力すればいいんだ!!」
「あなたは黙ってなさい!!」
喜頓の言葉に利英は烈火のごとく怒った。
すると笠置は咳払いをした。話を続けたいらしい。クリームソーダはすでに完成しており、カウンターに置かれた。水谷は嬉しそうにバニラアイスを頬張る。まるで子供だ。
「さて今大安喜一は殺人犯の容疑者として逮捕されている。だが天使ルシファーの狙いは世間を騒がすことじゃない。奴の狙いはもっとえげつないことなんだよ」
水谷の目は細くなった。真剣な話のようである。
おばあさん:横川尚美。演歌の女帝。弟子の美咲繋がりで出演した。
ベッキー:レベッカ・チェン。中国人と日本人のハーフラッパー。美咲の事務所セイレーン所属。
根住宙助:吉良吾輝。嫌味な演技が得意な俳優。楽屋でも嫌味で嫌われているが、尚美の筋肉には何も言い返せないほどの小物。




