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短編小説集 à la carte

ダブル・スタンダード

作者: 篠崎フクシ

 うらぶれたアパートから出てきた男は、憂鬱な気分で、黒コートのポケットに両手を突っ込みながら、秋空を見上げた。


「秋の空は、なんだってこんなに綺麗なんだ。それにひきかえ、俺ときたら……、クソッタレ!」

 古い街並みは、秋の陽に優しく染め上げられている。男は左手に一冊のペーパーバック、右手に玩具のピストルを握りしめて、背後を振り返る。

 ーー、もう、この街も見納めか。俺を狂喜乱舞させ、奈落の底まで突き落としもした、夢の国の、原色の街……。


 銀行バンクの自動ドアが開くと、男はまっすぐ窓口カウンターまで早足で歩く。緊張感なんてまるでなかった。むしろ、どこか知らない森の靄の中を歩いているような感覚だった。

「いらっしゃいませ」

 受付の事務員テラーが感じのいい笑みを浮かべた。栗色のショートがよく似合う。その微笑が俺だけに向けられたものだったらどんなにいいだろう。男は場違いな妄想を抱きながら玩具のピストルを出し、女に銃口を向けた。

「お嬢さん、仕事中悪いが、金庫の中のものを全部持ってきてくれないか?」

 女の顔面は蒼白となり、両手を挙げながら叫び声をあげた。

「危ない、伏せて!」

「……⁈」


 ドガガガガガガッ!


 玩具ではない、本物のマシンガンが背後でぶっ放され、四方八方が弾丸の餌食になっている。行内バンクは騒然となった。悲鳴と泣き声と警報ベルが鳴り響き、天井には無数の穴があき、床のあちらこちらから煙が上がっていた。硝煙の匂いに包まれながら、男は呟いた。


「マジか、なんてこった……」

 床に伏せながら振り返ると目出し帽をかぶった三人組の強盗団ギャングがそれぞれマシンガンを構え、あたりを物色しているのが分かる。その時、リーダー格のマッチョな男と目が合ってしまい、しまったと思う間も無く攻撃の標的マトとなった。


 もちろんそれは、右手に玩具のピストルを握っていたせいだ。強盗団のリーダーが突進してきたかと思うと、瞬時に男の玩具を蹴り上げた。〈ピストル〉はクルクルと回転しながらカウンターの壁にぶつかった。

「よお、このもやし野郎、立てや」

 男は上着の襟を掴まれ、よろよろと両手を挙げながら立ち上がる。

「ひゃっはっはっ、なんだこいつ、チビりそうな顔してやがる」と後ろの部下が嗤うと、リーダーは「ケッ」と唾を吐いて男を思い切りマシンガンの銃尻で撲りつけた。

「ガハッ……!」


 そのまま、カウンターの向こう側まで吹き飛ばされ、先刻の事務員テラーがいた場所に頭から落ちた。死んだか? と思ったが、残念ながら意識があって、栗色ショートの彼女に抱きとめられていた。

「まあ、すごい血が出てる。大丈夫、なわけないですね」

 女神……、様? 止血する彼女の膝の上で男はうっとりとする。いや、ちょっと待て、俺は銀行強盗に来たんだ、一体何をやってるんだ、と気を取り直す。額がパックリ割れているようで、出血がひどく朦朧とする。


「ロッド・キリングス」

「……え?」

 男は自分の名を呼ばれて驚いた。

「あなたのその左手に持ってる本、ロッド・キリングスの『フロム・ラジエーター』よね。私、この作家のファンなの」

 ロッドは自分のファンという人間に初めて出会った。ちょっと感動した。なぜなら、本業ではほとんど食えず、毎日酒浸りで家族にも逃げられるほど奈落の底に居たからだ。

「ああ、あんたみたいな美人に好かれるなんて、作家そいつは幸せだな。それに比べて、今の俺のクズっぷりはどうだい。銀行強盗すらマトモにできやしない」

「ダブル・スタンダード」

「……?」

「あるいはダブル・メッセージでは、女を口説くことなんてできませんよ。回りくどくて、反吐がでる。好きなら好き、幸せになりたいなら幸せになりたい! って、大きな声で叫べばいいのよ。その小説に出てくる主人公の少女のようにね」


 左手の本は、車のラジエーターが壊れて立ち往生する若者と農村の少女が恋に落ちるという、いかにもテンプレな物語だった。酒を飲みながら適当に書いた小説だったが、実はなにげに気に入っていた。

「おらー! なに、モタモタしてんだ。とっとと金庫を開けろや!」

 支店長の尻を蹴りながら強盗団の下っ端が叫ぶ。支店長は命じられるままに金庫の鍵を開け、大量のドル紙幣を差し出した。それを下っ端が必死になってずだ袋に詰め込んでいる。

「ボス! そろそろ市警サツの奴らが到着する頃です!」

 見張りの部下が焦った声を上げる。


 それから札束を全部収奪することなく、三人は足早に自動扉に向かった。流石、ちょっとは名の知れた強盗団だ。欲をかいて捕まるようなヘマはしない、とロッドは朦朧とした意識で事の顛末を見つめていた。

「あなたに会えたこと、彼氏に自慢できるわ」

 女はそっと微笑み、机の下から対戦車用バズーカを取り出した。草色の筒。それから栗色の髪を摑んで取り外すと、内側から金色の長い髪がふわりと舞った。女の鋭い右の眼光が標的ターゲットを捉える。

「待て、コラァーッ! こちとら市警サツが来る前にオマエらを捕まえねーと意味がないんだよ!」


 まるで人格が変わったようだ。

 女はバズーカのトリガーを引き、ロケット弾を発射させる。バシュッと、発火と同時に煙の伸びる線が現れ、次の瞬間には正面玄関を派手に破壊した。強盗団の三人は吹き飛ばされ、石のように床に転がった。

「き、君はいったい……、何者だ?」

「私はロゼッタ、ただの賞金稼ぎよ。奴らが盗んだ札束を私がいただく。ただそれだけの仕事。この世界は驚くほど単純ね」


 ロッド・キリングスはあっけに取られ、その言葉に感電した。書きたい、と心の底から思った。

「ロゼ……、また君に会えるだろうか」

「そうね、考えておくわ、ロッド」

「……、バレてたか」

 ニューヨーク市警のパトロールカーがサイレンを鳴らして到着する前に、ロゼは三人の強盗団を捕縛していた。

 

  ✳︎

 

 秋の摩天楼の間を、緑と白に塗装されたワーゲン・バンが疾駆する。フォルクスワーゲン・タイプ2、トランスポルターはイエローのお気に入りだ。何しろデザインがいい。


「いやー、今回も僕の推理通りでしたねえ」

 私立探偵ブルーが訳知り顔で発言するが車内は沈黙している。

「ちょっと待て、情報を流したのは俺だからな。今回の功労賞は俺だろ」

 情報屋のグリーンがタブレット端末の画面を見ながら呟いた。

「そもそもロゼを銀行の事務員テラーにしたのは、俺の政治力のなせるわざだ」

 インターポールのレッドは自慢げに車内のメンバーを見回す。

「別にオマエらの手柄に興味はねーよ。それよりロゼ、さっきから何だ、妙にニヤニヤして。売れない小説家が何だよ、俺の方が数倍イケメンだろッ!」

 イエローはハンドルを握りながら不満そうな顔をした。意識の半分は今夜のカレーの方に向いているが、やはり嫉妬の感情が湧き上がってきた。

「あらイエロー、柄にもなく妬いてるの?」

 イエローの不貞腐れる顔を見て、みんな笑った。「大丈夫よ、私の辞書にダブル・スタンダードはないわ。私はあんたとずっとカレーを食べて過ごしたい」

 

 〈後日談〉

 ロッド・キリングスの新作は女賞金稼ぎが主人公のドタバタ劇で、それが大衆にウケると某国で映画化された。低予算のB級映画だったけれど、今でも場末の映画館で上映され続けているという。(了)

 

 

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