第9話 グロ注意
夜の公園を、大安喜頓と川田美晴、そして山茶花玖子が歩いていた。美晴が喜頓の右側を、玖子が左側を挟むようにしている。
太陽はすっかり沈んでおり、ビルの灯が星のように見えた。周りは街頭の光で照らされており、生暖かい風が吹いている。
「ふぅ。今日もよく働いたなぁ!!」
喜頓は両手を天に伸ばした。喫茶店の仕事は重労働だが、喜頓は真面目にこなした。
「今日はなんか勘が鋭かったな。お客様の注文を聞いた時、お客様が間違って注文したことに気づけたんだよ」
「そう、それはよかったわね」
喜頓は興奮しているが、美晴は冷めた目で見ていた。玖子は病院の勤務が終わり、一緒に帰宅したのである。
「でもお客様はなんかひそひそ話をしていたな。俺が気持ち悪いって。俺の顔ってそうなのかな?」
「たぶん、別の意味で言ったと思いますよ」
玖子が言った。彼女も浮かない表情を浮かべている。
「喜頓、あんたはリバスに変身した後遺症が出ているのよ」
「後遺症って?」
「やぁ」
喜頓が美晴に尋ねようとしたら、前方に男が立っていた。中年男性でどこかすごみがある。
「大安喜頓君だね? 私は天使ワスレル、君を殺しに来たよ」
「おお、わざわざ会いに来てくれたんだ!! ありがとうございます!!」
喜頓は頭を下げて礼を言った。美晴は呆然としている。
「何よあいつ。人に幻術を見せる力を持っているのに、堂々と出てくるなんて信じられない!!」
「あいつはああいう性質なのですよ。人に幻覚を見せるのは腐魂弾を効率よく製造したいだけです。本人は割と武闘派なんですよ」
玖子が説明した。彼女の中身は天使長ミカエルであり、天使たちに事情に詳しいのだろう。
「でも3体になるな。ちょっと卑怯かも」
喜頓は敵を前にしながら、頓珍漢なことを言っていた。ワスレルは喜劇を見たように笑っている。
「おいおい、そこの悪魔は天使と戦えないから、お前さんをリバスにしたんじゃないか。ちなみに天使長も戦えないよ。受肉した天使同士は触れると爆発しちまうからな」
ワスレルは説明した。今のように人間の姿なら触っても問題ないが、天使の状態だと触れただけで爆発するのだ。天使同士が争えないように神が細工したのである。受肉していない天使同士なら触れても平気だ。
「よくわからないけど、リバスに変身だ!! こないだ玖子さんとやったから、今日は美晴さんにお願いします!!」
「誤解されるいい方はやめてよね!!」
美晴はそう言いつつも悪魔に変身した。褐色肌に黒くきわどいレオタードを着ている。ヤギのような角に、蝙蝠の羽、悪魔のしっぽが出てきた。
そして手から髑髏のペンを取り出す。これは天使から取り出した頭蓋骨と舌で作られたものだ。
リバスの変身に必要なアイテムを、悪魔に渡したのである。
喜頓は髑髏のペンを右のこめかみに突き刺した。
「ブレイン、プルプル、ピッカンコー!! あなたも、わたしも、くりゃりんこー!!」
ペンはこめかみの中へ入っていった。そこから喜頓の身体が裏返っていくのである。
人体模型のような姿になり、目は白く濁っている。吐く息は氷のように冷たい。
今この瞬間、リバスは人間の目に映らなくなったのだ。彼は身体だけでなく、世の理からも裏返ったのである!!
「るぅぅぅぅらぁぁぁぁぁぁ!!」
リバスは吼えた。彼の五感はすべて裏返っている。目も見えないし、耳も聞こえない。匂いすら嗅げないのだ。だが彼は直感で物を見ている。爬虫類などが持っているピット器官のようなものだ。
相手の体温を読み取り、攻撃を仕掛けるのである。もちろん天使と悪魔の温度差は違う。
天使は青く、悪魔は赤いのだ。人間の温度はわからない。戦う意味がないからだ。
「では、俺も行くぞ!!」
ワスレルの体が光った。全身は白いが、鶏のとさかのようなものが生えている。口元も嘴で鶏のようだ。手は鳥の趾のように鋭い。背中には翼が生えていた。
ワスレルはリバスに近寄った。そして人差し指と中指を立てて、リバスの右手にしっぺをした。
激痛は走らない。リバスにとって暴力は癒しに過ぎない。例え目をナイフでえぐられてもすぐに再生するだろうし、腕や足を切断されても、すぐにくっつくことができる。
しかし健康的な状態でリバスを癒すのは問題があった。リバスの右手はかゆくなる。治癒の力が働いたためだ。
するとワスレルはリバスの背後に回った。リバスはかゆい手をぺしぺしと叩いている。何が起きたのだろうか。
ワスレルはリバスの肩をもみもみと揉んだ。すると両肩から煙が立ち上がり、リバスの腕はもげた。
「るるるるるるるるるぅらぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
リバスは絶叫を上げた。後ろを振り返ってもワスレルはいない。
いや、すでに背後に回っており、リバスの太ももを揉んだのだ。
するとふとももから煙が上がり、リバスの両足がもげた。
リバスは芋虫のように地面に転がった。
「うわぁぁぁ!! グロい、グロいよ、グロすぎる!!」
美晴は絶叫を上げた。悪魔でもスプラッターなシーンは嫌いなのだ。
「悪魔のあなたがうろたえてどうするのです。リバスは四肢がもがれたくらいで倒れませんよ」
玖子が言った。リバスはあおむけになり、ごろごろ転がった。
ワスレルはしゃがみ、リバスを撫でようとしたが、リバスはバッタのように高く飛んだ。
うつ伏せになり腹筋の力で、飛んだのだ。リバスにとって四肢切断は危機ではない。逆にチャンスとなるのだ。
リバスは天高く飛ぶと、肋骨を翼のように広げた。リバスは鳥のように飛ぶと、ワスレルめがけて突進した。
リバスはワスレルを忘れていない。今まで何が起きたかは理解していないが、ワスレルを一気に倒すことだけは本能で感じ取っていた。
そしてリバスはワスレルのほっぺにキスをした。するとキスされた部分が溶けだしていく。
リバスの優しい接吻は、天使の肉を溶かすのだ。
これでワスレルはおしまいかと思われた。
「困るなぁワスレル。お前が死んだら腐魂弾を作るの、面倒になるじゃないか」
それは一人の男だった。フードコートで、頭をすっぽり包んでおり、顔は見えない。ただ金髪がちらりと見えた。身長は164センチほどでどこか優男のように見える。
男はワスレルの溶けた頬に右手を当てると、べりっと引きはがした。ワスレルの頬はきれいになっている。
逆に男の右の手の平がドロドロに溶けていた。男はそれも引きはがし、地面に捨てる。それは煙を上げて消えていった。
「なっ、あんたは誰よ!!」
「天使ルシファーだよ」
美晴が叫ぶと、男はあっさりと自分の正体を明かした。
天使ルシファーは革新派のリーダーのはずだ。それが堂々と自分たちの前に現れるとはどういうことだろう?
玖子は四肢を失ったリバスの傷口に、木の枝を突き刺した。木の枝はやがてリバスの手足となり、再生したのだ。
玖子はルシファーを自称する男の方を見た。
「……ルシファー。相変わらずね」
「そうかな? こいつが死ぬと純度の高い腐魂弾が作れないんだよ。効率化を無視するわけはいかないだろう?」
玖子の問いにルシファーはどこか緊張感の抜けたしゃべりかたをしていた。この男が諸悪の根源と思えなかった。
「悪魔アスモデウス。今すぐこいつを首にして、別な奴をリバスにしろ。これは命令だ」
「はぁ? なんで私があんたの命令を聞かなきゃいけないのよ!!」
「俺が困るんだよ。俺はこいつと戦いたくないんだ。まったく人の気持ちがわからないから、男にモテないんだよ」
ルシファーは美晴の問いに答えるも、どこか自分勝手であった。悪魔でもルシファーの考えは理解できなかった。
ルシファーはリバスの方を向くと、くるりと背を向けた。ワスレルも後ろに続く。
彼らの姿は闇の中へ消えていった。
「なんなのよ。わけがわからないわね、あいつ」
「あの男はいつもああですよ。でも自分のことより他者を優先する性格なのです」
「あれでそうなの? 信じられないわね」
美晴と玖子が会話をしていると、リバスは喜頓の姿に戻った。地面の上に寝ている。
「四肢の再生には体力を使うわ。今日はこのまま目覚めないかもね」
「……こいつを私たちが運ばないといけないの?」
「私がタクシーを呼びますよ。どう見ても親子にしか見えないでしょう?」
玖子がスマホを取り出すと、タクシーを呼んだ。
「ただ喜頓さんを寝かせるのに手間がかかると思いますが、お願いしますね」
玖子が頭を下げると、美晴はやれやれとため息をついた。
ワスレル:弥生双伍。




