今日も朝は変わらずやってくる
窓から降り注ぐ暖かい光が、俺を夢の中から現実へと誘う。朝だ。今日もいつもと変わらず朝がやってきた。体を伸ばし、息を吸う。今日も俺は生きているらしい。ボロボロになったベッドから飛び降り立ち上がる。誰もいない部屋で、言葉を零す。
「おはよう。」
返事は返ってこなかった。それもそうだ。もうここには、誰もいないのだから。
良い朝だ。眠気覚ましに顔を濡らしておきたいところだが、残念ながら蛇口を捻っても水は出てこない。運が良いことに、家のすぐ近くに綺麗な川がある。今日もあそこで顔を洗おう。
冷蔵庫を開く。中から冷たい空気が朝の挨拶をしに来た。冷蔵庫の中は、新鮮な肉がいくつかあるだけ。朝食にしては少々重いかもしれないが、今はこれしかない。多少は我慢しよう。
──扉を開け、外の空気を吸う。やはりあれは朝食には重すぎた。そんな事を思いながら、今日もまたあの場所へ行く。
「行ってきます。」
ついいつもの癖で言ってしまう。やはり言葉は返ってこない。だが、この生活にももう慣れた。言葉が返ってこないのは最早当たり前の事となっている。
いつもの道。苔むした街道に、誰もいないマンション、そして枯れた噴水……。あの日以来、いつまで経ってもこの辺りの景色は何も変わらない。いや、ここだけじゃない。多分どこもそうだろう。あれからどれ程経ったのだろうか……。今が西暦何年なのかもわからないし、それを知る術はもう何処にもない。
しばらく歩いて、いつもの場所へやって来た。そこは小さな森で、草が生い茂り、木々が太陽の光を散乱させている。リュックの中から散弾銃を取り出す。この辺りには野生動物がよく現れる。注意しなければ危険だが、上手くいけば明日のランチには困らなくなる。
少し歩いて、野生動物を見つけた。猪くらいはあるデカい草食の蜘蛛だ。しかも子連れときた。親のほうは表面が硬く今ある銃では倒せそうにないが、子供のほうは上手いこと当てれば何とかなりそうだ。
子蜘蛛に狙いを定め、親蜘蛛がこちらに背を向けた瞬間に引き金を引く。乾いた銃声と蜘蛛の叫び声が響き渡る。命中したようだ。子蜘蛛は少しの間のたうち回った後、ひっくり返ってピクリとも動かなくなった。親蜘蛛はというと、かなり臆病なようで銃声が鳴ると同時に全速力で逃げていった。子供を見捨てて自分は逃げるとは、なんとも罰当たりな親がいたものだ。とはいえ、彼らはそうして食物連鎖の中、生き残ったのだろう。
彼らを見ていると、あの頃のことを思い出す。逃げてばかりいた自分のこと、逃げ続けたが故に守れなかった奴らのこと、逃げ続けたが故に今こうして生き残っていること……。
倒した蜘蛛を拾い、脚をちぎり、頭をもぐ。半透明で緑色の血が流れ出す。血を十分に抜き、リュックに詰め込んだ。ずっしりと重くなったリュックを背負い、そのまま森の奥へと進む。ここに来た目的は食糧だけではないのだ。
森の中を進むにつれて、視界は暗くなっていく。今になって足首の傷がズキズキと痛む。一昨日、この森の中で出逢ったデカいゴキブリに噛まれた傷だ。もう傷口はほとんど塞がってはいるが、痛みはかなりある。正直、もう歩いているのも辛いくらいには痛む。
それでも、諦めずに前へ前へと進む。
進んでいるうち、目的の場所が見えてきた。森の中、植物のつると苔に覆われた巨大なシェルター。そこに辿り着くころには、東にあった太陽は真上まで昇っていた。
シェルターのロックを外し、扉を開く。中に入り、野生動物が入ってこないように扉を閉めロックをかける。シェルター内は真っ暗なので、持ってきた懐中電灯だけが頼りだ。
シェルターの中を進み、空っぽの備蓄庫には目もくれずに階段を降りた。その先には、数千の大きなカプセルがある。そのカプセルひとつひとつに、人間が入って眠っている。性別も年齢も肌の色も別々だ。彼らが何者なのかは、実は俺もよくわかっていない。ただ1つ言えるのは、残った人類は彼らと、そして俺だけだ。
全てのカプセルを管理している1つの装置。その装置に映し出された画面を見る。カプセル内の人間達の、生命維持のための栄養が不足しているようだ。装置に繋がれたチューブを手に取る。チューブの先端は、以前俺が削って尖らせておいた。チューブの先端を自分の胸に押し付け、鼓動する心臓目掛けて力一杯押し込む。
チューブは俺の胸を貫き、心臓から赤い血を吸い取ってゆく。鼓動に合わせてチューブが揺れ、真っ赤な血液が流れていく。血は装置の中へ溜まっていき、いつ目を覚ますかもわからないカプセルの中の人間たちに供給される。鼓動を感じる。痛みを感じる。血が流れていくのを感じる……。
だが、俺は生きている。ここまで俺が生きてきたのと同じように、心臓は鼓動し続けているし、息はできるし、脳はまだ機能している。
今からずっと昔、もうどれくらい昔だったのかも覚えていないくらいに昔のことだ。俺は手術に成功した。人類の中で唯一の成功者だった。
生命の域を超えた禁忌。所謂『不死』。その手術に成功してしまったのだ。手術を志願したのは、怖かったからだ。いつかやってくる終わりというものが。だが、禁忌を犯し、俺から終わりというものは無くなった。代わりに得たのは、終わりを失ったことによる虚しさだけだった。
それから数百年の間、色々なことがあった。人間が人工知能と結婚するようになったり、数千光年先の星を植民地にしたり……。色々ありすぎてほとんど忘れてしまったが、1つだけ覚えているのは、人類がこの星から消えた日のことだ。あっという間だった。たった数時間の間に、周りにいた人間達は息絶えていった。自分だけが生き残り、人間だったものにカビが生えていくのを眺めてた。あの日から、俺はずっと独りだ。このシェルターの中の人間達が、いつか目を覚ますことを願うだけ。
不死というものがなぜ禁忌なのか、今ならわかる気がする。
──思い出を数えている間に、装置が音を響かせた。もう満タンまで溜まったようだ。栄養を貯めるタンクを見る。真っ赤な血液が、1人の人間から採れるとは思えない程大量に溜まりプールのようになっていた。これだけあれば、数週間はもつだろう。チューブを引き抜き、胸から吹き出す血を手で押さえる。数分後には、血は出てこなくなった。
荷物をまとめ、リュックを背負う。カプセルの方を見つめ、言葉を零す。
「行ってきます。」
返事は返ってくるはずもなかった。
シェルターの扉を開き、外を見る。太陽は東から昇っている。どうやら、シェルターの中で1日を過ごしていたらしい。
今日もいつもと変わらぬ朝がやってきた。昇る太陽を見つめる。
「おはよう。」
返事は返ってこない。