7-8
「ありえない! 俺の作品が! 負けるわけが!」
放物線を描いて紫石が落ちていく着地点。
そこに立っていたのは、眠ったままのはずの舞ちゃんだった。
目をつむったまま、ローファーを履いた足はグラウンドから浮いた姿は、杏子の変わり果てた姿とどこか似ていた。
スローモーションのようにゆっくりと、宝石は落下していき、ぴったりと彼女の両手に収まる。
(どういう……!?)
彼女が紫色の石を受け取った瞬間、世界が色を変えた。
実際に見える色が変わったわけではないけれど、なにもかもが違うような気がした。
見回せば、白衣の男は、時を止められたように固まっている。
制服のままの舞ちゃんは足を地面から離して、杏子に近づき、一体であるかのようにその手を握った。
舞ちゃんの紫色も合わせて外したはずの九つの宝石と、杏子が使った盾と同じ色の宝石、全部で十個の石が彼女たちの背後で並び、何らかの形を作った。
ふわりと私の身体がひとりでに浮かんで、後輩と親友へ近づいていく。
私がなにか言い出す前に、彼女たちは口を開いた。
「「あなたは、私たちの一部であり全部」」
彼女たちの声はよく知っているはずなのに、二人同時に話すせいで、まるで別人の声のように聞こえた。
「えっ? な、なに?」
わけもわからず聞き返しても、彼女は続きを話すだけだった。
「「0にして∞。知恵の実をもぎ取った知識の最であり、生命の樹への道のりを進む神の相似」」
知恵の実? 生命の樹?
聞いたことのある単語ではあったけど、それがどうしてここで立ち現れるのかがよくわからない。
最後に、彼女はこう言って、言葉を結んだ。
「「きっと、またこの世界で会うことになる」」
(それはつまり、今はご挨拶ってことかな……?)
彼女が言うだけ言うと、私を含めた三人の身体はゆっくりと地面に下りていく。
宝石はいつの間にかどこかに消えて、世界は元に戻っていた。
降り立ったところで、死の呪いが解け、自分の身体の傷が治っていることが意識に上った。
それから、杏子を体に目を向ければ、もう枝なんて一本も生えておらず、皮下の管や突起などの訳のわからないものはすべて消え去っていた。
「よかった……」
気づけば、空は白み始めていて、朝陽が昇ってこようとしていた。
夜が明けたことに、ひとまずの爽やかさと朝を迎えてしまった徒労感が肩に乗る。
そこへ這いずるように近づいてくるものがいたことに気がつく。
「嘘だ! なぜ、なぜお前が立っている! 俺の作品は完璧だったはずなのに……!」
叫び続けながら杏子に触れようとする男にサーベルを突きつけた。
「触るな。死にたくなかったらもう二度と私の目の前に現れるな」
私は冷たく宣告する。
そのままずりずりと情けなく後ろに下がっていく彼は抱えていた本を焦った手つきで、めくり始めた。
「ハアハア、違う、ありえない、ハアハア、なにかなにかあるはず」
焦点合わない目で、荒い息を吐きながらも諦めないその執念は見上げたものだったが、しつこい男は気持ちが悪いだけだった。
「ちょっと、いい加減――」
そう言いかけたところで、彼の様子が変わったことに気づく。
「あああああ、あああ、あああああああ! 違う! 俺はまだ失敗してない!」
さっきまでとは違う、なにか具体的なものへの恐怖。まるで目の前に恐ろしい悪魔でも存在するかのように、目を見開き、男は声を上げ続ける。
「まだ終わってないんだ! 終わりたくないぁあああぁぁああああぁあああ!」
なにかに恐怖するように空を見つめたまま叫び、後ずさり、絶望を込めた絶叫と衣服だけを残して、彼は消えてしまった。
「嘘……」
もうさすがに不思議な体験には慣れていた私も、目の前でしゃべっていた人間が――例え心底嫌っていた人間であっても――消えるというのは、大きなショックがあった。
彼が身に着けていた衣服を掴み、丸めて、投げて、本当に消えたということを確かめる。驚きに拍動する心臓を叩いてつぶやく。
「もう、ほんと最後まで迷惑しかかけないやつだ……」
さらに、もう一つ、彼が残していったものに目を向ける。
本。
大判で、分厚くて、革張りの、殴れば人を殺せそうな本。
お母さんがお父さんの命を救い、お兄ちゃんの魂を抜き、私を魔法少女に作り上げた最大の原因。
そして、新たな『救世主』として、杏子を巻き込んでしまったのも、この本のせいだ。
結局、最初から最後まで、これに振り回されていたようなものといってもいい。
「きっといつか、これを使って同じことをする人間が現れるんだろう」
お母さんが手に取ったように、この男に手渡されたように。
壊すべきだ。
もしかしたら、ものすごく貴重で、壊したら一生失われる知識なのかもしれない。
でも、なにもわからない私にしてみれば、悪の根源だ。
私は、その案に賛成。
私以外話し合う人間はいないから、全会一致。
一人うなずいた私は、本の前に直立する。目をつむって、思い切って、サーベルを本に振り上げる。
「私は反対ですね」
聞き覚えのある声が、目の前から聞こえた。
執行寸前に反対勢力が現れて、剣を振り下ろす手を抑えられる。
目を開けると、そこには黒いビジネススーツの男が立っていた。
「あ……」
一目見て、思い出した。
その顔も、その声も、どうして忘れていたのだろう。
ひとまず剣を下ろして、一歩二歩、後ろに下がった。
「傘、ありがとうございました」
「どういたしまして」
杏子と喧嘩して大泣きした帰り道、私はこの男に出会ったのだ。
それから、手帳に書かれていた木鈴へ行く予定も、昨日昼間の電話も、全部この男だった。
ほとんど全部、彼に導かれているようなものだったのか。
「あなたは……一体……?」
「そうですね、まずは自己紹介をしましょうか」
しゃべりながら、黒ずくめの男は西洋風に礼をした。
「『這いよる混沌』。『無貌の神』。呼び名は様々ですが、一応、ナイアルラトホテプの名で通っています。長いのでナイアルラとでもお呼びください」
混沌。
神。
唐突に現れたスケールの大きい言葉に、頭が混乱しつつも理解しようと試みる。
「あなたは神様、なの?」
「造物主かと問われればそれは否です。何者かということなら、私はあなたが倒すべき『旧支配者』の一角ですよ。『救世主』」
『旧支配者』、それは人間が『救世主』を作り出し打倒すべき敵、だったか。
白衣の男と口裏を合わせていないとも限らないけれど、でたらめを言っているわけではなかったらしい。
「でも、あの男の話なら『旧支配者』は封印されているはずじゃ……?」
「ええ、それはそうです。私は少々特別でしてね、一定の役割を果たすことを条件に許されているというところですか。世界の支配になんて興味はありませんし」
「支配者が支配しないっていうんなら、じゃあなにが目的なの?」
「私の目的はただ一つ」
「それは?」
「世界平和です」
彼の返答を聞いて、私が「うさんくさい……」、と思ってしまったことは表情から伝わってしまったようだった。
「疑うのは別に構いませんが、私がここまであなたに接触してきたのは、きっとあなたが『救世主』として十分な力を手に入れられると思っていたからなんですよ」
「『救世主』として十分な力、ってなによ」
意地悪な質問だったかもしれない、とは口に出してから思ったが、彼はこれにも淀みなく答えた。
「二人分の魔法少女としての力。勝利を見極める慧眼。そして、『ネクロノミコン』」
「『ネクロノミコン』?」
聞き慣れない響きの言葉で、私はただ繰り返す。
「あなたの目の前にあるその本です」
言われて、地面に横たわった分厚い本に目を向ける。それから、おそるおそる手を出して、その本――『ネクロノミコン』を取り上げた。
「それは、千三百年前に書かれた魔導書で、それまでの失われた古代の知識が書かれていると同時に、これを手にした者が行ってきた実験データや結果が記載されている――魔術における巨人の肩そのものです。様々な言語で記述されていますが、開けば、言語も関係なく、必要な知識を取り入れることができる」
途方もない年数を告げられてさっき自分がしようとしていたことに身震いする。
けれど、これが人間を動かしてしまう力があるのは確かのはずなのだ。
「でも……これを読むと操られてしまったりするんでしょ」
「とんでもない。本は本です。あの男も、あなたの母親も、一瞬たりとも自由意思を失ったことはなかった。ただ知識を得て、その知識が正しいと感じた、そしてその通りに動いたというだけの話です」
「じゃあ、お母さんは本当に……自分の意思でお兄ちゃんを殺したっていうの」
「ええ、その通りです。もう一つお教えするならば、あなたのお母さんは息子が死んでしまったことを、一人の母親としてきちんと悲しんでいましたよ」
自分の母親が、半ばでも一時でもなく、真っ当に狂っていたということを告げられて、私は少なからずショックを受けた。
しかし、ショックを受けることにも私は慣れてしまったようで、自分が少し哀れだった。
「それで、私にこれを読めっていうの?」
「いいえ。私はただ、もっていて損はないだろうと言うだけです」
会話の一つ一つがなんだか信用ならないというか、信用させる気がないというか、とにかくうさんくさい男だった。
けれど、そこまでいうなら、この文化財は私がもらっておくことにしようかと思った。
口車に乗せられたというわけではないけど、さっきの杏子みたいなこともあるし、予想外のことに対する手札は多いほうがいいと思ったのだ。
お母さんが操られていたというわけでないというならば、これは母と、そして兄の形見のようなものなわけだし。
これは、口車に乗せられたということなのかもしれない。
「そして、『救世主』としての力をもって、世界平和に協力いただければこれ以上はないんですけど」
「見返りにプレゼントでもくれるの?」
「そうですね。願いを一つ叶えるくらいなら」
人間に契約を迫る悪魔というのは、こんな顔をしているのだろうか。
ただ柔和に微笑んでいるだけなのに、一つたりとも信用ならなかった。
「やめておくわ。なんだかとっても大きな代償を支払わされそうだし」
それに。
「他人に望みを叶えてもらう魔法少女はもうやめることにするから」
使い魔に利用されたり、救いを委ねたり。
周りに流されたり、答えを周りに求めたり。
泣きながら、無理しながら、義務に意思を委ねるのも。
嫌だと言いながら、戦いたくないと言いながら、励ましを求めるのも。
全部どれもこれも、それは私ではないのだ。
私は、狩りの道具でもなく、『救世主』でもなく、二重魔法少女でもなく、私になりたい。
自分の欲するものを望みたい。
だから、私は『魔女』になることに決めた。
自分のために、気まぐれのために、そして、望みのために魔法を使う――魔女に。




