2-2
「ぁぁぁあああああ!」
掛け声とも呼べない金切り声を上げて、私は空を蹴る。サーベルを振り上げて怪物に切りかかった。
ほとんど闇雲に突っ込んでいく私を、怪物は冷静に翼で受け止める。刃が当たると、パキッと翼の表面が割れて内側の黒い鱗が覗くとともに、キラキラと破片が舞った。
この白いのはなんなんだろう、なんてのんきに考えてしまったところで、私は怪物の翼で払うように上空へ跳ね飛ばされた。
「うわあっ!」
腰を軸にした上下回転をくるくると数回繰り返すと、ようやく空中で止まることができる。
「うぇ……きもちわる」
ただでさえ足場がなくて落ち着かないのに、宇宙飛行士でもないと経験することのないような回転運動で平衡感覚がおしゃかになってしまいそうだった。
しばらくじっとして息を整える。
不思議なことに、まるでこっちの休憩を待ってくれているように怪物はこちらを見上げるばかりだった。
それをいいことに私はぐるぐると腕を回したりして、どこか痛いところはないか確認する。鎧のおかげか、これも魔法の効能なのか、目立った怪我は見つからなかった。
「大丈夫」
武器を構え直し、敵を見下ろす。
そこで、私は気づいた。
「杏子?」
校庭にはたった今昇降口から出てきたと思しき友人の姿があった。キョロキョロと辺りを見回して、なにかを探しているようだった。
(もしかして……私?)
確かに傍から見れば、私は先生に怒られている途中に様子がおかしくなって教室を出ていったようにしか見えないし、私も逆の立場なら追いかけるだろう。
(杏子……その気持ちは嬉しいけど、ちょっと危ないよ……)
ぎゅっと左手でサーベルの柄を握りしめる。
杏子が死んでしまったらと考えると胸の奥が締め付けられる思いだった。
(そうならないために、まずは――)
再び空を蹴り、その勢いのまま、怪物の頭に向かっていく。
刃で殴りつけるようにその立派な顎に振り下ろすと、怪物は口を開き、噛みつくことでサーベルを受け止めた。
「よしっ」
そのまま相手は体を捻って私を放り投げようとするが、足場のない空中ではあったけれど、どうにか踏ん張って、それを耐える。
怪物の力が緩んだところを見計らって、私は自分じゃない誰かが戦っていたあの初めての戦闘の感覚を思い出して、刃に絡みついた蔦に意識を集中する。
すぐに蔦は太く長く成長し、刃をくわえた首根っこを絡め取った。全身全霊の力を込めて、象よりも大きなその巨体を持ち上げる。
「ごめんなさいっ!」
サーベルを振り回し、怪物ごと半円を描きながら、遠心力とともに校舎四階の屋上目掛けて叩きつける。
ズンッ、と校舎全体を揺るがすような振動とともに、屋上にヒビが入り、もうもうと塵が舞った。屋上をへこませた怪物の右半身は、鱗も割れ、翼を覆っていた白色はほとんど剥がれ落ちていた。
私が蔦を元に戻すと、傷をかばうようによろよろと立ち上がる。
(だ、誰か様子見に来たりしないよね……?)
この期に及んで人目を気にしている場合ではないのはわかっているのだけれど、ここまで派手な音を立ててしまえば、騒ぎになってもおかしくはない。
一応、窓を覗いて教室の様子を伺いつつ、明らかに動きの鈍っている怪物の翼を目標に飛び降りた。
落ちる勢いを乗せて、両手を振りかぶり、守るものの剥がれた翼の付け根へ刃を振り下ろす。
「ギィァァァァァァァ」
翼を切り落とされた怪物は傷口から青い血しぶきを上げながら、自分の作った血だまりの中を悲痛な声を上げてのたうち回る。
(やった!)
目論見がうまくいったことに心の中で快哉を上げる。
コウモリのような怪物の翼を切り落とせば、敵は四肢の一つを失ったも同然。空を飛ぶこともできなければ、学校を襲うことも当然できない。
初陣ではあったけれど、これでみんなを守ることができたのだ。
達成感に浸りつつ再び怪物に目を向けると、片方の翼がもげたバランスの悪い体で、這いずるように私から離れようとする様子が目に映る。
(ひょっとして、この怪物もそんなに恐ろしいものじゃない?)
それは生き物として当然のことなのかもしれないけれど、そうやって怪物が生きようとして、死に恐怖する姿が私には至極新鮮に見えた。
今まではその醜悪な姿から、この世のものならぬモンスターのように思っていたけれど、彼らもああやって自身の成長と保存を必死にこなす一個の生き物なのかもしれない。
ただ、生きる場所が違っただけで。
物理法則が通じない、他のどこでも見たこともない、なんて、そんなの私の力だって一緒だ。
血痕を辿ってゆっくりと大股で歩いていくだけで、這っていく怪物にはすぐ追いついた。その進路を塞ぐように立つと、方向転換することもできずへたり込む。
象のように大きく、蛇のようなツルツルとした光沢を放つ鱗、白い石に覆われたコウモリのような翼と馬のような気味の悪い顔を持つ怪物。
改めてよく観察して、それでもやっぱり嫌悪感は拭うことはできない。
けれど、それは彼らが死ぬべき理由にはならない。
ふと思い立って、体温を感じようと、その頭に右手をのばす。
「いったあ!」
のばした手が触れる直前に、怪物は頭をひねって噛み付いてくる。
噛みつかれた前腕は鎧があるためにいきなり噛みちぎられることはなかったが、それでも必死に牙を突き立てようとする。
(当たり前だよ! なにやってんの私!)
段々と痛みが強くなっていって、いよいよ前腕への締め付けが耐えられなくなりそうになった時。
「うぅっ……………………あれ?」
腕にかかっていた圧力が一気に緩む。逆に、たった今まで食らいついていた顎はダランと垂れ下がり、その目から光が消えていた。
気づけば、私の右手にはレイピアが握られていて、怪物の口内から喉奥を貫いて後頭部から刃が突き出ていた。
レイピアを抜き取ると、血と唾液でどろどろになった手にはさっきまで痛みのせいで気づかなかった生暖かい口内の体温が感じられて、生き物が死ぬということを強く意識する。
「あぁ……」
私が、殺したんだ。
支えをなくした死体が屋上に転がると同時に、尻尾の先から粉のような姿に崩れていく。
さらさらと風に流されていく様子をじっと見つめながら、私は自分がなにをしたのかを考えていた。
昨日、エタった作品までふくめてぼくの全作品に目を通してくれた人がいたようで、感激しました。気に入ってくれたなら嬉しいです。