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特別編:愛の影は光の中

本編とは直接関係のない日常を描いた特別編です。

もしかしたらたまにこういった短編を掲載するかもしれません。

こちらはエドリックが裁判官を辞した後のお話となります。

 良く晴れた空から暑いくらいの日差しが差し込む午後、フローラはエミリアの友人であるアリスの家へと向かっていた。

 馬車の中で正面に座るエミリアの頭に、真新しい髪飾り。それは数日前にレオンから贈られたものだと聞いている。白銀細工の可愛らしい花に、レオンの瞳を思わせるような青いサファイアが輝いていた。


「その髪飾り、とても可愛らしいですわね。エミリア様によく似合っています」

「そうかしら? ありがとう、お義姉様。この間一緒に出掛けたときに、ちょっと見ていただけだったのに……レオンったら」


 そう話すエミリアは嬉しそうに見えた。彼女は婚約者であるレオンとは強く想いあっているし、素敵な贈り物は満更でもないのだろう。エミリアの表情を見ているだけで、フローラもなんだかその幸せをお裾分けしてもらった気分だ。

 ……よくよく考えれば、フローラはエドリックからこれと言った贈り物をしてもらった事がないかもしれない。結婚直後に注文してもらった植物図鑑以外に思い当たるものはなく……

 先日、何か欲しいものはないかと聞かれていた。フローラの誕生日が近いので、きっとその贈り物を考えてくれていたのだろう。

 しかしフローラは何もいらないと言った。エドリックと共に過ごせれば、あなたの時間をもらえれば十分だとそう言って。とは言ってもエミリアの嬉しそうな顔を見ると、自分も何か強請っておけばよかったかも……と、少しばかり思ったのは胸の内に秘めておこう。


 エミリアの友人であるアリスが住むブレドラ伯爵家には、フローラがエドリックに嫁いでから二回ほどお邪魔したことがあり今日で三度目である。

 レフィーンからやってきてまだ五か月のフローラには親しい友人と呼べる存在がおらず、こうしてエミリアと一緒にお茶に誘ってもらえるのは嬉しい事であった。


「いらっしゃいませ。エミリア、フローラ様」

「アリス、お邪魔するわ。誘ってくれてありがとう」

「お招きありがとうございます、アリス様」


 フローラがお茶の席に着いた時には、アリスの他にも数名の令嬢がいた。見知った顔もあれば、見知らぬ顔もある。初めての令嬢とは互いに自己紹介を、自分がエミリアの義姉であることを告げる。


「エドリック様の奥様でしたのね。エドリック様がご結婚された話は聞いていましたが、奥様にお会いできるとは思っていませんでしたわ。……エドリック様が裁判官をお辞めになったのは、奥様のためだと風の噂で聞きましたが」

「えぇ……皆様もご存じの通り、主人は『死神』なんて呼ばれていたそうですが……。兄弟分の極刑を逆恨みした男に、私誘拐されまして。今後も同じことが起こる可能性がある以上、裁判官は続けられないとそう仰られて」

「ゆ、誘拐ですか!? ご無事で良かったです。冷徹な死神と……エドリック様の事はそう思っておりましたが、噂の通り愛妻家でいらっしゃるのですね」

「そうなのよ。兄様ったら、お義姉様と結婚してからは以前とはまるで別人で」

「エミリア様、そんな風に言われると恥ずかしいですわ」

「あら、いいじゃない。ここにいるみんなきっと、兄様の事は怖い人だって思っているわ。その印象を払拭できるかもしれないわよ」


 エミリアはそう言って笑う。確かに、エドリックの印象を良くすることができるかもしれないが……フローラと結婚する前のエドリックの事を、フローラは当然知らない。

 だから彼がどんな風に変わったのかもわからない。もちろん、人づてに以前の彼の話は聞いているが。


「ところでフローラ様。先日、エドリック様が『ウィリス商会』にいるところを見かけましたわ」

「新しくウィリス商会と組んで商売を行うと言うことを聞いておりますが……何かございましたか?」

「ウィリス商会には、やり手の娘がいるのです。男性顔負けの洞察力と話力で、商売上手なお嬢さんらしいのですが……その方と話しながら、エドリック様が笑顔をお見せになっていて」

「……」

「私、目を疑いましたの。エドリック様があんな風に、女性と話をされて笑っているなんて。エドリック様が愛妻家なのはエミリアから聞いておりましたから、奥様には笑顔で接しているのでしょうけれど……他の女性にもあんな風に微笑みかけるなんて」


 主催者である、アリスがそう言う。エドリックはフローラの事を愛していると言ってくれるし、彼の言葉に嘘偽りのない事はわかっている。フローラに触れる手も優しく暖かく、彼の言動一つ一つからフローラへの愛情を感じるのだ。

 だが、それでも……彼が他の女性に笑顔を向けていると言う話はフローラから笑顔を奪った。猛烈に襲われる不安。毎晩囁かれる愛の言葉、二人だけの甘いひと時。その時に見せているような笑顔を、他の女性にも見せたのだろうか?

 男性の愛が一つだけではない事を、フローラは知っていた。男と言う生き物は、愛をたくさん持てる生き物なのだとそう教えられていたからだ。王族のような立場であれば側室を何人も抱えたりしているし、ある程度の地位と金がある男性は妻の他にも複数の女性を囲ったりするものだと。

 エドリックは魔術師で貴族男性だが、生粋の商売人でもある。商才のある女性に惹かれるのも、無理はないかもしれないなど……そんな考えが頭をよぎったのだ。


「商談が良い方向にまとまって、笑顔をみせただけじゃないのかしら。兄様がお義姉様以外の女性に下心をもって優しくするなんて、あり得ないわ。ねぇ、お義姉様」

「え、えぇ……そうですわね、エミリア様」


 エミリアはそう言ったが、フローラは胸がばくばくとしている。本当に何もないのか? それが気になって仕方がない。

 以前エミリアに不安を打ち明けた際『兄様の事を信じてあげて』と言われた。もちろん彼の愛を信じたいが、そう簡単ではない事は明白だ。

 エドリックのように、他人の心がわかるのであれば別かもしれない。心を覗いて、自分のほかに女性の影がない事を確かめられたら安心できるだろうが、そういう訳には行かない……


 その日フローラはその後のお茶を楽しめる訳がなく、だがエミリアもいるので一人先に屋敷に帰る訳にもいかず……周囲の令嬢たちが楽しそうに語る、婚約者との惚気話をただ一人静かに聞いていた。


「レオン様が髪飾りを買ったお店なんて、すっかり繁盛しているらしいのよ。『エクスタード家のレオン様が婚約者に贈った髪飾り』なんて触れて回ったせいで、同じ形の髪飾りが飛ぶように売れているとか。今エミリア様が付けている髪飾りが、噂の髪飾りですか?」

「確かにこの髪飾りは、数日前にレオンに買ってもらったものですけど……そんなことになっているんですか?」

「レオン様が贈ったものとなれば、同じものを欲しがる方が多いのでしょうね」


 そんな話をしているうちにお茶会はお開きになり、エミリアと共に馬車に乗りグランマージ家の屋敷へ戻るが……その道中でエミリアがフローラに尋ねる。


「お義姉様、大丈夫? 兄様の話を聞いた時から、あまり元気がないように見えたけれど」

「エミリア様……。私、また不安になってしまって」

「ウィリス商会のお嬢さんの事? 大丈夫よ、兄様に限ってお義姉様の事を裏切る訳ないじゃない」

「はい、わかっています。でも、エドリック様が女性と笑顔でお話をされていたなんて、下心がないとしてもなんだか苦しくて」


 それは知らない感情だった。だが『嫉妬』と言うやつなのだろうと、それはわかる。今まで感じていた不安は、ただ漠然としたものだった。だがそれがはっきりと形になって表れたのだ。

 エミリアはレオンが女性と話していても、こんな気持ちにはならないのだろうかと……そう思いながらエミリアの顔を見る。エミリアはフローラの気持ちを察したのか、眉を下げながら口を開いた。


「気持ちはわかるわよ。私だって、レオンが他の女性と親しくしていたらいい気はしないわ。でもレオンは私の事を、世界で一番大切にしてくれているってことを知ってるの。だから、嫉妬なんてするだけ無駄なのよ。それに私とレオンはまだ婚約者だけれど、お義姉様と兄様は夫婦じゃない。私とレオンよりも立場は強いんだから、気にしない方がいいわ」

「……そうですね。ありがとうございます、エミリア様」

「とは言っても、兄様には言うべきよ。ウィリス商会のお嬢さんとの話を聞いたって。それで嫌な気持ちになったって」

「そんな事は言えません。商売の邪魔をしてしまいます」

「だったら、私から……」

「いえ、良いのです。エドリック様には言わないでください。それに、エドリック様ならきっと……何も言わなくても私の気持ちはわかってくださると思いますから」


 フローラはそう、眉を下げながら微笑む。エミリアはこの件にそれ以上追及することはなく、馬車の中ではいつものような会話は続かなかった。

 屋敷に戻って気を紛らわせるために刺繍をしていれば、エドリックが帰宅したと知らせを受ける。いつものように玄関先まで出迎えれば、エドリックはフローラを見て優しく微笑んだ。


「お帰りなさいませ、エドリック様」

「あぁ。ただいま、フローラ」


 エドリックは上着を脱ぐと執事に渡し、それからフローラの横を食堂の方へと向かって歩く。エドリックが横切る際にフローラも身体を反転させ、エドリックの腕に自分の腕を絡めた。

 それはいつもの通りの、もうずいぶんと慣れた……すでに身体に染み付いた行動であったが、エドリックの顔を見て『こんなに素敵な方だもの、きっと女性だって放っておきません』と、そう思う。思わずエドリックの腕に添えた手に、ぎゅっと力が入った。


「フローラ? どうかしたかい?」

「……寂しかったのです。あなたのいない時間が」

「可愛い事を言うね。もしかして、何か欲しい物でもあるのかい?」

「欲しい物なんて、ありませんわ。煽てて何か贈り物を強請ろうだなんて、そんな事考えませんわよ。あなたが私だけを愛してくれていれば、それでいいのです」

「こんなに可愛らしい妻がいて、どうして他の女性に目を向ける事ができると思う? 安心して、君しか見てないよ」


 言いながらエドリックは目を細め、とびきり甘い笑顔を見せてくれた。その甘い笑顔に……彼に何度も抱かれて快感を覚えた身体が熱くなる。

 食事なんて食べなくてもいいから、今すぐに甘く囁かれながら抱かれたいと思ってしまう程、フローラはエドリックに毒されている。


(私ったら、なんてはしたない事を……!!)


 顔がかぁっと赤くなるのを感じれば、エドリックはふふっと笑った。きっとフローラがはしたない事を考えていたことがお見通しだったのだ。

 エドリックはフローラの耳元に顔を近づけ『それは後でね』と、甘くそう言って満足げな顔をする。


「も、もう……エドリック様ってば」


 こんなにも自分へ愛情を向けてくれる彼が、浮気なんてするはずないと……勝手に自分が不安になっているだけだと、それはそうだろう。

 夕食の後、いつもなら別々に入浴するが帰宅後のフローラの態度にエドリックも我慢できなかったのかもしれない。たまには一緒に入浴しようと誘われ、フローラもそれを受け入れた。

 ……入浴の準備をしてくれたアン達を部屋から下げた後、エドリックは言うまでもなく狼になってフローラの身体を余すことなく堪能していた。身体を拭いて寝台に上がる前に、フローラはすでに足腰が立たず肩で息をしていた始末である。

 だが、まだ夜は始まったばかり……夫婦のとびきり甘い時間はこれからだ。

 エドリックは何度も愛してると言ってフローラの手を握ったり頭を撫でてくれたり、情熱的な口づけをくれたり……こんなにも愛されているのに、不安になるほうがおかしいとそう思わせるひと時。抱かれている時だけは、不安なんてどこかに飛んで行ってしまった。

 彼の視界には自分しか入っていない。それだけで、満たされる。この時間が永遠に続けばいいのにと、そう思いながらエドリックの腕に抱かれ眠りについた。


 それから数日後、エドリックが午後からウィリス商会に向かうと言う話を聞いた。ウィリス商会と言う言葉に、数日前のアリスの話を思い出す。

 エドリックが、ウィリス商会の娘に微笑みかけていたと言うその話。あの日感じた不安が、またフローラを襲った。その話を聞いたのはエドリックが屋敷を出た後だったから、彼にこの不安を感づかれることがなかったのが幸いだろう。


「エミリア様、今日……この後何か予定はありますか?」

「特にないけれど、何かあった?」

「……エドリック様が午後、ウィリス商会へ向かわれるそうです。それで、私……」

「気になるの? もう、そんなの気にする必要はないわよ」

「ですが……」

「見に行きたいなら止めはしないけれど。私についてきて欲しいって事でしょう?」

「……はい」


 もちろん、様子を見に行くならばフローラは一人ではなく侍女のアンも一緒だが……アンが頼りない訳ではなく、エミリアにそばにいて欲しかった。だから誘った。

 そんなフローラの気持ちを察してくれて、エミリアは午後の外出に同意してくれる。昼食を食べてすぐに、フローラとエミリアは馬車に乗り込んだ。

 ウィリス商会は、町の西側にある。小さな川が流れているが、その川の向こう側だ。あまり近づきすぎてエドリックに見つかっても困ると、ウィリス商会が見える川の対岸に馬車を停めてもらい……馬車の窓から商会の様子を伺うことにした。

 ウィリス商会は少しばかり立派な建物に、大きな窓。中にいる人の様子も、遠いとは言え伺うことはできた。エドリックの姿はまだないが、噂の娘であろう人物の姿も見える。


「きっと、あの方……ですよね」

「それっぽいとは思うわ。お客さんって感じじゃないし……あ、お義姉様。あれ、兄様じゃないかしら」

「え? あ、本当ですね。エドリック様です」


 エドリックは道の向こうから馬を歩かせやってきて、ウィリス商会の前で馬を降りた。エドリックの後ろに彼の従者も着いてきていたが、どうやら従者は店の前で馬番のようだ。エドリックは従者に手綱を渡すと、一人で商会の中へ入っていく。

 遠くで流石に、表情までは見えない。だがフローラは、なんだか心臓が騒がしい。エドリックは店の奥へ案内されたようで姿が見えなくなってしまったが、不安だけが募っていく。

 ……どれくらい、彼が出てくるのを待っただろうか。エドリックが商会の建物から出てきて、馬に乗ると思えば従者と何やら話している。そのまま彼は歩き出して、そのエドリックの隣を例の娘が歩いていた。馬番は動かないところを見るに、エドリックと娘の二人でどこかに行くのだろう。


「お義姉様、大丈夫?」

「あ……エミリア様。どうしましょう、エドリック様が……」

「まさか兄様に限って浮気なんて、そんな事……」

「ですが、あのお嬢さんと一緒に歩いています……」


 二人の距離は、エドリックとフローラが並んで歩く時のような距離感ではない。しかし年頃の娘と男性が二人並んで歩いている。何かあると疑われても、それは仕方がないだろう。

 先ほどよりも心臓が騒がしい。エドリックが浮気なんてするはずないと、それはわかっているのに……だが、事実フローラの目の前でエドリックが女性と歩いているのだ。

 信じられなくて、身体が小刻みに震える。昨夜も、エドリックはフローラに愛してると何度も囁いてくれたのに……その言葉は一体何だったのか。


「お義姉様、顔色悪いわよ」

「エミリア様……」


 フローラの声は震えていた。今にも泣きそうで、エミリアがいなければ泣いていたかもしれない。フローラの事を心配して眉を下げたエミリアが、手をぎゅっと握ってくれる。


「……どこに行くのかしら。歩きってことは、そんなに遠くではないと思うけれど」


 エミリアがそう言う。確かに、遠くへ行くなら馬に乗るか馬車を手配するだろう。だが歩きと言うことは、彼らの目的地はそう遠くないはずだ。

 フローラはエドリックから目が離せない。エドリックと娘の距離は近すぎる訳ではないし、腕や手を取っている訳でもないのだからエドリックの浮気を疑うにはまだ早いのかもしれないが……

 二人を見失わないよう、馬車を動かすようエミリアが御者に声をかけてくれた。幸いだったのは、二人の目的地が商会の並びであって辻を曲がるような事がなかった事だろう。辻を曲がられたら、きっと見失っていたに違いない。

 二人が入った店を見て、エミリアが口を開いた。


「あのお店……」

「エミリア様、ご存じですか?」

「この間、レオンが髪飾りを買ってくれたお店よ」

「……!」

「レオンが私に買ってくれた髪飾りが、今話題になってるって……この間アリスの家のお茶会で言ってたわよね」

「もしかして、エドリック様もあのお嬢様に贈るのでは……」

「き、きっとそんな事はないわ。兄様に限って、そんな事……」


 そうは言っても、エミリアも二人が装飾品店に入っていく姿を見て『もしかして』と……そう思ったのかもしれない。フローラに気を遣いながらも、エミリアもエドリックの事が信じられないとそう言いたそうな表情をしていた。

 少し経って二人が店から出てくる。娘の手には、何かを買ったであろう袋が握られていた。


「……帰りましょうか」

「お義姉様……」

「私、何も見ていません」

「……兄様が帰ってきたら、私から兄様に言う?」

「いいえ、結構です。もしもあのお嬢さんがエドリック様の恋人だったとしても……それでも、私はエドリック様の事を愛しています……」


 瞳に涙が溜まってきた。そう、もしも彼女がエドリックの恋人だったとしても、フローラはエドリックの事を愛しているのだ。

 今は胸が苦しいがエドリックが帰ってきてフローラに優しく微笑んで、いつものように愛を囁いてくれればきっとこの苦しみだって和らぐだろう。

 たとえエドリックの愛がフローラだけに向いていなくたって、彼がフローラを愛してくれる事実さえあればきっと耐えられる。


「フローラ様、話が飛躍しすぎています。こうは考えられませんか? あのお嬢様はただ欲しいものがあって、それを自分で購入した。エドリック様はフローラ様に贈り物をしようと思って、あのお嬢様に女性としての意見を求めた……と」

「……そうだったら、良いわね」

「そうよ、お義姉様。きっとそうよ!」


 アンがそう言って、エミリアもアンの意見に賛同する。確かに、その可能性だって十分考えられるだろう。二人の距離が恋人同士のようなものではなかったことを考えれば、むしろそう考える方が自然だ。

 フローラは馬車の窓から、もう一度エドリックの方を見る。二人は商会の前まで戻っていて、彼女は商会の中へ戻ったがエドリックは待たせていた従者と共に馬に跨りその場を後にした。


「お義姉様、兄様を追う?」

「いいえ、帰りましょう。エドリック様が戻ってくれば、浮気かどうかははっきりします。私、エドリック様にちゃんと聞きますから」


 そうしてフローラはもやもやとした気持ちを抱えながら屋敷に戻り……エドリックはあの後魔術師団の仕事に戻ったのだろうが、その日の夕方エドリックの帰宅はやけに慌ただしかった。


「エドリック様、おかえりなさ……」

「あぁ、フローラ。ただいま。でも、すまない。すぐに出なくてはいけなくて」

「え? なぜ、ですか?」


 出迎えたフローラをぎゅっと抱きしめ額に口づけて、エドリックはそう言う。疑問符を浮かべるフローラに、エドリックは言った。


「緊急の魔物の討伐依頼が入って……数日帰れないと思う。だから君に直接言いたくて、立ち寄っただけなんだ。すまない、部下たちを待たせているからすぐに行かなくては。心配しなくていいからね」


 それだけ言って、エドリックはもう一度フローラに優しく口づける。再び強く抱きしめられれば、エドリックはすぐにフローラを離して玄関の方へと振り返った。


「あ……エドリック様、お気をつけて」


 フローラの言葉にエドリックは一度振り返って、微笑みながら手を上げる。『ありがとう、行ってくるね』と、そう言って慌ただしく扉を開けて出て行った。

 バタンと扉が閉まり、フローラは出迎えの執事と共に取り残される。あまりの慌ただしさに呆気にとられたフローラへ、執事が口を開いた。


「若奥様、お食事はいかがいたしますか」

「……えぇ、頂くわ。食堂へ行きますわね」


 エドリックのいない夕食はなんだか少し寂しい。まだ時間は早いので、今日はエミリアや義母と時間が合うだろうが……

 食堂について椅子に座って食事を待てば、エミリアがやってきてフローラの隣に座った。


「……兄様は?」

「緊急の魔物の討伐依頼が入ったそうで、私に顔だけ見せてすぐに行ってしまいました」

「そう……今夜帰ってこられるの?」

「いいえ、数日お戻りになられないそうです」


 どこまで行くのかも聞けなかったが、数日の間このもやもやとした気持ちを抱えなければいけないのかとため息をつく。もちろんエドリックの無事は祈るし、心配はするが……だが、今日の事を聞きたかった。

 それに、数日後にフローラの誕生日が控えている。誕生日を祝われない事には慣れているが、今年はエドリックと共に過ごせるとそう思っていた。フローラの誕生日のその日までに戻ってきてくれるのかもわからない。

 勿論彼の事だから、フローラの誕生日の事を忘れているはずはないだろう。だが、もしも間に合わなければ……きっと悲しい。仕事なのだから仕方がないと、そう割り切れるかどうか。


 それから三日、まだエドリックは帰ってこない。フローラの誕生日は明日に迫っている。今夜……いや、遅くても明日の夕方までには帰ってきてほしいと……そう思っていたのだが、夕方になっても魔術師団帰還の知らせはないままだった。

 エミリア経由のレオン情報では、今回は魔術師団の単独遠征らしい。翌朝の出発であれば騎士団も同行したそうだが、エドリックが頑なに当日中の出発を主張し魔術師団単独での遠征となったそうだ。

 明日、フローラの誕生日には帰ってきてくれるのだろうかと、そう思いながらぼんやりと部屋の外を眺めていた。

 と、その時である。窓の向こうで一羽の鳩が羽ばたいて、フローラの方をじっと見ている。鳩の足に何か括り付けてあり、どうやら文書鳩のようだった。フローラが窓に駆け寄って窓を開ければ、鳩は窓枠部分に降りる。


「一体、誰から……?」


 足に括りつけられた手紙を外し、呟きながら広げる。そこに書かれた文字を見て、フローラはぱっと笑顔になった。


『明日の昼には帰るよ。寂しい想いをさせてごめんね。午後から休暇を取るから、楽しみにしていて。愛してる』


 もしかすると、この鳩はただの鳩ではないかもしれないと……その言葉を見てフローラは察する。

 そう、この鳩はきっとエドリックの使い魔だ。そう思えば、嬉しくて胸が熱くなる。


「寂しくて、死んでしまいそうです……早くお会いしたい。私も愛していますわ、エドリック様」


 鳩を抱き上げ、優しく抱きしめ……頭にちゅっと口づけてから鳩の目を見て微笑めば、鳩もにこりと笑った気がした。そして、次の瞬間煙のように消える。やはりエドリックの使い魔だったと……わざわざ明日帰ってくることを知らせてくれたのが、ただ純粋に嬉しかった。

 そして、彼の手紙が……この手紙に書く必要はなかった『愛してる』が、そのたった一言が本当に嬉しい。彼の浮気を疑って疑心暗鬼になってしまっていたが、やはりそれはフローラの勘違いに違いないと確信した。


(ごめんなさい、エドリック様。あなたの事を疑ってしまった私が馬鹿でした。あぁ、早くお会いしたい。早くあなたに抱きしめてほしい……)


 彼の短い手紙を大切に……胸に抱いて。早く明日にならないかと、エドリックに会えるのが楽しみで仕方がない。

 フローラはその日も一人寂しく眠ったが、明日エドリックと会えると思うと嬉しくてなかなか寝付けなかった。


 翌日、朝早くに魔術師団のうち先遣の兵が王都に戻ってきた。魔術師団の遠征は遅い時間の出発だったため国民には多く知られていなかったようだが、それでも先遣の兵が魔術師団が昼には戻ってくると言う事を伝えれば出迎える民も多いだろう。

 フローラは朝から張り切って支度をしていたが、その最中にエミリアが部屋を訪れた。


「お義姉様、今日お誕生日でしょう? おめでとう」

「ありがとうございます、エミリア様」

「兄様が戻ってくるの、間に合ってよかったわね」

「はい、とても嬉しいです。エドリック様が昨日使い魔を飛ばしてくれて……今日午後からは休暇を取ってくださるそうです」

「兄様って、お義姉様には信じられないくらい優しいわよね。だから私、思ったんだけど……この間慌ただしく出て行ったのは、あの日の明朝の出発じゃお義姉様の誕生日に帰ってこられないからだったんじゃないかなって」

「……!」

「だからやっぱり、そんな兄様が浮気するのは考えられないわ」

「……そうですわね、私もそう思います。ですから私も、勝手に疑ってしまって申し訳ないと……昨夜反省しましたの」


 そんな話をしながら準備を進め、屋敷を出るには少し早いかもしれないが居ても立ってもいられずに城門へ向かう事にした。

 まだ出迎えの国民はほとんどいない。フローラはアンと共に馬車の中でその時を待つ。城門は商人や旅人、騎士たちの出入りで度々開くが魔術師団はまだ戻ってこないようだ。魔術師団の一行が戻ってくれば、見張り台にいる兵が鐘を鳴らすはずだ。

 どれくらいそうやってそわそわとしていただろうか。カンカンカン、と鐘の音が聞こえた。それに合わせて御者が馬車の戸を開いてくれて、フローラは馬車から降りる。

 ゆっくりと城門の扉が開いてゆくのが見え……周囲には魔術師団の帰還を一目見ようと集まった人が溢れかえっていた。


(そう言えば、前回の遠征の時はお出迎えに来ようとして来られなかったんでした……)


 そう、前回のエドリックの遠征と言えばフローラが誘拐された時の事。エミリアと共にこうして城門のところまで出迎えに来るはずだったが、誘拐されてしまったのでそれは叶わなかった。

 早くエドリックの無事をこの目で確かめたい。言葉を交わすことはできないかもしれないが、姿を見られるだけでいい。そう思いながら城門をじっと見つめていれば、ついにその時がやってくる。


「エドリック様……!」


 今回の遠征の指揮を執った彼は他の魔術師たちよりも前、先頭で馬を歩かせていた。真っ先に目に入ってくる愛しい人。無事な姿を見られて安堵したせいで、瞳に涙が溢れてくる。

 今日、馬車はいつもエミリアがレオンを迎える時にいる場所に停めてくれていると言っていた。だからレオンと共に遠征に行く機会の多いエドリックであれば、きっとフローラがこの場所にいる事にも気づいてくれるだろう。

 そう思った矢先にエドリックがフローラの方を見た。ばっちりと目が合えば、エドリックは柔らかく微笑んでフローラに手を振ってくれる。

 その姿にドキリと胸が高鳴って、素直に惚れ直したと言って良いだろう。フローラも、満面の笑みを浮かべてエドリックへ手を振った。視線を交わしたのはほんの一瞬。姿を見られたのもほんの僅かな時間。それでも十分だった。

 それからフローラはグランマージ家の屋敷に戻り、エドリックが帰ってくるのを待つ。恐らくは城へ戻った後魔術師団長である義父に今回の遠征の報告をして、すぐに帰ってきてくれるだろう。

 屋敷に戻ってきてお茶とお菓子を出してもらい、そわそわとしながら待つ……すると突然目の前が真っ暗になったと思えば、誰かの手がフローラの目を覆っている感覚。一瞬びくっとしてしまったが『だーれだ?』と、悪戯っぽく言う声が愛しくて……


「エドリック様ですね? ふふ、お帰りなさいませ」

「あぁ、ただいま。フローラ、さっきは出迎えありがとう。今日は君の誕生日だね、おめでとう」


 フローラの後ろに立ったエドリックはそう言ながら手を外し、微笑んでフローラの額に口づけを落とす。祝いの言葉を嬉しく思っていれば、エドリックは胸元より小さな袋を取り出した。


「誕生日の贈り物だよ」

「え? ですが、私何も……」

「私の時間が欲しいと君は言ったけれど、だからと言って何も用意しない訳はないだろう?」


 エドリックはそう言って優しく微笑んでくれて、その気持ちが嬉しい。


「開けても良いですか?」

「もちろん」


 フローラが袋を開けると、中から出てきたのはきらめく金の髪留めだった。

 エミリアがレオンからもらったと言う髪飾りにはレオンの瞳の色である青いサファイアが付いていたが、フローラが貰った髪留めは澄んだ色合いが美しいエメラルドがあしらわれていた。それは、エドリックの瞳の色だ。


「嬉しいです、エドリック様」

「喜んでもらえて良かった。付けさせてもらえるかい?」

「はい」


 エドリックはフローラから髪留めを受け取ると、フローラの髪につけてくれる。フローラは銀髪だから、髪留めの素材が白銀では髪留めが負けてしまっていただろう。金だからこそ、良く映える。

 アンがすぐに手鏡を用意してくれて、姿を確認するとなんだか少し照れくさい。エドリックの瞳の色が彩られた髪留めを贈られるなんて、どれだけ彼に愛されているのかが伺えるような気がして……


「とても似合っているよ」

「ありがとうございます、エドリック様。本当に……とても嬉しいです」

「喜んでもらえて良かった。それにしても、やっぱり金にして正解だったよ。君の髪色には白銀より金の方が映えるね」


 エドリックはそう笑いながら言って、フローラの正面の席へ腰かける。彼は遠征から帰って来たばかりだと言うのに、疲れたような素振りは一切見せなかった。


「……エドリック様、その……私、エドリック様にお尋ねしたいことが二つございまして」

「なんだい?」

「まず一つ目ですが……この間慌ただしく出て行かれましたでしょう? もしかして、今日戻ってくるために急いで出て行かれたのですか?」

「緊急の討伐依頼だって言っただろう?」

「はい。では、今日の……私の事とは関係なかったですか?」

「……関係があるかないかと聞かれれば、勿論あるよ。でも、そんな事を認めてしまったら格好悪いだろう? 本当は翌朝の出発でも良かったのに、君の誕生日に間に合うように帰ってくるため、部下にも緊急だって言って夕方から出発したなんて」


 彼の嘘をつけない性格は知っている。だから嬉しいのと同時に、彼の部下には申し訳ない事をしたとそう思った。

 やはり自分は、相当愛されている。エドリックの行動はフローラにそれを実感させてくれる。


「……私のために、嬉しいです」

「夫として当然の事をしたまでだよ」

「そんな事ありません。こんなに良くしてくれる旦那様はエドリック様以外に私、知りません。私、あなたの妻で良かったです」

「そう言ってくれて私も嬉しいよ。二つ目は何だい?」

「……先日、エミリア様のお友達のアリス・ブレドラ伯爵令嬢からお茶会に招かれましたの」

「あぁ」

「そこで、先日からエドリック様が新規の取引先としてお付き合いをされている、ウィリス商会でエドリック様を見たと言う話が出まして……」

「それがどうかしたかい?」

「エドリック様が、商会のお嬢様に微笑みながらお話しをしていたと……それから私、胸がモヤモヤとして」

「なんだ、嫉妬してるのかい? ウィリス商会のお嬢さんは、ただの取引相手であってやましい事は何もないよ」


 エドリックは一瞬驚いた顔をしてから、困ったような顔をしてフローラに優しく説く。もちろん、こんなに愛されているのだから彼女への下心なんてないだろうと……それはすでに理解はしているのだが。


「それはわかっているんです。ですが……実は、先日私も商会の近くへ行っていたんです。その時、エドリック様とそのお嬢様が一緒に宝飾店へ入っていく姿を見てしまって」

「……!」


 フローラがそう言えば、エドリックは『見られていたのか、参ったな』とでも言いたそうな顔をしていた。その表情に、やはり彼女に何か買っていたのだろうかと……彼女が持っていた袋は、エドリックからの贈り物が入っていたのだろうか? と、胸がざわつく。

 エドリックはそんなフローラの顔を見ながら、少しばかり照れくさそうに言った。


「……彼女は君の姿を見たことがあるそうだよ。我が家と取引をするのに、色々と調べていたんだろうね。『とても可愛らしくて、でも美しく品のある素敵な奥様ですね』と、そう言われて」

「え?」

「私が笑ったのは、多分その時だ。私が愛妻家だと聞いて、妻である君の事を褒めれば取引を進めやすいって言う口上もあっただろうけど……彼女が君の事を可愛らしいと思ったのは嘘ではなかったようだし。『とてもお似合いの夫婦ですね』なんて言われて、つい笑みが零れてしまった」

「そ、そうでしたか……」

「それと、一緒に宝飾店へ行ったのは……その髪留めを購入するのに付き合ってもらっただけだよ。君の方が美しいけれど、彼女の髪色も銀髪に近い色だったからね。白銀と金、どちらの方が映えるか彼女の髪で試させてもらっただけで」

「……では、お店から出てきたときにお嬢様が何か袋を持っていたのですが……あれはエドリック様がお嬢様に何か贈った訳ではないのですか?」

「彼女が自分で買ったんだよ。レオンがエミリアに買ってやったっていう髪飾りが、今流行っているらしくて。レオンは街中の女性たちの憧れだからね。レオンが買ったと言えば、いい宣伝になるみたいだ」


 そこまで聞いてフローラはホッとする。やはりエドリックが浮気なんてするはずはないと、全て自分の早とちりだったのだと。

『良かった』と小さく呟けば、その声をエドリックは聞き逃さなかったらしい。にっこりと、恐ろしいほどの満面の笑みをフローラに向けた。


「でも、そうか……私は君をそんな風に不安にさせてしまっていたんだね」

「……エドリック様?」

「君の事をこんなにも愛していると言うのに、まだ君にはわかってもらえていなかったのか」

「そ、そうではなく私が勝手に変な想像をして、不安になっていただけで……」

「今夜、覚悟しておいて。私がどれだけ君の事を愛しているか、骨の髄までわからせてあげるから」


 悪戯にそう笑うエドリックの姿に、今夜何があるのかを想像してしまってフローラは顔が真っ赤になって熱くなる。そのフローラの姿を見て、エドリックは満足そうに笑っていた。

 そうしてその日の夜。エドリックの宣言通り……フローラは、彼の愛の重さを嫌と言う程に知る事になる。


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