魔王VS勇者
「なぁユウよ、我と二人で物見遊山へ行こうぞ」
この日は魔王のそんな一言から、一日が始まった。
「へ? 何言ってるんすか? 嫌ですよ普通に」
既に立ち上がって準備万端の魔王に対して、勇者は座る人をダメにしてしまいそうなイスに深々と腰を掛け、ダメな人になっている。
「そうはいっても流石にまずいだろう。主はここに住み始めてからというもの、一度たりとも外に出ていないではないか」
魔王の言う通り、勇者はここ一か月、家から一歩たりとも出ていない。
「いや出るのが面倒だから、嫌だから出てないんですよ」
「我と戦っていた時に『散歩と釣りをしたい』と言っていたではないか」
「……あれはちょっとカッコつけただけっす。なんかそっちの方が部屋でぐうたらしているだけよりも聞こえがいいかなぁ~って思って」
見栄の張り方がねじ曲がっている。
魔王も心なしか哀れんだ目を勇者へと向けた。
「そう、だったのか……。だがそのようなことはどうでもよい。行くぞ。勝景の地を見つけたのだ」
「いやです……。今回はパスで……」
勇者は力なく右手を掲げてプラプラと拒否信号を送る。
「ならぬ。行くぞ」
魔王がどうしても譲らないという姿勢を見せると、勇者の声色が変わった。
「……マオさん……覚えていますか? この家のルールを……」
「あぁ覚えているとも。『好きな事だけを自由にやる』であろう?」
魔王と勇者の間に不穏な空気が流れる。
「オレが今やりたいことはコレなんです。それを邪魔することは許されません」
コレとは「何もしない」ということ。少々複雑な「やりたいこと」である。
「我がやりたいことは主と共に物見遊山へと行くことなのだ」
「……つまり、そういうことですね」
「あぁそういうことだ」
勇者はゆっくりと体を起こす。
「『二人の意見がぶつかったとき、勝負によって全てを決める』……覚えていますね?」
「無論だ」
「じゃ……やりますか」
※
「ははははは! 楽しいぞ勇者よ! 我が家臣の攻撃、受けてみろ!」
「声でか」
「何っ!? やるではないか! ならば行け! 我が軍、四天王が一人、暗黒騎士へルザークよ!」
魔王は動物の頭があしらわれた駒を動かしながら、悪魔のような顔で叫んでいる。
そんな魔王と、白色と黒色の駒がズラッと並んだ板を挟んで向き合っているのは勇者。
「あっその位置……」
「む……。やはりやるなお主」
「そりゃそーですよ。オレの方が歴長いんだし。マオさんまだルール覚えて一か月でしょ?」
二人が競っているのは、『チェス』という競技らしい。勇者が生まれ育った国に伝わる遊戯の一つで、共同生活が始まってから何度か対戦している。今までは勇者の全勝。当然魔王の全敗。
「期間など関係ない。我の知力を……侮るでないぞ!」
「……なんか怖いっすよもう」
一応魔王はかつて、その知略の限りを尽くして、大陸半分を支配した過去がある。
「しかし、こうしているとかつての魔王時代を思い出すな……」
魔王は駒に触れながら追憶する。部下のことを思い出しているのだ。
「マオさんがちゃんと魔王してたのってもう二年近くも前のことになるんですか」
「そうだな。お主と戦い始めたときは既に魔王としてでなく、マザンジオとして相対しておったからな」
勇者と魔王がヴァイデン渓谷で戦闘を始めたのは1709年のこと。
今は1711年。
「我が軍の四天王を覚えているか?」
「そんなの忘れもしませんよ。へルザーク、ガンジルータ、バルムザガン、メズンランテ。全員面倒なやつでしたよ」
唾を吐きつけるような顔で勇者は四人の名前を口にした。
「一番記憶に残っているのは誰だ?」
「んーと……《《ガンジルータ》》……ですかね。あいつの使役していた《《リヴァイアサン》》には随分とお世話になりましたよ」
「ふふっ。あやつは魔界でも最高峰の魔獣使いだったからな。当然だ」
魔王は自分のことかのように鼻高々に部下のことを語る。
しかし、なぜか勇者の方も「ガンジルータ」と「リヴァイアサン」を憎んでいるような雰囲気ではない。むしろその逆のように見える。
「オレの仲間はどうですか? 誰か覚えていますか?」
「む……何度か勇者の仲間を名乗る者に会ったことはあるが、大して記憶にないな……。それに部下からの報告によれば、お主の仲間は頻繁に入れ替わりが起こっていたと聞いておる。『情報の攪乱を狙った勇者の狡猾な策略』とメズンランテは分析しておったな」
メズンランテとは魔王の次に英明な存在として知られた四天王の一人。つまり参謀の役割を担っていた悪魔である。
「そ、それっすか……。別に『情報の攪乱』なんて狙ってないですよ」
「ほう。ではなぜお主の仲間はああも入れ替わりが起こっていたのだ?」
魔王は駒を動かしながら、興味深そうに勇者に尋ねた。
どういうわけか勇者は気乗りしない様子である。
「それは……まぁ……簡単に言えば恋愛絡みっすね……」
「『恋愛』……と? なるほどなるほど、『英雄色を好む』とはよく言ったものだな。詳細を聞いてもよいか?」
「んまぁ良いですけど……」
勇者は嫌々そうに語り始めた。
「人間の戦闘集団って、五人一組が最小単位なんです。攻めとか守りとか諸々《もろもろ》考慮した結果なんすけど……。そしてオレが五人のうちの一枠を埋めているわけで、残りは四人になるんですよ」
「あぁ、当然そうだろうな」
説明をしながら聞きながら、二人はチェスの攻防を繰り広げる。
「何の偶然か、その四人はほとんどの場合、男二人、女二人の内訳だったんです。で、勇者の一行は一番危険な戦地へと向かわされるんです。そしたら毎回のように死と隣り合わせの修羅場ってやつに遭遇するわけですよ」
「ふむ」
「んまぁ結局何とか死線を乗り越えて帰ってきたら……なぜか俺以外の四人が、綺麗にカップル成立しちゃってるんですよ……。ほんとに……なぜか」
「俗にいう『吊り橋効果』に準じているのか?」
その単語を聞くや否や、勇者の表情がものの見事に歪む。
「うわぁ……よく知ってますねマオさん。できれば聞きたくなかったですそれ……」
「……つい先日覚えた」
魔王も「余計なことを言ってしまったか……?」と内心後悔する。
「勉強熱心だこと……。んで最終的に仮初の運命の人に出会っちゃった幸せな人たちは離脱していくんです……。これが……仲間の入れ替わりが激しかった一番の理由っす……。もちろん他にもあるんですけどねぇ……」
「なんか……すまんな……」
「いや……大丈夫です……」
「いやそれもそうなんだが、そのことではない。……チェックメイト」
「あ……」
魔王の勝利とともに、二人の物見遊山が決定した。