第10章 頭の整理が 追いつかないよ
昼下がりの、とあるボロアパートの一室。中古の黒いソファーにガラス張りのテーブルが置いてある。
ソファーには金髪の男が座っていた。40代だが美形である。黒いフードコートを着ていた。
テーブルの上にはコンビニで購入したおにぎりやサンドイッチ、ペットボトルのお茶などが並べてあった。金髪の男はもしゃもしゃと食べている。
男の向かいにも、別の男が座っている。年は40くらいで、160センチと小柄だがどこか迫力があった。
「コンビニの食いもん、そんなにうまいのかよ?」
「うん、うまいぞ。腐った魂を嗅ぐよりずっといい」
「言えてるな!! 実は俺も好きだぜ」
そう言って男はおにぎりを食べ始めた。男の背後には50代の男が立っている。天使ワスレルだ。
「ワスレル、お前も食べろや」
「いえ、私は遠慮します」
「立場なんか気にするなよ。俺たちは対等だぜ」
ワスレルは勧められても、首を横に振って断った。金髪の男はどこからかウィスキーの瓶を取り出し、ラッパ飲みをした。
「おいおい、昼間から酒を飲むのかよ」
「別に酔わないから平気だよ。ウィスキーの味が好きなんだ。前の持ち主の趣向だろうね」
男が呆れていると、金髪の男は人ごとのように答えていた。
天使は死体に憑依する。それも生前に未練があるものがほとんどだ。
彼ら三人は天使だ。金髪の男は天使ルシファーである。本来天使に食事は必要ないのだが、栄養というより食感が気に入るものが多い。天使は死んだ人間から抜け出る魂を食料としている。ただエネルギーとして同化する行為であり、食事をしているという感覚はない。
人間に憑依した天使は人間の食事に感動することが多いのだ。
「ワスレル。作業の方はどうなっている?」
ルシファーはサンドイッチを食べながら訊ねた。
「順調です。クズ人間どもは自分が忘れられると死にたくなるほどの衝撃を受けるようですね。人を傷つける人間は、他者に傷つけられると大ダメージを受けるようです」
「なるほどな。さぞかし上質な腐魂弾が生成できただろう」
「はい。相当の数が出来上がりました」
ワスレルの報告にルシファーは満足そうであった。腐魂弾は悪魔を殺せる武器だ。だが悪魔は数十万以上いる。天使はしらみつぶしに悪魔たちを殺して回るつもりなのだろうか。
「恐らくミカエルたちは疑問を抱くだろうぜ。俺たちが草の根運動で、悪魔を見殺しにできるかってな」
「アヤツル様のおっしゃる通りです。ですが真実に気づくのは時間の問題でしょう」
アヤツルの疑問をワスレルが答えた。彼らも一人ずつ悪魔を殺して回るなど非効率だと思っている。いったい彼らは何をするつもりなのだろうか。
「それはいいんだ。問題はアヤツル、お前だよ。いいや、俺の問題もあるか」
ルシファーはデザートのプリンを食べ始めた。
「まったくだな。俺たちは憑依した人間の記憶をそっくりいただいている。なんでこの死体を選んだのか理解できないぜ」
「いや、すべては必然だと思います。悪魔と天使は表裏一体。どちらかが生き残ることはできないのです」
アヤツルの言葉に、ワスレルが答えた。ルシファーとアヤツルは重い顔になる。
「避けて通れない問題だ。まずは俺が赴く。俺があいつらを殺すよ」
アヤツルが立ち上がった。その悲壮な面持ちである。
「そうだワスレル。冷蔵庫にアイスがあるから食えよ」
「いただきます」
アヤツルが外に出る前に、ワスレルに声をかけた。ワスレルは頭を下げる。
☆
ここは喫茶店シュバリエ。店主の坊屋利英は厨房に立っている。30代で黒髪のショートカットの女性だ。どこか憂いがある。
カウンター席には大安喜頓が座っていた。金髪の18歳くらいの少年である。
その左側に、黒髪で褐色肌の女性が座っていた。黒いスーツを着ている。榎本健美といい、警視庁所属の巡査部長だ。所謂刑事と呼ばれている。
「まったく最近は大忙しですよ。天使がらみの殺人事件が多発して、休む暇もありませんね」
そう言って健美はカウンターに置いてあるモーニングセットを口にした。ハムエッグにトースト、サラダにコーヒー付きである。
実は最近、健美はシュバリエに通っていた。モーニングセットがおいしかったためである。
「世間的には集団自殺らしいじゃない。毎日テレビで騒いでいるわよ」
「そうなんですよ。こちらは犯人の目星がついてますが、人間の法律ではさばかれません。さらに死亡した人たちには世間の影響力が強い人がいて、陰暴論を唱える人が多くて困ってます」
健美はため息をついた。当初は弱音を吐く女性ではなかったが、天使が巻き起こす事件で精神は疲労していった。
ちなみにウェイトレスの川田美晴は午後から来る。
「まあ、天使なんて普通の人は信じませんからね。頭がおかしいと思われるのが落ちです」
喜頓がいうと、健美は驚いた顔になった。
「俺は親父から嘘をつくなとは言われましたが、世間の常識は叩き込まれましたよ。オカルトを信じる人間は基本的に馬鹿だから関わるなとも教えられました」
「あー、それは納得ね」
喜頓の言葉に利英は納得した。喜頓の父親は息子に対して根性論を教えたわけではない。正直に世の中をうまく渡る方法を教えたのだ。
「利英さんはおひとりなのでしょうか?」
健美が何気なく聞いた。深く考えたわけではない。頭がつかれていたのでふと口が滑った程度だ」
「そうですよ。うちの別れた旦那はギャンブル狂でしてね。自分の給料を競馬につぎ込んでは溶かしてました」
利英はため息をついた。あまり多く語りたくないだろうと、健美は思った。
入り口のドアが開く。店内に一人の男が入ってきた。利英は男を見て驚愕した。
「あっ、あんた!!」
「おばさん、知り合いなの?」
喜頓が訊ねると、利英は重い口を開いた。
「芝三郎。うちの別れた旦那だよ」
男は小柄でへらへら笑っている。赤いチェックのシャツに紺色のジーンズを穿いていた。
「へっへっへ。利英ちゃんひさしぶりだね。悪いけど金を貸してほしいんだ」
「お金、ですって?」
「そうだよ。今度固いレースがあるんだ。それに全財産をつぎ込めば、俺は億万長者になれるんだよ。お前にも分け前をやるから、貯金通帳を今すぐ全部俺にくれ」
三郎はにやにや笑いながら、利英に金を要求した。健美はギャンブル狂だなと呆れていたが、利英は三郎をにらみつけていた。
「あんただれよ? もしかして中身は天使かしら?」
「……。なぜわかった?」
三郎の目は冷たくなった。まるで周囲が冬になったように冷え込む。
「うちの人はね。自分の給料はつぎ込んでも、私の金には一切手を付けなかったわ。結婚記念日で自分の給料を競馬でスッテも私とのプレゼントと食事の分だけは残していた。この店も万馬券で大金を得た後、持っていたら自分で使い果たすからといって、私に離婚届とともに、金を置いていったのよ。通帳を要求するなんてありえないわ」
利英の言葉に三郎は笑い出した。両手を上げて、人差し指を立てると、利英と喜頓の心臓部分に突き立てた。すると黒い炎が立ち上がる。心臓をわしづかみにされた気分になった。
「さすがは元妻だね。すぐに疑問に気づくとはな。俺の名前は天使アヤツル。お前さんたちを殺しに来た」
「ちょっと待て!! 殺したいのはリバスになれる俺だろう!! なんで叔母さんを巻き込むんだ!!」
喜頓は激怒した。自分が死ぬのは構わないが、無関係な叔母が巻き込まれることはよしとしない。
三郎ことアヤツルの目は真剣であった。
「お前ら二人は死ななくてはならない。特に喜頓、お前は何も知らずに死んだほうがいいのだ」
「……私が巻き込まれて、喜頓を責めると思っているの? だとしたら大間違いね」
「そうだ!! 叔母さんはなんで子供の俺が殺されなきゃいけないんだと怒っているぞ!!」
喜頓の言葉に利英は目を丸くした。心を読まれたからだ。彼女は事件に巻き込まれる覚悟をしていたが、甥の喜頓を深く思っていた。
「あ~あ、後遺症が出始めたか。まあいい、殺すと言っても俺と賭けをして勝てばいいんだ。負ければお前らは助かり、俺は死ぬ。こいつはあんたらをできるだけ安らかに殺すための行為なんだ」
アヤツルは頭をポリポリかくと、カウンター席に座る。健美は何もできず呆然としていた。
「ああ、刑事さんか? 俺を殺しても術は解けないよ。そもそもこの状態でもリバス以外に殺せないからね」
アヤツルがすごみをきかせた。まるでライオンににらまれている気分になる。
喜頓の顔は鬼のように怒っていた。すぐにでもかみつきそうである。
「賭けは簡単だよ。店に入ってくるのが男か女を選ぶだけだ。複数入ってきても先頭だけ判定する。それを三回繰り返すだけだ。負けた相手は安楽死する設定だよ。簡単だろう?」
「なっ、そんなくだらないことで、人の生死を決めるのですか!! 頭がおかしいです!!」
「じゃあ、ポーカーか、麻雀にするか? ルールが複雑だし時間もかかるだろう? 人生は想定通りに動かないのが常なんだよ。俺がこいつの体に憑依したのも、別れた女房が忘れられないためさ」
健美の問いに、アヤツルはけんもほろろであった。
利英の顔が曇る。天使は死人に憑依すると言うが、元夫の三郎は死んだということなのだろう。利英の目から一筋の涙が流れた。亡くなった夫を思ってのことだろう。
「さてゲームを始めようぜ」
ルシファー:伊達賢治
芝三郎・アヤツル:江川傑
アヤツルの賭けは岸辺露伴は動かないの懺悔室を意識しています。
単純な賭けほど、わかりやすいですからね。
芝三郎はあきれたぼういずの芝利英と坊屋三郎をかけたものです。




