表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/277

第33話 サヨナラなんて言わせない

【Side:リーリエ】


「――えっ?」


 私の問いに、アリアさんはこれまで見せた事が無い呆然とした表情を浮かべた。


「もう一度聞きます。アリアさんは、それでいいんですか?」

「何を、言って……」


 握っている左手から、震えが伝わってくる。先程までアリアさんの顔を覆っていた笑顔が、どんどん崩れていく。もう、確定だ。


「アリアさん、単刀直入に言いますけど……ムサシさんの事、好きですよね?」

「……っ!」


 様々な前置きを無視して、一気に核心へと切り込む。私のその言葉を聞いた瞬間、ビクンとアリアさんの体が震えた。それが、私の中にあった朧げな推測を確信へと変える。


「そんな、事は無いです。ムサシさんは、あくまで良き隣人です。……どうして、そんな事を聞くんですか? ムサシさんは、リーリエさんの想い人でしょう?」

「そうですね。私にとってムサシさんは、初めて好きになった異性の方です。……いえ、“好きな人”ではありませんね。“愛する人”です」


 そう、もはや私の中にあるムサシさんへの想いは恋慕ではなく、愛だ。私の身を案じ、真剣に叱ってくれた時、その後私の不安をあっという間に拭い去った時……自分の中の気持ちが“恋”ではなく“愛”だと知った。


「愛する、人……」

「はい。想うだけでは足りない……愛したい、愛されたい。私にとって、ムサシさんはそんな人です」

「……っ、だったら!」

「でも」


 立ち上がろうとしたアリアさんを言葉で制し、私は告げた。


「私にとっては、アリアさんもムサシさんと同じくらい大切な人なんです」


 包み込むようにアリアさんの左手を握っていた両手に、ぎゅっと力を入れる。これは、リーリエと言う一個人の、噓偽り無い本心だ。


「……アリアさん。今自分がどんな顔をしているか、分かりますか?」

「……?」

「今のアリアさんは、泣いているんです。涙を流しているんです。……『一人の友人として応援させて頂きます』と口にした時から、ずっと」

「っ!」


 私の言葉を聞き、アリアさんは慌てて右手で眼鏡を外して涙を拭おうとする……だが。


「何でっ……止まってくれないの……!」


 幾ら拭っても、絶え間なく涙は瞳から溢れ出てくる。それはまるで、アリアさんの本心がそのまま涙になって溢れ出してきている様だった。


「お願い……止まって……止まってよぉ……」


 そこには、いつもの冷静沈着なアリアさんの姿は無い。今目の前にいるのは、偽りの仮面を剝がされて、その内側から溢れ出す恋心に苦しみ、自分の本当の気持ちに圧し潰されかけている一人の女性だ。


「止まりませんよ」

「…………」

「今、アリアさんの瞳から流れ出ているのは、アリアさんのムサシさんに対する想いです。……私の為に、自分の気持ちを押し殺してまで、身を引こうとしてくれたんですよね?」

「そんなっ、事は!」

「無いんですか? 顔がぐちゃぐちゃになるまで泣いておきながら、本当にムサシさんの事を諦められるんですか? 私には、とても諦められるようには見えません」

「……っ、じゃあ! どうすればいいんですかっ!!」


 私の言葉に、アリアさんが激高したように、その美しい銀の長髪を振り乱しながらこちらを睨んでくる。が、すぐにハッとしたように視線を逸らして、そのまま俯いてしまった。


「……リーリエさんの言った通り、ワタシはムサシさんの事が好きです」

「はい」

「でも、リーリエさんがムサシさんに親愛以上の感情を抱いているのは感じていました」

「はい」

「だから……諦めようと、思ったんです。ワタシにとって、リーリエさんは大切な友人ですから」

「……はい。私も同じですよ。アリアさんの事は、友人であると同時に私の事を理解してくれる大切な人だと思っています」

「そう、ですか……ふふっ、もしかしたらワタシが一方的にそう思っているだけなんじゃないかとも思いましたが……そうじゃ、なかったんですね」

「はい。私もアリアさんと同じような事を考えていました。でも、杞憂だったみたいです」

「そうですね……」


 そこで一旦、お互いの言葉が切れる。カウンターに置かれた珈琲は、すっかり冷めてしまっている様だった。


「……悩みました。お二人がクエストに出発してから、帰ってくるまでの間、ずっと」

「…………」

「ワタシの恋が、横恋慕なのは分かっていました。だからこそ、大切な人達の事を思うなら、潔く身を引くべきだと思いました。リーリエさんに誘われて、ワタシがここで話す事を提案して……そして、リーリエさんの口から直接ムサシさんへの想いを聞けば、きっと諦めがついて、身を引く事が出来ると……考えていました」


 絞り出すように、アリアさんの口から言葉が紡がれる。それは、懺悔のようにも聞こえた。


「……でも、駄目でした。ワタシはここに入ってリーリエさんと話し始めてからも、“()()()()()()”という小さな希望に縋り付いてしまっていたんです……ホント、どこまでも未練たらしくて、最低な女ですよね。……でも、リーリエさんの口から、『好きな人の為』と聞いた瞬間……ワタシは、勝ち目がない戦いに身を投じていたのだと気付きました。だってそうでしょう? 愛する人の為なら困難な道を歩く事も厭わない人と、初めての恋に振り回されているだけのワタシじゃ……勝負にすら、ならない」


 はらはらと涙を零しながら話すアリアさんの姿は、見ていてとても痛々しい。でも、私はその姿から目を離さず、じっと聞き続ける。今、私がこの人から目を逸らす事は断じて許されない。


「勝負にすらならない……そう理解したなら、直ぐにこの恋を捨て去らなければと思いました。でも、でも! 駄目だったんです! 捨てる所か、自分の想いを全てリーリエさんにぶちまけてしまいそうになったんです、だから!」


 ふっと顔を上げたアリアさんと視線が重なる。


「だから……ワタシは、強引に捨てようとしたんです。全てが溢れ出す前に、リーリエさんの想いと決意を後押しして、この場を収めてしまおうと思ったんです。ここでの事が終われば、この感情を表に出さずに全部しまい込めるから……なのに!」

「私の言葉で、ご破算になってしまったんですね」

「そうです! 『それでいいんですか?』なんて言われたら、耐えられる訳ないじゃないですか! ワタシにも、まだチャンスがあるって勘違いしちゃうじゃないですか! そしたら……自分の気持ちに、蓋なんて出来なくなるじゃないですか……」


 いつの間にか、アリアさんは両手で私の手を握っていた。そこからは痛いほどの握る力と、小刻みな震えが伝わってくる。


「……たった一夜、たった一夜です。ムサシさんとワタシが二人で過ごした時間……夜空から街を見下ろして、ムサシさんの声と心臓の音を間近で聞いて、お喋りして……それだけで、ワタシの心はムサシさんに持っていかれてしまったんです」


 ……恨みますよ、ムサシさん。貴方の無自覚な愛が、今アリアさんを苦しめているんです。


「今まで、男性にこんな気持ちを抱いた事はありませんでした。だから、これは初恋なんです……でも、こんなに苦しい思いをするんだったら、恋なんてしなければ良かった! そうすれば、今までのワタシでいられたのに!」

「…………」

「でも……この苦しみを知る前に戻るために、この想いを捨てるのは嫌なんです。だってこれは、大切な初恋だから……わがままですよね、ワタシ」


 そう言ってアリアさんが浮かべた笑顔には、悲壮な決意が表れていた。


「……ごめんなさい、リーリエさん。こんな当たり散らすような事をして……でも、もう大丈夫です。話したら、スッキリしました。だから……」


「――ダメです」


 再び偽りの仮面を被ろうとしたアリアさんを、私は毅然とした態度と言葉で止める。これ以上、この人に自分を傷つける嘘を言わせてはいけない。

 私はアリアさんの手を放して、その頭をそっと抱き寄せる。椅子に座ったままだったので、胸の上にギュッと押し付ける形になってしまったが、そんな事はどうでもいい。


「リーリエ、さん?」

「どうして、アリアさんがそこまでしなくちゃいけないんですか? アリアさんが今そうやって苦しんでいるのは、ムサシさんがアリアさんの心に深く踏み込んでしまったせいですよね?」

「ム、ムサシさんは悪くありません! これは、ワタシが勝手に――」

「いいえ、アリアさんはこれっぽっちも悪くありません。悪いのは全部ムサシさんです。いくら無自覚とはいえ、やっていい事と悪い事があります。人の心を奪っておいて、後は知らぬ存ぜぬ……ましてや、こうやって私の大切な友人であるアリアさんを泣かせて、勝手に失恋させるなんて言語道断です!」


 私は、怒っていた。怒髪天である。


「こうなった以上、ムサシさんにはキッチリ責任をとって貰います」

「せ、責任って……?」


 私を見上げ、不安げに揺れるアリアさんの群青の瞳を見て、私は宣言する。


「乙女の純心を奪ったんですよ? だったらムサシさんには、私達二人とも愛して貰います!」

「二人とも……えっ、えぇっ!?」


 私の言葉を聞いたアリアさんが、その意味を理解した瞬間に素っ頓狂な声を上げて弾かれたように胸から顔を離す。だがしかし、これは決定事項だ。


「当然ですよ。これだけ女性を泣かせたんです、ムサシさんにはその位の甲斐性は見せて貰わないと困ります」

「で、でも二人一遍になんて……」

「大丈夫です。≪四族共栄法(しぞくきょうえいほう)≫には、誰か一人しか愛しちゃいけないなんて書いてません」

「そう言う問題じゃ……! そ、それにリーリエさんは自分以外の女性にもムサシさんが愛情を向けるのを認める事ができるんですか!?」

「出来ますよ。……前にアリーシャさんから、将来ムサシさんの隣に立つのは私だけじゃないかもしれないっていう話をされたんです。その時は大いに悩みましたけど……今はもう、覚悟を決めていますから。そう言うアリアさんはどうですか? 自分以外の女性に、愛情が向けられるのに納得する事が出来ますか? “耐える”、じゃありませんよ? “納得する”、です」

「それ、は」


 私の問いに、アリアさんは言葉を詰まらせる。


「……もし出来ないのなら、手を引いた方が幸せかもしれません。じゃないと、隣に立っても一生苦しむ事になると思います。私達が好きになった人は、そういう人なんです。アリアさんも、何となく理解しているんじゃないですか?」

「…………」

「私達二人がいい例です。これから先も、きっとムサシさんは私達にした時と同じように、誰かの心を奪ってしまうと思います。あの人は目の前で悩んだり、苦しんだりしている人がいたら直感で行動してしまうから……アリアさんの時は、どうでしたか?」

「……そう、ですね。はい、確かにそうでした」

「やっぱり……全くもう、あの人は……」


 本当に、流れるようにやってしまうのだから手に負えない。挙句の果てには無自覚でやってるっていうんだから、質が悪すぎる。


「はー……フッ!」


 ――バチンッッ!


 私が眉間に手を当てて俯いていた時、突然鳴り響いた音に驚いて顔を上げた。そこには、自分の両頬に手を当てて目を瞑っているアリアさんの姿があった。


「ア、アリアさん!?」

「ちょっと、気合を入れてみました……うん、よし」

「――!」


 そう言って目を開けたアリアさんの瞳に、もう涙は浮かんでいない。その代わりに、強い決意の灯火が宿っていた。


「リーリエさん……ワタシも、覚悟を決めます。リーリエさんのお話を聞いて、自分の気持ちに向き合って……それで、思ったんです。ワタシは、この恋を諦めたくなんかない。リーリエさんが言ったように、ワタシもムサシさんを愛したい、愛されたい……だから、腹を括ります。ムサシさんが誰を愛しても構いません、その愛情がワタシにも向けられるのなら」

「……そうですか。なら、もう私達が悩む事はありませんね?」

「はい」


 そう言ったアリアさんの顔には、穏やかな笑顔が浮かんでいた。それを見たら、自分の体から自然と力が抜けていくのが分かった。


「……ワタシもリーリエさんも、難儀な人を好きになってしまったものですね」

「仕方ないですよ。惚れた私達の負けです」

「そうですね。……ムサシさんは、ワタシ達を受け入れてくれるでしょうか?」

「受け入れて貰うんです。ただ、強制はしたくないですから……これから目一杯、頑張りましょう。ムサシさんが私達の想いに気付いて、私達を愛してくれるように」

「女の戦い、ですね」

「はい。……あっ、そうだ。アリアさんに一つお願いがあるんです」

「? 何ですか?」

「その、私達って友達ですよね? だからあの……敬語をやめて貰えないかなって。私、アリアさんより年下ですし……」

「……分かりました、リーリエ。ただ、この口調はワタシの性分なんです。だから、そこはそう言うものだと思って納得して下さい」

「い、いえ! さん付けを取って貰えるだけでも十分です!」

「ありがとう御座います。ならリーリエも、ワタシの事はアリアと呼んで下さい」

「えぇっ!? そ、それは流石に……」

「友人として、恋仲間としてお願いします」

「うっ……ア、アリア…………さん。ごめんなさい、すぐには無理です……」

「……ふふっ。まぁ、いいでしょう。今はそれでも構いません」

「うぅ、ありがとう御座います……」


 な、中々自分より目上の人を呼び捨てにするってハードル高いんだなぁ……。


「リーリエ。これから一緒に、頑張りましょうね」

「――はいっ!」


 そう言って私達は笑いあいながら、お互いの手を取った。


「……お嬢さんたち」

「「えっ?」」


 いつの間にか、カウンター越しにマスターが佇んでいた。しまった、五月蠅くし過ぎただろうか……。


「……こいつは、サービスだ」


 そう言って私達二人の前に差し出されたのは、上が逆三角形になっているグラスに、オレンジジュースが注がれているものだった。グラスの底には、上の橙色とは違う赤色が沈み込んでいる。

 まるで、朝焼けの空と太陽みたい。グラスの縁に付いている一切れのオレンジが、とてもお洒落だ。


「……カクテル、ですね」

「かくてる?」

「お酒の一種ですよ、リーリエ」


 私達に出されたのは、どうやらお酒らしい。アリーシャさんの所で飲んだ麦酒(エール)に比べると、随分と気色が違う。それに……なんだか、色っぽい。


「……頑張りな」


 それだけ言い残すと、マスターは私達の前から離れていった。


「……応援、されちゃいましたね」

「そうですね。……リーリエ、グラスを。音は鳴らしちゃダメです。乾杯は、少しグラスを上げるだけ」

「は、はい」


 私達はそれそれグラスを持って、その場で小さく上げる。

 今までの葛藤や不安は無い。あるのは、未来を掴むという強い意志だけだ。

お読みいただきありがとう御座います。

面白いと思って頂けましたら、是非評価・感想・レビューを宜しくお願い致します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ