7-1
「かさね、おかえり」
学校から帰って、リビングに入ると即座に声をかけられる。
顔を見せたのは、父親だった。
「お父さん……?」
時計に目を向ければまだ三時も回っていないころで、いつも忙しい彼が帰ってくるはずがない時間だった。
「どうしたの?」
「それはこっちのセリフだよ」
怒ったような様子で言い返されて、ようやく私は、自分が先生に怒られている途中で逃げ出した上に授業をサボって帰ってきている、という状態であることに気がついた。
お説教が待っているのだろうか、と意気消沈しながら神妙にテーブルに座ると、反対に父親は立ち上がった。
(先生が電話したのかな……)
余計なことを、とは思ったが当然のことだったし予想してしかるべきだった。
私は、生まれて十五年間ほとんどずっといい子にしていたから、あまりこんな風に叱られる様な経験はなくて、無暗にドキドキしてしまう。
あんなことがあった後も、こんな日常で緊張したりするのかと考えると、不思議な気がした。
その内に、父親が戻ってくる。
(…………)
顔を伏せて、言葉を待っていた私に、差し出されたのは冷水で濡らしたタオル。
「冷やさないと、目は明日に残るから」
「え……」
「ほら」
戸惑いながらも、タオルを受け取る。
毎朝靴を履き替える下駄箱、毎日通っている通学路、生まれた時から変わらない街並み、そういった現実を見て、目の前で起きていたことが現実であると理解した私はちいさくすすり泣きながら帰り道を歩いてきた。
まさか、帰ってきたらお父さんがいるとは思っていなかったから。
「……ありがとう」
「うん」
受け取ったタオルを目に当てると、冷やすためなのにじわじわと目の奥が熱くなって、ほんのすこしだけ、余計にタオルが濡れる。
しばらく私のことを待ってから、父親は口を開いた。
「先生から電話があったんだ。かさねが学校からいなくなったけど連絡とか来てないかって」
「うん」
鼻声なのがばれないかと心配しながら、返事をする。
「それから事情を聞いて、最近のかさねの様子とか、聞いたんだ」
「……うん」
最近の様子というのは、窓の外にいきなり恐怖し始めて教室を飛び出す、とかだろうか。
それがお父さんに伝わってしまうのは、恥ずかしさもあった。
「受験でちょっと情緒不安定になってるんじゃないかって先生は言ってた。僕も最近あんまりかさねと話してなかったけど、なにか抱えてはいそうだなって思ってはいたからそれだけ」
(意外と見られていたんだ……)
ことがことだから、どうやったって相談はできなかったけれど、なにもいわなくてもある程度は察されていたようだった。
「それから、一度進路の話も兼ねて三者面談をしたいって」
「そっか」
「ええっと、僕でよければ話聞くよ。先生はかさねがクラスで馴染めてなさそうとも言ってたし、それって……」
いじめ、か。
父親は言いよどむような言葉だったのかもしれないが、今の私からしてみれば、そんなこともあった、という程度だった。
状況が変われば重要度も変わる、それだけのことだった。
「ううん、それは、まあ大丈夫」
「そう? それならよかったけど」
父親はあからさまにほっとした様子だった。
「かさねは、お母さんに似て結構抱え込むところあるから、心配だよ」
彼の言葉に、思い出す。
その母親について、聞かなければならないのだと。
白衣の男が喚いていたこと、彼らが言っていたこと、そして、白衣の男と同じ呼び方をした、電話の男のこと。
全部ここにつながるはずなのだ。
「お父さん、一つ聞いていい?」
「ん?」
「お母さんは、このくらいの大きさでこんな分厚くて、」
身振り手振りであの男が持っていた本の形を表しつつ、
「黒い革装丁の本、持ってなかった?」
聞くと、お父さんは少し考えるように目をつむった。
「そんな本なら見たことあるなら覚えてると思うけど……記憶にはないなあ」
「そっか……」
「でも、お母さんはそれこそ本当にたくさん本をもっていたし、僕も見たことないのはたくさんあったからね」
「整理した後の書斎にあれだけあるもんね」
「うん。お母さんは亡くなる前に大分減らしちゃったから今は結構すかすかだけど、もともとは本棚から溢れてるくらいだったんだよね」
「え? お母さんが整理したの?」
「ああ、そうだよ。入院するちょっと前くらいかなあ。突然本とか服とかそういう私物をを捨てたりし始めてね」
お父さんは、その時のことを思い出したのか、寂しそうに天井に目を向けた。
「……僕はすっきりしてる方が好きだから当時はいい兆候だとか考えていたものだけど、今思えばけじめというか、理解してたんだろうね」
お母さんは死期を理解して、私物を整理していた。
じゃあその中にあの本があったとしてもおかしくはない。
自分があの本を処分するとして、古本屋に売るようなことはしないだろう。
たぶん、欲しがっている人間に直接渡す。
さらに、その時のお母さんの身体状況を考えれば……。
「ごめん、湿っぽくなっちゃったね」
父親はそういっていたけれど、気にせず質問を投げる。
「お父さん、お母さんが私物を整理しているところに、誰か訪ねてこなかった?」
「うん、あげたりするものも多かったからちょくちょく人は来ていたけど」
「じゃあ、ひょろっとして背が高くて、なんか危ない感じの若い男の人は?」
「え……あ、大学の後輩っていう人がそんなだったかもしれないな。分厚い本ばっかりたくさんもらっていって――」
「それ!」
私は思わず腰を浮かせて、叫んでいた。
間違いない、あの男はこの家に来て、私の母親から本を受け取っている!
そして、お母さんは、やっぱりあの本を所持していたのだ。
そこまで考えて、お父さんが怪訝そうに私を見ていることに気づき、そろそろと腰を下ろす。
「その人がなんかあったの?」
もはや心配そうに尋ねるお父さん。
「い、いや、なんでもないよ……」
興奮しすぎて、どうごまかすかなんて考えていなかった。
しかし、母親が男の言う『前任者』であるということは確証が持てた。
でも、それだけじゃなにもわからない。
そもそもどうしてお母さんが?
ぶつぶつと思考をたどっていると、父親がぽつりとつぶやいた。
「そういえば成実もそんなところあったなあ……」
「お兄ちゃん?」
成実、それは亡くなった兄の名前だ。
お父さんは、そのまま話をつづけた。
「うん。お兄ちゃんも、なんだか、よく不思議なものとか持っていたりして『それどうしたの?』って聞くと、得意そうに『なんでもないよ』って言ったりして、それに似てるなって」
「へぇ、あんまりお兄ちゃんの話って聞いたことなかったね」
「まあ、機会もなかったしね。あとは、そうだなあ、妖精と話してたな」
「……妖精?」
「ちょっと気取った言い方だけどね。ほんとはイマジナリーフレンドとかいうのかな。見えない友達としゃべってたりした」
「あー、小さい子だとあったりするって――」
――――違う。
無意識に、言葉が途切れる。
妖精でも、イマジナリーフレンドでもない。
私はそれと同じものを、ついさっきまで見ていたじゃないか。
そうだ、だって、あいつは言っていた。
『子供たちは、世界を救う礎になる』のだと――!
「かさね? 大丈夫?」
父親は、突然話をやめた私に声をかけていたが、私の耳には届かなかった。
二つ、繋がった。
じゃあ『父親は死の淵から蘇った』というのは……?
「お父さん……もう一つ聞いていい?」
「かさね、本当に大丈夫?」
「ちょっと今は気にしないで」
「そ、そっか……。それで、聞きたいことって?」
委縮してしまった父親には悪いが、ここは真相を優先したい。
「お父さんは、お母さんと会ってから死にそうな目にあったことってある?」
「死にそうな目? なんでそんなカウンセラーみたいな質問を」
「いいから。なかったの?」
「……それが、あったんだよ。ちょうどかさねがお母さんのお腹の中にいた時に、お父さん盛大に車にはねられたんだ」
「あるんだ……」
「頭を打って二週間くらい目を覚まさなかったらしくてね。お医者さんからは後遺症もなく健康に戻れたのは奇跡だって」
奇跡……。
それは本当に人為ではなく、奇跡だったのだろうか?
「いやあ、あの時はお母さんにすっごい心配かけたからかさねがちゃんと生まれてくれるか心配だったよ」
もしかしたらその時、母は父を助けるため、神頼みをする気持ちで魔法や儀式なんかのオカルトに頼ろうと考えたのかもしれない。
その結果、あの本に行きつき、おそらく、父を救ったのだ。
あの男は言った。『この本を読めばすべてわかる』と。
なにが、わかるのだろう。
母は、なにがわかったのだろう。
私の予想が正しければ、男の前任者であり怪物の指し示した、「私の力を作った者」とは、私を生んだ母親その人だ。
件の書斎は、お母さんが亡くなる前は、本が崩れたら危ないから絶対に入ってはいけない、といわれていたけれど、実は一度だけこっそりと入ってみたことがあった。
そのころの私の頭よりも高く積みあがった本の山と、それを囲む天にも届くような本棚、そのどこかに、父親の命を救い、私の力を作り、怪物を召喚するような魔法を行使できる本があったなんて、まったく現実感がなかった。
果てには、自分の兄まで魔法少女――いや、魔法少年であったかもしれないなんて冗談が過ぎる。
そして、その兄も『世界を救う礎』らしい。
そもそも力を作るとはどういうことなのか。
私と舞ちゃんの違いとはなんなのか。
世界を救うとはなにを指すのか。
ただの『上岡かさね』だった私は。
『試作品』と呼ばれ。
『救世主』と呼ばれ。
しかし、人間ではないという。
一体、私はなにものなの?




