はんぶんこ
大降りだった雨は止んでいた。まるで母のためにあったような通り雨。
私たちはひとまず久方ぶりの私の部屋に戻った。ハルの家より近かったからだ。
そして緊急事態だった。律の具合が悪くなったのだ。体調がというよりは、律としての存在が揺らいでいた。無理もない。ハルが沈んでしまった理由がわかった以上、律もただでは済まなかったということだ。
ここ最近の事情で物やゴミが散乱した六畳間のこじんまりとした私の部屋に律がいるというのはなんとも言えないシュールさがあった。律は「汚ねー部屋」と悪態をつけるくらいには存在出来ていたが、私の万年床に寝かせると完全に病人だった。
「どうしよう、律、大丈夫⁈」
「潮時かもしれない」
「そんな、消えたりしないよね⁈」
「俺はドッペルなんだ。いずれは消えた方がいい役割なんだ。お前だって今日、一人を追い出すことに成功したじゃないか」
「そうだけど……!」
律はハルに似た可愛らしい赤い顔で微笑んだ。
「やめて、そんな顔しないでよ……これで最後みたいに笑わないで!」
「お前、格好良かったぞ。お前ならきっとハルを起こせる」
声を絞り出し、律は私の頭を震える手で撫でた。
どうしてハルも律も、私がしてほしいことをしてくれるのか。
私もこうする側でいたい。ねじれた愛情のまま相手を傷つけるのではなく。
「俺が落ちれば、この身体は一旦解離状態になる。誰の器でもなくなる。そこから、ハルを呼び覚ましてくれ。頼む」
私の頭を撫でる手がポトンとあっけなく落ちた。
「律」
彼の、いや彼女の目蓋は閉じ、眼球は小刻みに震えているように見えた。解離状態。
私の身にも覚えのある現象だ。誰が浮上するのかを決めかねている。誰が?
――ハルが。
律が落ちたことへの悲しみに浸っている時間はない。
もしここでハルが目覚めなければ、他のドッペルが形成されるか、私の第三のドッペルだったもののような人でない存在が彼女を拠り所にする可能性がある。
出かかっていた涙を堪えた。しかしまたすぐにハルを想うと目頭が熱くなり、一筋雫が垂れた。
「ハル。よく聞いて。私はハルともう一度会いたい。まだ大切なこと伝えてない」
ハルの手に指を絡めて私は言った。
「『私にも経験のある感情』だって言ったよね、私。それはハルちゃんに対してだったんだよ」
「嘘⁈」
「え?」
ガバッと。彼女、ハルは刹那の一秒で上半身を起こした。腹筋……と思いがかすめたが、そのくらいに余裕が持てる状況に、既になっていたのだ。
「それって宜しく私とお付き合いして頂けるということですね?ナツ⁈」
「あの、一応確認しておくけど、ハル……なんだよね?」
「ええ、ええ、ハルです東宮ハルです」
「あ、よかった、浮上できたんだ……」
「ナツの告白にびっくりしすぎて文字通り飛び起きちゃったわ。人間やればできるものね」
「あの、お父さんの件……」
「そんなのいい!もうどうでもいい!八歳からの九年間とかほんと、ナツとこうしていられる今に比べたら些細なことよ!」
「はあ……」
とため息をついた。ホッとしたと同時にハルのタフさに心底脱帽した。
「律は、大丈夫なの?」
「ええ、さっきすれ違ったわ。なんだか、見たこともない優しい顔になっていた。まさか……ナツのこと……」
「う、うーん、ないとも限らないけど……ハルのドッペルだし同調はするでしょう」
「だとしたら、私の気持ちは貫いていいわね」
律なら、ハルを大事にする律なら許してくれるだろう。違ったらごめん。
今度は私がハルのドッペルになる。大事にする。
「じゃあハル、改めて宜しく……宜しく私とお付き合いなさい」
ハルの話では、律は深く眠っている状態にあるという。おそらく、ハルが私から剥がし自分へと戻した『はる』とともに。それは律による『はる』の修繕作業だそうだ。何年かかるかわからないが、ハルはその作業が終わったのちに律と『はる』を再び自身のドッペルにするかどうか、または他人に譲渡するかどうか決めるらしい。消去してしまうにはあまりに長い間お世話になりすぎた、と彼女は語った。きっとその決断をするときには、私たちはもう大人になっているのだろう。今より良い判断を、選択を、今度はハル一人ではなく私も一緒にすることになる。未来ではそんな関係であってほしい。
ハルも私も今現在ドッペルなしで存在している。今はお互いがドッペルのようなものなのだ。
律と『はる』、どちらにも私は「ありがとう」と伝えていない。
その分ハルを大事にするからね。そして私は力強く生きていくから。
火曜日はハルと一緒に登校できた。友人たちはこの組み合わせに面食らったようだ。
ハルが友達を作らなかったのは、もっと言えば私ともあの日までコンタクトを取らなかったのは、下手に近づくことで解離現象が起こることを防ぐためでもあり、また自分を取り巻く不思議な世界に誰をも巻き込みたくなかったからではないかと私は推測した。
「東宮ハルです」
「いや知ってるし!めっちゃ町中で顔知られてるし!」
ハルのズレているところは友人たちには好評だ。
この日二人で「屋上前の階段の踊り場で焼きそばパンを食べる」イベントをした。
「これが、噂に聞く青春……!」
やはりハルは面白い。
「こんなもので感動していたらもうじき来るクリスマスなんてどうなっちゃうの……?」
「そんなの『くりぱ』するしかない!」
「うん、うん、しようね、プレゼント交換とかしよう」
長期休暇を勝手に取ってしまったが、そろそろ私たちの学校は冬休みに入る。そういった学校行事(冬休みが学校行事というのはどうなのかわからないが)の折々に、実はハルがいたと今まで気づかなかったことがどうしても惜しまれる。ハルはどんな気持ちで一人、私を見てくれていたのだろうか。
そんな申し訳なさすら吹き飛ばす魅力がハルにはあって、私はついつい甘えてしまう。ちゃんと出会ったのはついこの間だというのに。
「考えたら、私とハルがこの学校にいることがすごいよね。まさか、それもハルの計算なの?」
「ん、そうね、そこは半々。私はナツの頭の出来を小さい頃知っていたし、多分家としても市内トップ校には行かせるんじゃないかとは思っていて。あ、ごめんなさい。家は余計だったわ」
「ああ、いいんだよ大丈夫。そこは決着がついてるから。そうか、そういうこと」
「これでも私はあれから頑張って学力を上げてね。それでもまあ、ナツとこうやって出会えるとは思わなかった。ましてや関わりになれるなんてね」
「関わりになる、なんて、今は恋人同士でしょ」
ハルは無言で顔を覆い、立膝に頭を埋めた。
戻ってこーい。
「ハルはK大受けるんだっけ」
「今のところは、そうね」
「私もそうする」
「本当⁈」
現実は甘くないとか、どうせすぐに別れる、とか、言いたい奴には言わせておけばいい。
私たちは九年間、互いの全存在をかけて恋をして、今ともに生きているのだ。
――ねえハルちゃん、いつかハルちゃんに言わなくちゃいけないことがあるの
――じゃあ、もし私のことを思い出したら言ってくれる?
『はる』をもらう直前の記憶だ。
「ハル」
「なあに?ナツ」
「私はハルがとても好きだよ」
ここまで読んでくださった皆様に感謝いたします。
春と夏で一年の半分、という見方もあるのかなと思いました。いつか秋と冬のお話も書けたらいいですね。




