第8話 愛しい怨敵
【Side:コトハ】
その音を聞いた瞬間、一瞬でうちの心は黒で塗り潰された。
刃物を研ぐ様な独特の音。それは、アイツが己の得物を手入れしている時に発せられる忌々しい音。
気が付けば、ムサシはん達を置いて駆け出していた。うちの頭の中にあったのは、この微かに聞こえる音の元へ一秒でも早く辿り着く事……ただ、それだけ。
「……早く、速く、迅くッ!」
雨を弾き飛ばしながら猛進する自分の体を叱咤すると、それに呼応する様に脚に纏わせた雷が迸る。
凄まじい速度で流れていく景色には一瞥もくれず、ひたすらに前を見据える。その視線の先に、五年の間探し続けた相手がいる事を確信して。
どの位走り続けたか。眼前に聳え立つ岩壁が見えてきた。音は、その上から降ってきている。
迷う事無く、うちはその壁を駆け上がった。【参式・雷装武御雷】を発動させている今なら、壁走りなど造作も無い事。
そうして、うちは辿り着く。故郷を捨て、海を渡り、見ず知らずの土地での長い放浪の果てに……愛しき、怨敵の元へと。
「――見つけた」
壁走りから勢いを殺さずに天辺の先へと舞い降りたうちの眼が、確かにその姿を捉えた。
全身を覆う毒々しい紫色の外殻。太い二本の脚。巨大な剣の様にも見える長い尾。そして……頭部から伸びた、長大な刃。
頭から尾の先端までなら、せいぜい十間……普通の二足大型種程度。だが、その刀の様に発達した角も含めれば全長は悠に十五間を超える。
その角の根元にあるのは、朱色に輝く四つの眼。しかし、右側の二つの内、角に近い方の眼は斬り裂かれたような傷と共に潰れている。
その傷こそが、うちが探し求めていた個体である何よりの証。昂る感情と共に、手にした雷桜の斧部にある鈍色の刃から、金色の光を放つ雷刃が発生した。
「グルルルル……」
そんなうちの殺気を浴びせられても、ヤツは動じる事無く面倒臭そうにうちの方へと首を向ける。その頭から生えた刀がその長大さ故に辺りに転がっていた岩に当たると、その岩がずるりと斬れた。
【斬刃竜】ハガネダチ――うちが、生涯を掛けてでも討ち滅ぼさなければならない相手。
「――疾ッ!!」
【参式・雷装武御雷】によって強化された得物、肉体、速度……それら全てを伴って、うちは奔る。
一足で間合いに入ろうとしたが、それは叶わなかった。
「……っ!」
肉薄したうちの横、風を斬る速度で振るわれたヤツの得物が迫る。瞬時に身を翻してそれを避けるが、間髪入れずにニノ太刀、三ノ太刀が容赦なくうちへと襲い掛かった。
「チイッ!!」
迫り来る幾重もの剣閃を、うちは全力を以て躱し、弾き、払う。その巨躯からは想像も出来ない程鋭く、速く、そして重い太刀筋は、まともに受ければ防具の強度など関係無しにうちの体を切断するだろう。
だから、動き続ける。決して止まらず、最高速度を維持したまま縦横無尽に動き回りながらヤツの脚付け根を狙う……が、ぎょろりと動く朱色の瞳が、それを許さない。
四つ眼の内、一つは潰れているが残り三つは健在。その中でも後方の方へと張り出た左右二つの眼が、通常であれば見えない筈の己の後方を常にカバーし続ける。
つまり、このドラゴンには死角と言う物が存在しない。どこへ回り込もうと、その瞳が必ずそれを見つけてしまうからだ。
「ほんまに、鬱陶しいなぁッ!!」
生と死の間を行き来する様な剣戟の中でも、うちの心はますますどす黒い感情で埋め尽くされていく。
コイツさえ……コイツさえいなければ、あんな悲劇は起こらなかった! うちがこれ程、憎しみに身を焼く事も無かった!!
そんなうちを嘲笑うかの様に、ヤツは連続で剣閃を奔らせる。その鋭利な外殻の裏にある筋肉は、瞬発力の塊だ。【参式・雷装武御雷】により稲妻の如き速度を得たうちの斬撃に苦も無く反応し、斬り返してくる。
遊ばれている。熟練の剣客が、挑んできた格下の剣客を片手であしらう様に、造作も無く。
「くっ!」
何度目か分からない雷桜の一撃を弾き返された所で、うちは大きく後ろへと下がった。上がった息を整えながら、油断なくヤツを睨み付ける。
(あきまへんな……このままやと、ジリ貧やわ)
今はまだ大丈夫だが、長期戦になればなる程不利になるのはうちの方。持久力ではどう足掻いても勝てない、ましてやこちらは魔法行使によってどんどん魔力が減っていっている状態。魔力枯渇を引き起こせば、そこで全てが終わってしまう。
(そうなる前に……!)
ふぅー、と長く息を吐き、雷桜を持つ手に力を入れた……その時だった。
「グルルッ」
ヤツが突如うちから視線を外し、首を上げて別の方角を見る。
絶好の好機――だが、うちは突然ヤツが起こした行動に釣られて、その方角へと視線を送ってしまった。
そこに居たのは……置いて来た筈の、ムサシはんとリーリエはんだった。
あそこからここまでは、かなりの距離があった筈。うちが魔法による超加速を得た状態で走って来た道程を、こんな短時間で辿って来たのか。
その時、ムサシはんの纏う空気が変わる。うちは、思わず叫んでいた。
「――手ぇ出さんといてッッ!!」
降りしきる大粒の雨音をかき消す位の大声だった。武器を仕舞い込んでいるであろうマジックポーチへと手を伸ばしたムサシはんの動きがピタリと止まった。
「コイツは、うちの獲物や! 手出しは無用――」
その言葉を、最後まで紡ぐ事は出来なかった。何故なら、叫ぶうちの体をヤツの刀身が盛大に打ち据えたから。
「カハッ!?」
体を襲った凄まじい衝撃により、うちは大きく吹き飛ばされて地面へと激しく転がった。
本能で、雷桜の柄で防御していた。でも、ヤツの斬撃はそれで防げるような生易しいものでは無い。
斬られた――そう思ったが、うちの体は真っ二つにはならなかった。ヤツはうちを斬ったのではなく、その刀の面を以って無造作に吹き飛ばしたのだ。
『邪魔だ』――そう言わんばかりに。
「あっ、ぐっ……!」
地面に転がった己の体を必死に立たせようとする中で、うちは見てしまった。
こちらには一瞥もくれず、一直線にムサシはん達へ斬りかかるヤツの巨躯と、それを真正面から二本の剣を以って迎え撃つムサシはんの姿。
そこでうちは理解した。ヤツの中で、優先度の序列が変わったのだと。真っ先に倒すべき脅威はうちでは無く、ムサシはんになったのだという事が、分かってしまった。
とてつもない屈辱だった。長年追い求めてきた相手に、障害と見做されなくなった事が。
歯を食いしばり、雷桜を杖代わりにして何とか立ち上がる。幸い、骨は折れていない。内臓は少しイったが、まだ戦える。
ただ、魔力残量が心許ない。一気に決着を付けなければいけない……そう考えながら視線を上げると、そこでは信じられない光景が繰り広げられていた。
ムサシはんが放った無造作な一振り。うちから見れば、ただ力任せに振り切っただけのその斬撃は、振り下ろされたヤツの頭角を中空へと弾き飛ばし、その巨躯を仰け反らせたのだ。
このクエストに出発する前、ムサシはんは魔法が使えないという事を聞いていた。仲間のリーリエはんが、光と闇の補助属性しか使えないという事も。
だから、二人はお互いに足りない部分を補い合いながら戦っていると。でも今のムサシはんは、リーリエはんによる強化は受けていない様に見える。
つまり、あの出鱈目な一撃は突然突っ込んできたドラゴンから、リーリエはんを守る為に放った咄嗟の一撃だったという事。
そして……その、火の粉を払う様な一振りが、ヤツの巨躯を仰け反らせたと言う事実。それら全てを理解した瞬間、うちは全力で地を蹴っていた。荒れ狂う斬撃が飛び交う、その渦中へと。
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