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御前試合の開始日、僕を含めた出場剣闘士達が闘技場の中に並び、貴賓席の皇帝陛下の言葉を待っていた。
席より立ち上がって口を開く皇帝陛下を、剣闘士達も、観客達も、皆が見ている。
でも僕は、皇帝陛下のお言葉も耳に入らず、その視線は皇帝陛下でなく、その横に居るモノに吸い寄せられてしまう。
その時の僕の気持ちを一言で表すなら、そう、『うわぁ、何かいる』だ。
そこに居たのは化け物だった。
或いは英雄と言う名前の幻想だった。
一騎当千とかそんな紛い物じゃなく、この闘技場に集まった剣闘士が皆でかかればもしかすれば僅かな勝機が……、やっぱりないかなってくらいの、人でない物である。
別にそれが居たから皇帝陛下の身がとかって事はなく、寧ろそこに居るって事は護衛として招かれたのだろうけれど……。
そしてそれは、僕を見て笑う。
少しだけ懐かしそうに。
もう十年近くぶり位になるのだろうか。
そこに居たのは、僕がかつて剣を教わった高名な剣士だった。
僕が知る限り、唯一の化け物だ。
彼なら、そう、皇帝陛下にだって伝手があって当然である。
だって彼が僕に剣を教えてくれたのは、初代皇帝陛下と共に戦った、初代ファウターシュ男爵と友達だったと言う縁だから。
そう、意味がわからない事を言ってるけれど、紛れもない事実なのだ。
時代時代で名乗る名前は変わるけれど、彼は『剣の修行の邪魔だから』と、自らの衰えを切って捨てた建国期の英雄だった。
今名乗ってる名前は、ユーパ・ミルドだっただろうか。
表向きには、知る人ぞ知る帝国最強の剣士である。
勿論本当は、そんな言葉ではとても足りない化け物だけれども。
「ルッケル、おーい、下がるぞ」
あまりに懐かしく衝撃的な物を見た為、思わず物思いに耽っていた僕の肩を、友であるマローク・ヴィスタが小突く。
どうやら開会式は終わってしまっていたらしい。
この後、この場が整備された後には、第一回戦の第一試合が行われるのだから、ぼんやりと突っ立っていては確かに邪魔だろう。
「あぁ、すまない。ありがとう」
頷く僕を、マロークは少し訝し気に見るが、取り敢えず気にしない事にしたらしい。
待機場所に下がった僕は、取り敢えず気を持ち直し、配られた対戦表に目を通す。
御前試合は勝ち抜き戦で、参加する剣闘士は本来ならば六十四名。
帝都からは五名、アラーザミア等の四大都市からは三名ずつの十二名で、その他帝国中の都市から規模に応じて一名か二名ずつが集められ、三十七名。
五十四名の選抜者と、有力者等から推挙を受けた特別枠が十名の、合計六十四名となる。
しかし今回の特別枠には三名異物が混じっており、その三名こそがウェーラー王国の参加者、案の定開会式の段階から全身鎧で参加していた騎士達だった。
順当に勝ち進むと考えれば、僕がウェーラー王国の騎士とぶつかるのは、早くても準決勝となるだろう。
残りの騎士二人は僕とは逆のブロックで、ついでにマロークやアペリアも逆のブロックだから、そのうちの一人としか当たりようがない。
何だかこう、少しばかり残念な気もする。
そう言えば結局、アペリアは僕の屋敷を滞在場所には選ばなかった。
彼が順当に勝ち進んだ場合、ウェーラー王国が接触を図る可能性は充分あるだろう。
南方から剣奴として連れて来られたミダールの民であるアペリアには、帝国を恨むに足る理由がある。
もし御前試合に優勝して彼の名が売れれば、南方から連れて来られた奴隷達の希望に、或いは奴隷達の反乱の旗頭となれてしまうから。
アペリアが誰かに唆されたなら、優勝した後に反乱の旗頭となろうとしたなら、きっと彼は消されるだろう。
それを防ぐ為にも出来れば近くに居て欲しかったが、御前試合での優勝を争う間柄である以上、無理強いをする資格は僕にはない。
実にもどかしい話であった。
しかしまぁ、どうしようもない事で思い悩むのは趣味じゃない。
要はアペリアに優勝させなければ、例えウェーラー王国が接触した所で問題ないのだから、彼が決勝まで進んだとしても、僕がそこで勝利すれば問題はないだろう。
流石に確実に決勝に進み、更に勝利出来るとまでは言わないが、剣で解決出来る可能性があるのなら、最大限努力するだけである。
僕の一回戦の対戦相手を確認すれば、見た事のない名前であった。
参加都市を確認すれば、東方部にある四大都市の一つ、ドラードからの参加らしい。
都市の中には上級剣闘士が一人しか居なくて自動的に決まったり、或いは一人も上級剣闘士が居ない為に、中級の剣闘士から無理矢理選抜してる様な場合もあるけれど、四大都市からの参加なら上級同士で枠を争って勝ち抜いてる剣闘士だ。
決して油断して良い相手ではない筈である。
今からでは相手の詳細を調べる事は叶わないが、それでも身体を伸ばして温めて、動き易い様に準備位はしておこう。