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恋喰ドッペル  作者: 仁科晶
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ガールミーツガール~春・夏~

 いわゆる多重人格を、(あくまで)ある症例からリアルに捉えて更にファンタジーとして描きました。全ての女性カップルの青春を応援する物語でもあります。五部で完結です。ご覧ください。

 これより地の文で語る私のことを、総称して西宮ナツと呼ぶことにする。

 クリスマスも間近で明日は雪の予報だった。それなのに女子はスカートだなんて、どういうことなんだろう?ファッションとして活用している子が多いのはわかるが私には少し辛いものがある。特に、今は。そんなことを思っていた。

 ナツこと私は今まさに生死の境のような状態にあった。

 と言っても、命に関わる身体の病だとか事故だとか、そういったものではない。病は病かもしれないが、どちらかというと私の思慮が足らない行動が招いた、ただの状況である。 

 午前二時。夜明けまでまだ五時間近くある。私にとって一番地獄に感じられる夜の半ば。四時頃になりあと三時間で朝が来るとなると随分気が楽になるものだが、こればかりは耐えなければならない。

 神経の異常からか、気温に反して全身から出てくる不快な汗にでぐっしょり濡れた布団の上、私は自分を抱きかかえ突っ伏し、時に床を叩き、苦痛とともにある夜の長さをやり過ごすのに精一杯だった。

「なんで、こんな、こんなことになっちゃったの、誰か、助けてよ。もう無理だよ、お願いだよ」

 こう言ったのはもちろん私なのだが、正確には別の人格だ。私はその主を俯瞰して見ているに過ぎない。私は一切の苦痛を、彼女に、彼女らに押し付けてしまっているのだった。

 もう六日間寝ていなかったので、その間の記憶はずっと陸続きで果てしなく長く感じられた。文字通りの絶望をしてしまうほどに。夜に現れた彼女らとしっかりと会えたのもこれがおそらく初めてだろう。

 私が何をしてしまったのかをそろそろ言わなければならない。

 五年間飲んでいた睡眠薬を抜く試みを、うっかりしてしまったのだ。

 それでどうなったかといえば、一日目はただのひと時も眠れない所謂徹夜であった。

 恐々と、学校(高校である)には行き、二日目も眠れず、この時最初の異常が観察された。

 体調は当然すこぶる悪く、いつも寝る時間になり気晴らしに英語の教科書を音読していると、音節ごとに上半身に激しい悪寒が走ることに気がついた。インフルエンザの高熱に伴うようなそれの何十倍も激しいもので、体を少し動かすだけで悲鳴が出るほどだった。

 風邪に違いないと、朝一番で病院に行こうと決め、やはり今日と同様に寝ることなく、今度はその悪寒と戦いながら、叫びながら嘘のように長い夜を越えた。

 端的に言って、死んでしまった方が楽なのでは、という思いとの戦いだった。

 果たして、病院で告げられたのは、

「全く異常なし」

であった。

「血液検査にも風邪と見られるところはなし。喉も鼻も健康そのものだし、悪寒と言ったかな?そんな要素はどこにもない。まあ、あなたがどんな事情でここに来たかは聞かないことにするけど」

「精神科で頂いているお薬を抜いたから、というわけではないのですか?」

「関係がないね。とにかく正常ですから。よく寝ることだね」

 よく寝ること。この治らない悪寒に対して、今更睡眠薬が効くとは到底思えなかった。

 医学的には「仮病」。ではこの悪寒は?

 それから今に至るまで、私が正常に戻ることはなかった。神経が過敏になり、身体のあちこちで痙攣が起き、自由に指を動かすこともできず、顔は狐憑きのように変わってしまったので眼鏡とマスクをして登校した。学校を休むことはしたくなかったのだ。昼間はなぜだかナツでいられた。

 夜の間、彼女らが何時間も呪文のように唱えていたのが以下である。

「ねえ、ねえ、なんでこんな目に遭わなきゃならないの?もう嫌だよ」

「大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫、私は大丈夫、私は強いから大丈夫。こんなの死ぬほどじゃない全然死ぬほどじゃない」

「たん、たん、たんたんたーん。すーぴー、するするぴー」

 三番目に至っては、もはや人ではなかったようだ。

 この間の食事は、意外にもこの内三番目の人格が張り切って夜中のコンビニで買いだめをしてくれており、おかゆばかりではあったが食事を抜くことはなかった。というより、何か口にしていないと命に関わると私が判断したためだった。人でなくとも私の身体に属していれば社会的な行動はできるようだ。

 私には家族がいない。いるにはいるのだが、事情があり去年から親や兄弟、親戚全てを断ち切り接触ができないよう手配して、現在は小さな部屋を借り一人暮らしをしている。

 つまるところ私は家を捨ててしまったのだ。一切合切。

 よって今回も家族を頼ることはできなかったし、元々頼っていたわけでもなかったのでその辺りの事情はそれほど私にとって重要ではなかった。家族がいたらいたで食べるには困らなかっただろうが、家族がこんな状態の私に対しどんな罵声を浴びせたかわかったものではない。

 午前六時。彼女らはスッとおさまった。私は私であることを確認しシャワーで汗を流しおかゆを食べ、気の早い身支度をして机の上の鏡をじっと見つめていた。

 正気の顔でないことくらいは、正気でない私にもわかった。

「きっと、流石に疲れに疲れたら眠れるはずだから」

 SNSで影響力のある人が言っていたことを引用し、自分たちに向けて呟いた。

 マスクと眼鏡をして登校した。

 私は一人、私である覚悟を決めて生きていく。


 ところで夜中の状況説明に徹していたが、情報過多のため昼の私がどんな状態なのかを語っていなかった。お手洗いで手を洗っている時に思い出した。

 まず水音が音楽に聴こえる。水道だろうがトイレを流す音だろうが雨だろうがケトルを沸かす音だろうが。ロックだったりクラシックだったり、ラジオのDJだったり様々だ。気のせいなのではなくはっきりと現実の音として聴こえるのだ。聴いたことのない音楽ばかりなので、これを使って作曲をするなんてこともできるかもしれない。

 外に出ているときは、地下鉄の「扉が閉まります。ご注意ください」が延々とこだまする。これで私は地下鉄では扉にご注意することが百パーセント可能だろう。目で見えているものに間違いがなければの話だが。

 例の悪寒は昼間も続くが、夜ほどの痛みや苦しみ、不快感はない。級友らも普通に接してくれている、ように見える。

「ナツ、風邪なかなか治らないね」

 二時限目が終わってからの中休みに友人の一人が話しかけてきた。

「うん、なんか今年の風邪ってタチが悪いみたい」

「そっか、でも無理しちゃだめだよ。おうちでしっかり寝ないと。顔色めちゃくちゃ悪い気がするし」

「ありがとう」

 心からそう言った。

 私はちゃんと自然に話せただろうか。変じゃなかった?

 世界と上手くコネクトできていないのがわかる。私がここにいないように感じる。

 そんな私にみんなは優しい。胸の奥がじわっとして、感謝をしているのが私だけではないのだと気づく。呼応するかのようにあの悪寒も鼓動と同じリズムで一段と激しく身体を揺さぶった。

 もし、このままみんなに顔を見せられなかったら。

 この学校であと一年間。受験だってある。生半可な気持ちでは目指せない大学だ。

 こんな体でやっていけるのか。記憶だって怪しい。買い物をする時に小銭を数えられもしない。

 どうして、あんなことをしてしまったのだろう。薬のいらない普通の身体になりたいだなんて、どうして。

 今はもう、薬があってもいいから普通に戻りたい。みんなと顔を合わせて話したい。

「そういえば、ナツも風邪だったけど、東宮さんもここのところ休んでたのよね」

「とうぐうさん」

「そう、東宮ハルさん。話したことない?」

「ない、と思う。あの背の高い人だっけ」

「ナツって意外とそういうとこ抜けてるよね。東宮さんってモデルなのよ。雑誌より広告とかのお仕事が多いみたいだけど、うちの学校じゃ有名だよ。あっ、これ彼女の載ってる広告付きのクリアファイル。いいでしょ!」

「うわあ、本物のモデルさんだ」

 友人が見せてくれたのは、とある大きな商業施設の宣伝用クリアファイルだった。

 学校での東宮さんはどちらかというと影があって、背や美形な顔を持っているのにオーラがないというか、誰とつるむわけでもなく、誰にも見つけて欲しくないと思っているかのような人だった。

 広告の中の彼女は別人のように華やいでいて、とても綺麗だった。綺麗だったけれど。

「すごいわよね!モデルで綺麗で、しかも実はK大要員なのよ。いつも学年十位内にいるの。こんなになんでも持っていたら人生楽しくって仕方がないんじゃない?いいなあ」

 でも、とても悲しそうに見えるのは、私がちゃんとこの世界にいないからなんだろうか。

「ああ、そうだナツ、次の三限体育だけど見学だよね」

「うん、そうする」

 こうして話しているだけで、呼吸が段々と浅くなっていくのがわかる。お腹の中心にある、胴の筋肉や神経を束ねていそうな辺りが突っ張っていて、正直歩くのがやっとなのである。

「まあ、ゆっくり来たらいいよ。先生には言っておくから」

「本当、ありがとう」

 感謝と情けなさで顔が更に歪んだ。特に目の当たりが突風に晒されたみたいにピンと伸びていて、ずっと顔の色々なところが痙攣を起こしていた。顔だけじゃなく、何かに意識を向けるたび、身体のあちこちがビクンとなり、全ての音が遠いのにクラシックや地下鉄の音はしっかりと耳に届く。

 顔を洗いに行こう。

 体育に向けて教室に誰もいなくなったので、私はフラフラと上半身がヤジロベエになっているのを感じながら水道のある廊下へと出て行った。

 誰の気配もない。それをキャッチできていないだけかもしれないが。視界も狭いし首を回すと妙にヌルヌルと頭が動くのが気持ちが悪い。普通じゃないということを突きつけられて辛い。

 だから水道しか見えていなかったのだ。

 蛇口を一捻りすると、前衛的なオペラが始まった。混声と弦楽器の旋律。

 聴き入りながらマスクと眼鏡を取り、鏡に向きあって、そこに映った人影を見た瞬間私たちの全員が驚きで飛び跳ね、振り返った反動でその場に転がった。

「とうぐう……さん?」

 仁王立ちになっていた東宮さんを下から見上げると流石のモデル、同じ人種なのか疑問に思うほどの脚の長さ。髪の長さだって彼女が腰上まで伸ばしているのだから私であったら膝まで届きそうだ。かく言う私も長髪だがうねりがあるのがコンプレックスなのに対し、彼女の黒髪はストンと全く重力に逆らっていなかった。

 女子の憧憬と完璧を絵に描いたような美少女。

 そんな東宮さんに顔を見られてしまった。

「アッ」

 私は意識よりワンテンポ遅れて顔を覆った。その手に急に負荷がかかり、何かと思えば東宮さんが私の手首を強く掴み引き上げたのだった。

「立って」

「えっ」

 実際には私の意志で立ち上がったのではなく、東宮さんがおもむろに私をひょいと抱き抱えたのである。

 グランと視界が反転し、何が何やらわからなかったが、とにかく彼女にこの醜い顔を見られた恥ずかしさにドッと汗が全身から噴き出した。

「待って、東宮さん待って!」

 制止も虚しく、東堂さんは人一人抱えているとは思えないほどの速さで走り出した。

 揺れる揺れる、店頭で子どもに容赦なく回される地球儀の気持ち。世界が揺れる。

 途中階段もダダダと降りて行き、どうやら一階にある保健室に着いたようだった。

 東宮さんの両手は私で塞がっていたので、彼女はポキっと折れそうな美脚で保健室の扉をガラッと開けた。

「ラッキー、先生いないわね」

「東宮さん、下ろして」

 顔を覆ったまま懇願すると、思いの外丁重に、先生の椅子に座らせてくれた。

 もう、身体中が汗臭い気がして、そんな人間の前に東宮さんがいるというのは拷問のようだった。

「と、東宮さん……これは一体」

「顔、隠さないでよ」

「だ、だって、み、見たんでしょ?」

「もっと見たいから手をどけて」

「はい⁈」

「見たいって言っているの。わかったら見せてちょうだい」

「い、意味わかんないよ!なんで見たいの⁈」

「好きな人の顔見るのにいちいち理由がいるわけ?」

 彼女のその言葉というよりは、その真剣な眼差しに説得され、私は驚きをゴクリと飲み込んだ。気がついたら手をダランと下ろしていた。

「よくできました」

 東宮さんは笑った。

 広告の中の笑顔と全然違っていて、ずっと血が通っていて、可愛くて。

 さっきの言葉を思い出すと、汗まみれな上パーツも複雑になっている顔に血が上った。壺から引っ張り出されたタコだこれは。もう見れらた。降参である。

「西宮さん、いや、ナツ」

「ナツ⁈」

「あれ?何か違ったかしら。本で読んだのだけれど、親しい友人同士は下の名前で呼び合うとか」

「わ、私は今初めて東宮さんと話した気がするんだけど………」

「ん、そうね……。じゃあ、初めまして、東宮ハルです。女子高生モデルです。友達が一人もいない中、ずっとナツに興味津々でした。偶然にもナツの名前、西宮ナツと対になっている名前で恐悦至極に存じます。どうぞ宜しく私とお付き合いしてくださいお願いします」

「待って待って、色々待って!」

 ここで止めなければ延々と自己紹介されそうな勢いだった。

「せめてこの顔が治ってから言ってほしかったよ……」

「え?喜んで付き合ってくれるって?」

「まだそこまでは言っていない!」

「大丈夫大丈夫、ナツの顔は正直ドストライクだから」

「本当に待ってついていけてない……」

「私のことはどうぞお気軽にハルとお呼びなさい」

「わかった、わかったから。せめて汗を拭かせて。ちょっと今調子が悪くて全身ビショビショなの」

「好きな女子の口から、全身ビショビショなんて言葉が⁈」

「落ち着いてくだい東宮さん、いや……ハル」

 そう呼んでおかないとすかさず突っ込まれそうだった。

「ハルって呼ばれた……」

 東宮さん、もといハルは恍惚として目を固く閉じ天を仰いだ。

「そうだ、ナツ、ビショビショのところ悪いのだけれど」

 ハルは先生の机の上にメモ帳を見つけてそれとボールペンを渡した。

「今飲んでいる薬の名前、全部書き起こして」

「え?」

 身体の痙攣が最大値まで達した。

「わかるの……ね」

「わかるわよ。好きだから。というのもあるけれど」

「というと?」

「私もこの道は詳しいものでしてね。さ、書いて」

 考えがまとまらないが、それを書かないという選択ができるほど今の私には余裕がない。大人しく、いつも寝るために飲んでいた薬、計7種類の名前を震える手で書き連ねていく。

 これを抜いてしまったが故に、こうなってしまった。

「なるほど、思った通り強い薬を飲んでいたのね」

「メジャーな薬だと聞いてるんだけど」

「まあ、これなら私の応急処置で大丈夫でしょう」

「えっと、さっきから何をしようと……?」

 ハルは私の頭にポンポンと手を当てた。撫でた、と言ってもいいのかもしれない。

 柔らかで懐かしく暖かい。

 突如として私の意志に関係のない涙がこぼれた。

「おやすみなさい、ナツ」

 フッと私の、ナツの意識が頭の奥深く沈んでいく。脱力した身体がどうなってしまうかなんてどうでもよくなるくらいに、それは心地のよいものだった。

 ここまで読んでいただき誠にありがとうございました。続きもご期待ください。

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