救世主おにぎり
1
小麦が死滅してはや三か月。食卓からパンが消えて久しい。
クローン技術が発達した現代、ひとつでも小麦が残っていたなら増やせたはず。しかしあまりにありふれた穀物だったため、だれも手元に残していなかった。
しかし、ここにひとつ生き残った小麦がある。
それはおにぎりの中にあった。
この家のヘレン夫人は、食材同士の思いがけない出会いを演出するのを生きがいとしていた。早い話、何でも掛け合わせてしまうのだ。
そんな冒険の産物のひとつ、それこそが「パンおにぎり」であった。
旦那のジョニーさんの食べ残したトーストの欠片を入れただけのこれ、冷蔵庫の奥底に封印されてはや三年。しかし今が目覚めの時だと、天啓がこのおにぎりに降った。
「行くがよい握り飯の使徒よ。汝に眠れる希望を届けに!」
さあて今朝はなにを作ろうかしらっ、と冷蔵庫の扉を夫人開けたれば、すかさず飛び出すパンドラおにぎり! 残像をにじませて窓から出発。あ然とする夫人をただ後に残して。
道行く人、転がるおにぎりを見て嬌声を上げる。なにせもうパンはないのだ。おにぎりはいまや極大の人気を誇っていた。
「キャアアアおにぎりだアアアア」「あやかりてえ!」「くわせろ」
そんな声も聞こえずと(おにぎりに耳はなし)無言で突き進むこの三角形。
しかし心には葛藤があった。もうすぐで国の研究所へ着いてしまう。そうなればこのおにぎりは用済みと解剖され、中の小麦を取り出されてしまうだろう。なに、このおにぎりは自分がバラバラにされることを恐れているのではない。そんなやわなおにぎりではない(冷蔵庫に三年はいっていたのだぞ!)。ただ、仲間のことを思っていたのだ。
小麦が再生されれば人々はまたパンを食べ始める。そうすればせっかく得たおにぎりの人気、元の木阿弥。自分の行動が仲間にもそれを強いるのだ。
……しかし。
おにぎりは転がる。高速度で転がる。街をゆくとろい人、車、そのどれよりも速かった。
もはやおにぎりに迷いはない。ただ使命を果たすことだけを考えていた。
いま、そのおにぎりが研究所の入り口へ……
2
なんだったんだろう。あれは。
男は今朝の出来事に思いを巡らせていた。
突然、おにぎりがドアにぶつかってきて、ばらばらになったのだ。おかげで、その残骸をおれが掃除するはめになった。おれのせいじゃないのに。
男はしきりに首をひねる。
なんだったんだろう。あれは。




