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名前は言霊

作者: 大西洋子


名前。それは産まれてきた我が子に与える最初の贈り物。古典的な噺であり、早口言葉で知られる『寿限無』のように長い名前でなくても、幸あれと願いを込められている。

だけど私の名前は、あまり好きではなかった。

と、いうのも、クラスで、あるいは、たくさんの人がいる場所で姓名を呼ばれても、名前で呼ばれても、「あ、あなたじゃないの」と、言われることが多々あったから。

そのうえ、名前の最後に“子”がついているため、古臭いイメージがつきまとい、“子”で終わらない名前だとか、もっと可愛らしい名前だったらいいのに。と、そのような名前の人が羨ましくて仕方がなかった。

小学生の頃、自分の名前の由来を調べる宿題が出て、両親に私の名前の由来をたずねた。そうして私の名前に、海のような心を持つ人間になってほしいという願い込められている事を知った。

海。広くて大きくて水平線の彼方まで続く海。月、星、太陽が昇り沈む海。本やテレビの向こうから伝わるよその国とつながる海。そんな海のような人間に……

その宿題がきっかけで、貝殻や色とりどりの可愛らしい魚に心惹かれる訳と、私自身の名前がちょっぴり好きになったのは事実。

――ずいぶん後になってから、押し入れの奥から、私の名前と同じ俳優さんが表紙になっている雑誌が何冊も出てきて、父にたずねたら、目を泳がせて、どこかに持っていったのを覚えている。

ある時、その方がテレビに出られていて、「言葉は言霊」と語っていた。

言霊。声に出した言葉が、現実の現象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こる。と考えられていた不思議な力。

「名前は、その言霊で出来ていると思うの。わたくしは、誰かを呼ぶときは“さん”付けで呼ぶようにしています。抗議や強い注意を発するときだけ、フルネームで呼び捨てるのですけれどね」

和やかな語り口で、さらにこう続けた。

「どんな人でも、嫌なことより、良いことが起こる方がいい。だから、心地よい言葉を使いなさい。と、両親、それからわたくしに芸名を付けてくださった方から、ことあるごとに言われました」と。

ああ、なんて素敵な言葉なのだろう。父はきっとこの方のような素敵な人になって欲しいと願ったに違いない。

私は一気にその方のファンになった。

友達に好きな俳優は誰と問われ、答えたら、渋いと言われそうだから、公言はしなかったのだけど。

ある時、その俳優さんが本を出されたと耳にして、さっそく本屋に行き、その本を手に取ろうとして手と手が触れあった。

「「あ、ごめんなさい」」

ほぼ同時に手を引っ込め、互いに譲り合ってしまい、お互いにふふふと笑ってしまった。

今思えば、それが私と主人との出逢い。

その時は、お互いに本を譲り合い、レディーファーストと称して私にその本を渡されただけだった。

けれど、本屋で図書館で美術館でと、度々出逢うようになり、何時しか交際し、結婚へと至ったのは、自然な成り行きだったのだろう。

姓名が変わってから、どこでも彼の妻とか嫁とかだと紹介され、奥さんと呼ばれるようになって、

子どもが産まれ、やがてその子どものお母さんとして呼ばれるも、仕方がないことだと思う。

だけど、せめてあなただけは、私の名前を呼んで。「おい」だの「お前」だの。歳を重ねる毎にその呼び名すら、だんだん汚い言葉に変わっている。思春期を迎え、口答えする子どもの口調そっくりに。いえ、それ以上に悪く。

ねぇ、あなたは、私と初めて出逢った時に手にしようとした本を書いた俳優さんが、言葉は言霊だと語っていたことを知っているのかしら。

今、あなたが私に投げかける多くの言葉は、私にとって嫌な言葉。嫌なことは嫌だとはっきり言っているのに、ちっともわかろうとしない。

呼びかけられたくない呼びかけに、いやいや答えるのは、答えなかったら無理矢理聞けとばかりに攻撃的な行動をするから。

――あなたは知っているかしら。名前にも言霊が宿ることを。フルネームで呼び捨てで呼ばれる時、それは心の奥底から発せられる言霊だということを。

この短いお話に、あなたのフルネームを書き足されないよう。せいぜいご注意なさいませ。




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