7-7
「《教皇》」
雷に匹敵するようななにかを予想して身構えたが、なにも起こらない。
(失敗? そんなわけ――)
そんなことを考えながら、手を出しあぐねていた私は、杏子が一歩踏み出したところで気がついた。
彼女とまったく同じように足を踏み出している自分に。
「ちょっと、嘘!」
否応なしに足が進んでいく状況は怖いという以前に気持ち悪かった。
まるで法を敷かれたように、私は彼女と同じ動きを強いられた。
一歩、一歩ゆっくりと杏子が足を進めるごとに私も近づいていく。
まるで双子のように、私たちは鏡合わせの動きを続ける。
二人分の歩みによってみるみるうちに距離は縮まっていき、剣の間合いに入った。
杏子が右手を振り上げて振り下ろすだけで、身動きの取れない私は健康診断でもないのに内臓の断面図を晒す羽目になる。
杏子が剣を持った右手が上がっていき、私の右手も同じように上がっていく。刃の長さを見るに、私の剣が杏子を傷つけることはなさそうだった。
(死ぬ!?)
状況を整理しろ。どこかに糸口がある。きっとある。なければ死ぬ!
今私の体は杏子と同じ動きしか取れない。つまり体を動かすことはできない。なら、体を動かさずにあれを回避して――体が動かなければ回避できるわけがないだろ! 回避じゃなければ――
(まずい、来る!)
結果からいえば、剣が振り下ろされることはなかった。
サーベルから伸びた蔦が、鋭い刃を押しとどめる。
紙一重で防御が間に合って、どうにか私の身体が二つに分かれることは免れたようだった。
(このまま!)
レイピアから雷色の花弁を散らせ、彼女の背中の枝を狙う。
一枚一枚が光をまとった弾となって、まっすぐに飛んでいく。
この身を縛る灰色の宝石が生った枝を落として、さらに残りの四つの宝石にも狙いを定めたが、身を翻した杏子によってかわされることとなった。
「あと二本!」
この勢いのまま押し切ってやる、という気持ちで、その背中を追いかける。
上昇し、暗い空に舞い上がっていく。
気づけば、学校の屋上すら下方に小さく見えるのみになっていた。
「杏子!」
呼びかけると、それに応えるようにこちらを向いて、勘違いでもそれが少しうれしかった。
黄色が揺れ、緑色が揺れる。
「《 》」
また後手に回ってしまった、と私は歯噛みしたが、同時に、違和感に囚われた。
今までの二回の手順とは違ったところ。
今、彼女は、なにかを言ったか……?
パクッと乾いた音が鳴って、鎧の左肩が割れる。
(当たった!? でも、これくらい――)
左肩はまるで刃が食い込むように、ゆっくりと肌が割れていく。その痛みに私は彼女を追うのをやめてしまった。
するとすぐに右手の指が火傷を負ったようなヒリヒリとした痛みを訴え始める。鎧の胸板は凹み、徐々に私に届こうとする。全身に抉るような傷が一つずつ刻まれていく。脇腹を爪で裂くような荒々しい傷から血が迸る。
身体を蝕んでいく痛みと、それによって励起される記憶から、私は気づかされた。
これは、『死』だ。
私が回避してきた死が、今ここに繰り返されている。
一斉に脂汗が吹き出した。
死には、恐怖には、慣れたつもりでいたのに、直面するとそのたび身が竦む。
まだ生きたいんだと思い知らされる。
(とにかく、これを止めないと!)
私が足を止めた間に下へ降りて行ってしまった杏子を追って、高度を下げていく。
上がり始めた時のように、杏子は中学校のグラウンドの上に浮かんでいるのが見えた。
「決めてやる!」
一直線に急降下して、その背中に剣を振り下ろすけれど、杏子はひらりと身を躱してしまう。
「やっ!」
右手で、左手で、交互に攻撃を繰り返して枝を狙ったが、その度避けられてしまう。
この間にも、『死』は進行しているというのに。
垂れた汗が傷口に入り込んでピリピリとした痛みを放つ。
右手の火傷は段々と広がって振るのが辛くなってきた。
このまま彼女が攻撃を避け続けるだけで、私は死んでしまうのか。
「杏子!」
焦りと不安が堆積して、再び意味もなく親友の名を呼んだその時、左肩に強い痛みが走った。
「うぅあがっ!」
声が抑えられないほどの痛み、そして、力の入らなくなった左手からサーベルが重力にしたがって落ちていく。
死の刃が左肩の腱まで届いたようだった。
視点の定まらないまま、ふらふらとした軌道でグラウンドに降り立つ。
自分の足で立たなくてはならなくなった途端に、自分が思っていたよりずっと傷ついていたことに気がついた。
刃を下にして地面に突き刺さったサーベル、それに並べるようにしてレイピアを立てて、支えにする。
ぽたり、ぽたり、血と汗が混ざった液体が滴り落ちた。
膝から力が抜けて、重力に負ける。
「どうした! もう終わりか!?」
三下ヤクザのようなセリフが聞こえるが、耳に入れるなんて余裕がなかった。
死。
それは崩壊と再生。
個人と世界の狭間。
静止と螺旋。
――薄れていく意識の中に、一つ思いついたことがあった。
私の魔法なら、きっとできる。
信じれば何でもできるなんて柄じゃないけれど、やってできないことはあんまりない。
目を開けた。
杏子は、さっきと同じ場所に浮かんでいた。
指先が真っ黒になって痛みすら感じない右手でサーベルを掴み、一本の蔦で手首に固定する。そして、もう一本の蔦でレイピアの鍔をひっかけた。
最後の力を振り絞って立ち上がった私は、サーベルを固定した右腕を頭の上でぐるぐると回し始めた。
刃の先に延びたレイピアも一緒に回っていき、一回りするたびに蔦が伸びてその半径を増していく。
風を切る勢い。右手にかかる重み。軋む体と蝕む痛み。
その全てを、叫びとともに、投げつけた。
「ああああああ!」
魔法少女の膂力と遠心力によって、刺突剣は敵に風穴を開けるため空を飛んだ。
攻撃を受けた彼女は例に漏れず紙一重のところで避け、剣は枝の間をすり抜けていく。
(よし、読み通り!)
彼女は自分の意思で戦って、攻撃し、避けているわけではない。私を倒すという命令に従って最低限必要なことをしているだけだ。『死の再生』によってフラフラになった私にとどめをささないのがその証拠。
だから、回避を行う場合も、最低限の動きしか行わない。
枝の間を通っていったレイピアを、蔦を縮めることによって引き戻す。位置を調整して、きちんと間を通って戻るように。
予想通り、杏子は微動だにしなかった。
レイピアが枝をかすめる瞬間、刃から棘が伸びる。
勢いを乗せた棘が、青、緑、黄色の宝石がついた枝を刈り取っていく。
「なんだと!」
驚くような男の声にかぶせて叫ぶ。
「まだだ!」
掛け声とともに、体ごと一回転して、その刃を最後の枝に叩きつける。
「輝き、貫き、閃光は――」
「遅いっ!」
鞭のようにしなった蔦は先端の剣を力に変えて、四本目の枝を叩き折った。
破片に変わった枝は、はらはらと空を舞う。
最後の破片が、枝が、紫色の宝石が、とてもゆっくり落ちていくように見えた。




