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恋喰ドッペル  作者: 仁科晶
2/4

存在

五部で完結というのを訂正です。この回含めあと三回で終わる予定です。

 目覚めたら、まずこの「目覚める」というルーティンが何十年ぶりかのようでぼうっとしていたので、そこがどこであるのか今が何時であるのかなど気にしていなかった。

「おはようナツ」

  ハルの声がするほうへ顔をやると彼女はキッチンで何か料理をしていた。

  ここは学校でも私の部屋でもない。

  ゆっくりと身体を起こすと、久々の「良く寝た」感覚があり、そしてあの悪寒は消えていた。もっと言うと、顔のつっぱりがなくなり身体の痙攣もそれほど強くないようだった。

「今は私とナツがファーストコンタクトを取った日の翌日の午後一時よ。二人して学校はおサボりね。明日は土曜日だし、四連休。そしてようこそ我が家へ」

「わ、私そんなに眠って……いや、眠れて、そしてここ東宮さん……ハルの家なの?」

「ボロい家でごめんなさいね。姉と住んでいるのだけれど、あの人今長期出張中だから」

「私をわざわざここまで送ってくれたの?」

「ええ、タクシーで。ナツを担いでいこうと先生を説得するのには手間取ったけれど、ありのまま、ここにしばらく居させてあげてくださいと言っておいたわ。ナツは家族、いないんだってね」

「うん」

「私を家族と思って、というのは何か違う気がするから……とりあえずブランチにしましょう」

  ハルはポトフ(多分)がたっぷりの鍋を食卓に置いた。私が起き上がったベッド(ソファが変形するタイプのものだ)までその匂いが届く。

  誰かが作ったごはんなんてそれこそ百年ぶりくらいの勢いだ。

「ちなみに、気にしていたようだったから全身の汗は私が拭いておいたわ」

「え⁈」

「そして着替えも済ませておいた」

「さらっと何をしているの⁈」

「大丈夫大丈夫、見てない見てない」

「いいや見たよね⁈そのご満悦の顔は見たってことだよね⁈」

「だからナツはベッドから出る、ここまで来る、食卓につく、のワンツースリーステップで私の手料理を食べられるのよ。さあ、来なさい。お腹すいているでしょう」

  確かにこの身にポトフの匂いは辛いものがあったので、私は文句をしまってハルが私のために引いている椅子に腰かけた。ハルも私の向かいに座る。

「いただきます」

  スプーンで一口、スープを口に流し込むと、とんでもない暖かさと優しい味に全身がジンと震えた。悪寒とは真逆の幸せな現象。

「美味しい」

  私は笑っていた。本当に美味しかったから。

「コンビニのおかゆとは大違いだよ」

「こんなお手軽料理でそんな可愛い笑顔が見られるのなら、真面目にここに住み着いてほしいものだわ。全く、可愛いんだから」

  ドキッとしてハルの顔にちらりと視線をやると、彼女も幸せそうな柔和な笑みを浮かべていた。

  私のことが好きだというのは本当らしい。

「住み着くだなんてそんな、って……待って、私、顔おかしくない?」

「おかしくないわ。もう治っている」

  やはり。全身の痙攣も世界とコネクトできていない感覚(寝起きということを差し引いても)もまだ少しあるようだが。

  マスクと眼鏡をとっても、もう恥ずかしくない。

「私、私、みんなに会えるんだ」

  声は震え、勝手に涙がじわりと出てきた。

  これは私の感情なのか、内にいる彼女らのものなのかは測りかねた。

  あの悪寒がしないので彼女らの気配もリアルに受け取れない。受け取れなくすることができている。

「ナツ?どうしたの?私何かひどいことした?」

「そんなわけないでしょ、ハルって面白い。こんなの嬉し泣きに決まってるじゃない」

「よかった。ごめんなさい、私人の感情がよくわからないの。だからきっと不躾な物言いになってしまっているのよね。本をたくさん読んで学んではいるのだけれど」

「それなのに私に近づいてくれたんだよね。ありがとう」

  二人でしばらく笑い合いながらポトフを味わっていた。

  思えば食卓で誰かと向かい合ってごはんを食べるのは、初めてのことかもしれない。

「ごちそうさまでした」

  改めて私とハルは向き合った。

「さて、どこから話したらいいものかしら。そうね、まずは私から一つ質問をさせて。私は女子であるナツが好きなんだけれど、もうあんなことやこんなことをしたいという至って人間として素直な愛情を抱いているのだけれど、ナツが驚かないのは不思議だわ。不思議と捉えるべきだと私の知識が言っている。どうしてそうなの、ナツ」

「私にも経験のある感情だからだよ。普通のことだと私は思ってる。だからハルの気持ちは嬉しい。でも返事は少し待ってほしい。その前に色々と片付けなきゃならないことがたくさんある」

「なるほど、よくわかったわ。片付けるために、今度はナツからの質問を受け付けましょう」

「まず質問その一。ハルは私に何をして、眠らせてくれたの?薬を投与するわけでもなく。記憶ではハルは私の頭に触れただけで……それだけで私の意識は遠のいていったはず」

「スピリチュアル寄りの催眠術のようなものよ。ナツの身体が極度に緊張しているのを、すっと意識の糸にメスを入れ切ってシャットダウンさせた。緊張レベルを知るために普段の薬を知っておく必要があったから教えてもらったの」

「そこを掘り下げると時間がかかりそうだね」

「流石ナツ。話がわかるわね」

「質問その二。そもそも、ハルは私がこうだって、自力で眠れない体質だって知っていたように思える。それはなぜ?その道に詳しいと言っていた気もするけど」

「そうね、世間で心の病と呼ばれているものに関しては、これもまたスピリチュアル寄りの知識経由で詳しくなったという感じ。ナツがそうだとわかったのは今年同じクラスになった時から。好きになったのが先だけれどね」

「質問その三」

  私は険しい顔になっていたに違いない。表情筋が上手く働いて。

「あの悪寒は何?」

  ハルも笑みのレベルを静かに下げて、改まった。

「その質問を他人にできるナツはやっぱりすごいと思う」

「病院の検査では風邪でも薬を抜いたことによる現象でもないと、悪寒なんてあるはずもない、くらいにたしなめられた。でもはっきりわかるの。何かが入れ替わり立ち替わり身体の外も中も気持ち悪く撫でていく感触。それがあったからこの六日間眠ることができない地獄を見た」

「ナツはその正体を知っているんじゃない?」

「知っている。だからこれはきっとハルへの確認なんだ。あの子たちのことをハルは知っているの?」

「ええ。それは確かに医学的に見れば『疾患』や『障害』なの。でもそれは物理現象の範囲での話。もちろん医学を否定するつもりは毛頭ないわ。海を見るにしても海岸からか海中からかで見えるものは大きく違う。人間なんていう小宇宙のような存在に対する見方なんて無数にあるからこの世に文明や文化があるのよ。ねえナツ、その六日間にどんな子が出てきたのか当てましょうか」

「わ、わかるの?」

「傷つき係の幼い子。声色が高くてよく泣いている。そのおかげでナツ自身の痛みは軽減されている」

  なんで、どうしてこうなったのか、と床を叩いていた少女だ。

「二人目はさっきの子との見分けが難しい。無理をして自分を叱咤激励している。生活の事務的なことは苦手だけれどせざるを得ない立場にある」

  大丈夫大丈夫、の子だ。

「三人目は本来ナツに属する存在ではない。その辺によくいる人間ではないもの。弱ったナツの器を自分のものと思い込んで出入りしていたのね。歌を作るのが上手そうだわ」

  常にリズムを刻んで踊っていた子。

「多分いつもはこの限りではないし、愛称をつけようとしても見分けがつかないほど本体のナツと癒着している。だから今まで気づかなかった上に薬で感覚が抑えられていた。今回のことはその制限が外れたことによるものでしょうね」

「私たちは統合に向かうべきなの?それとも」

「私は彼女らをナツの身体から完全に追い払うべきだと思うわ。つまりこの現象はナツの脳機能の障害にとどまらず、精神世界を含めたものであると捉えるの」

「そうなればこの人格交代は身体だけの問題という域を脱して、身体の外から人格……いや、存在が入ってくるというものだと」

  そうすればあの悪寒の感覚に納得できる。私の身体の移動を追うように走り同化する存在があの時は二つ三つあったと思う。

「今の私はナツなのかな」

「紛れもなくナツだわ。それでいいの。それがいいのよ。その感覚を忘れないで。誰になっている時もナツは存在する。その子たちの中で……そうね、最初に言った傷つき係の子はもう危なっかしい。多分付き合いが一番長くてナツだけの力ではなかなか外すことができないと思うわ。でももう別れることをおすすめする。ナツが生きていくにはそうするべき」

「外すことが、できるの?」

「できるわ。私なら」

「ハルは、どうしてそんなことに詳しいの?」

「そうね、しんみりした話になるけれど」

  彼女は頬杖をついて遠い目をして語り出した。

「お父さんを探すために方々走り回った過程で身につけた知識と能力なのよね。私が小さい頃両親が離婚して、私と姉さんは母に引き取られて。環境になんの不満もないのだけれど、私は失踪したお父さんともう一度会いたいのよ。大好きだったから」

「もしかして、それで今モデルをやってるの?」

「すごい。ナツって本当に頭が回るわね。そうなの。ここ数日も仕事で駆け回っていて学校に行けなかったわね。ともかくお父さんを探すこと……これは私の個人的な願い。今の家族には頼めないことだから、探偵を雇うようなこともできないし、私の顔が知れればお父さんももしかしたら、って。そういうことを色んなところで話すとね、不思議な世界の不思議なつながりが出てくるみたいなのよね。でも結局有力な手がかりは見つからず、私のそういったスキルだけがメキメキと上がっていった」

  ハルは、私がたやすく捨ててしまった親というものを探し求めている。

  私の事情はなんとなく伝わっているようだったが、きっとハルは私を責めたりしない。

「長くなってしまったけれど、私ならナツの状態を良くすることができるわ。睡眠に関しては、いきなり薬を抜いてしまっては元の木阿弥よ。しっかりドクターと話し合って」

「うん、もう無茶はしない」

「傷つき係の子を剥がすのが手っ取り早いかもしれないわね。もう少しナツとこうしていたかったけれど、ナツがこれ以上苦しむのは見たくないもの」

  こうしていたかった?

「ごめんなさいナツ、私にも時間がないみたい。すぐに施術をしましょう」

「時間がない?」

「いい?ナツ、何があっても負けてはダメよ。これから傷つくのはナツになってしまう。それでも生きることを諦めなかった自分を信じていてね。それからお願いが二つあるの」

  ハルの口調には僅かに焦りと切なさが混じっていた。

「一つ目。私と別れたら、お父さんを探してほしいの」

「わ、私が?別れたらって?」

「二つ目」

  本当に時間がないという面持ちでハルは私の座っている前に出てきて私の肩を両手でガシッと掴んだ。

「キスをしたい」

  そう言ったハルの真っ赤な表情に私の心身は絡め取られ、私はゆっくり椅子から立ち上がりハルの腰を抱いた。

  私が約束するとも言わないまま、ハルは激しく性急に私に口づけた。

  私たちは長く長くそうしていた。ハルの言ったことの意味を詮索する気も失せるほど私はとろけていた。


続きます。ご期待ください。

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