第20話 VS. 飛駆竜クラークス(後編)
「――【脚力強化】・【加算】!」
リーリエの詠唱により、俺の足元に白い魔方陣が現れる。その瞬間、何時でも跳び出せるように踏ん張っていた両脚が地面を踏み砕いた。
「【腕力強化】・【加算】! 【膂力強化】・【加算】! 【心肺強化】・【加算】! 【骨格強化】・【加算】! 【感覚強化】・【加算】ッ!!」
リーリエが詠唱する度に、足元の魔法陣が幾重にも姿を変えていく。その度、温かな光と共に全身に力が漲って行くのが分かる。
ちらりと横眼で見れば、一心不乱に魔法を唱え続けているリーリエの姿が見える。その額には玉のような汗が浮かんでおり、流石のリーリエでもかなりの無茶をしているという事が分かった。
「【加速】・【二重詠唱】・【加算】……ムサシ、さん」
「ああ、ありがとう。もう、十分だ」
一体幾つの魔法を行使したのか、それによってリーリエの体にどれ程の負荷がかかっているのか。それを詳しく知る術は、今の俺には無い。
唯一つ分かるのは、リーリエが俺に全てを託したという事。
「後は任せろ」
自然と口角が吊り上がっていき、歯がむき出しになる。今の俺は……嗤っているのだろうな。
自分の躰を縛る忌々しい女と、今にも己を滅ぼさんとする男の姿を捉えているヤツの瞳には、はっきりとした恐怖の色が浮かんでいた。
「ガッ、ガアアッ!!」
生存本能がそうさせたのか、火事場の馬鹿力でヤツは躰を唸らせた。その力で漆黒の鎖が二本千切れたが、もう遅い。
「――疾ッッ!!」
ヤツの拘束が緩んだ瞬間、俺の姿はその場から掻き消えた。
◇◆◇◆
【Side:リーリエ】
私の意識は、極限まで研ぎ澄まされていた。
クラークスの動きを拘束するために、三つ魔法を使った。それでも尚立ち上がろうとするかの竜を見て、私は改めてドラゴンと言う存在の強大さを肌に感じていた。
(ムサシさんは、こんなモノを一人で倒したんだ……)
魔導杖を握り締める手に、力が入る。
『俺はリーリエの実力が低いとは思わない』
脳裏に、ムサシさんが私にかけてくれた言葉が甦っていく。
『……なら俺はリーリエの力を信じる』
そうだ、ムサシさんは私を“信じる”と言ってくれた。なら私は、自分が成さなければならない事を成すだけ。
仲間の期待に応える。パーティーっていうのは、きっとそういう物だと思うから――!
「……ッムサシさん! クラークスの動きは何とか封じました! 今からムサシさんに光魔法のバフをかけます!」
拘束は緩めず、私は声を上げる。返事が返ってくると同時に、私はムサシさんに今自分が使えるあらゆる身体強化魔法をかけていく。
一度にこんな数の魔法、普通なら一瞬で魔力切れを起こして気絶するのがオチだ。
でも私は、それを行えるように努力した。
魔力消費を少なく、効率的に、それでいて出来るだけ多くの魔法を同時に使えるようにするための研究と研鑽を、一人で黙々と続けた。
魔法は一つづつ使う物? そんなの知るもんか。私は私の考える最良・最大限を目指すだけだ。
そして、その努力を認めてくれたのは他ならぬムサシさんだ。私の魔導士としての欠点を知っても、平然とこの手を取ってくれた。それは、今まで出会った他のスレイヤーの人達とは全く違う行動だった。
(私に光を当ててくれたのは、ムサシさんだ。だから――!)
自分の魔力がどんどん減っていくのを感じながらも、私は詠唱を止めない。彼が信じた私の努力が無駄だったかどうかは、今この瞬間にかかっているんだ!
そうして、全ての魔法をかけ終わった私は掠れる声で名を呼ぶ。
「……ムサシ、さん」
「ああ、ありがとう。もう、十分だ。後は任せろ」
淀みない返事が返ってきた事で、私の心はふっと安堵を覚える。
やれる事はやった。後は、託すだけ。
(ああ、どうか……)
魔力が尽きかけるまで魔法を行使した事で、クラークスにかけていた拘束魔法に綻びが出る。それと同時に限界を迎えた私の体は、膝からその場に崩れ落ちた。
◇◆◇◆
地を蹴ったその瞬間、俺の世界は停止した。
行使している魔法を維持し続けているリーリエが、束縛を逃れようと雄叫びを上げるヤツの巨体が、その巨体が暴れた事によって巻き上げられた数多の破片が……その全てが、まるで時の流れから切り離された様に、ピタリと止まっていた。
(時間が止まった? いや違う、俺が速すぎてそう見えるだけだ)
これまでの人生で経験した事の無い状況に置かれながらも、俺の思考は驚くほど冷静にこの状況を分析していた。
似たような経験は、ある。集中力が高まり、周りの景色がまるでスローモーションの様に見える、そんな経験。
だが、今己の身に起きている事は、そんなちゃちなモンじゃない。
リーリエが俺に使った身体強化の魔法、あれは対象者の地力によってその効果が増減するという話だった。それが俺にかけられた結果が、この状況。
俺は、自分はもう肉体的な成長はしないだろうと思っていた。今いる場所が、俺の頂だと思っていた。
……だが、蓋を開ければどうだ? とんだ驕りだったじゃねぇか。
極めたと思ったその先に、まだ道があった。その道は、一人では歩くどころか見つける事すら出来なかった道。今いる場所のその先へ――リーリエが示してくれた、更なる頂へと通じる一本道。
(……お前は最高の仲間だよ、リーリエ)
ヤツの眼前で、俺は足を止めた。
目の前に、朱く光る双眸がある。だが、こんな近くに居る俺の姿は、ヤツの瞳に映ってはいなかった。
(最高の仲間には、最高の結果を)
持っていた金重を、双剣形態から大剣形態へと変える。
世界が静止している中、俺の体はいつも通りに動いていた。リーリエの手により、俺の速度は人知の領域外へと至った。
ふぅー、と息を吐き、金重を正眼に構える。平らな剣先が、ヤツの正中線にピッタリと重なった。
(……唐竹割だな、うん)
大きく息を吸い込み、上段へと振りかぶる。全身に更なる力が入り、みしりと体が軋む。
「――破ッッッ!!」
気合を発すると同時に、今の俺の全力を以って真一文字に金重を振り下ろす。
風切り音一つ上げず振るわれたその剣身が、あれ程硬かった外殻をするりと断ち切る感覚を、俺は確かにその手に感じた。
◇◆
世界が再び動き出す。金重を振り切った俺は、その姿を双剣へと戻し、くるりとヤツに背を向ける。
振り返ったその先で、リーリエが膝から崩れ落ちるのが見えた。
「うおっとぉ! 危ねぇ危ねぇ」
慌ててリーリエの元へ跳び、金重を地面に突き刺して空いた左腕でその体を抱きとめる。
「ムサシ、さん?」
「おう、俺だ」
腕の中でこちらを見上げるリーリエは、息も絶え絶えといった様子。やはり、限界だったか。
「……すまん、大分無茶をさせちまった。あんだけ一遍に魔法を使ったんだ、魔力カツカツだろ?」
「いいん、です。私は、私に出来る事を、したまで、ですから」
疲れ切った顔で、リーリエは微笑む。ああくそ、グッときちまうじゃねーか。父性的な意味でな!
「あの、クラークスは?」
「ああ、アイツか。……ありがとよ。お前さんのおかげで、俺は最高の仕事が出来たぞ」
そう言って、俺は視線を促す。リーリエは腕に体を預けたまま、ぎこちなく頭を動かしてヤツの方を見た。
そこには、俺が動く前と何ら変わらない姿のヤツがいた。魔法による拘束は既に無く、いつ動いてもおかしくない状態。しかし、その巨体は動かない。ピタリと、その場で固まったままだ。
だが、俺達が視線を向けて一拍置くと……その躰の中心から、“ズッ”と音を立てて縦にずれる。そのまま、頭の先端から尻尾の端まで一直線に両断された半身が、力なく地面へと倒れこんだ。
「な?」
「……ああ、ホントに。素晴らしい、仕事です」
「リーリエのおかげだ。俺一人じゃ、こうはいかなかった」
俺は右手で拳を作って差し出す。その意図を汲んだリーリエもまた同じく、左手で作った拳を差し出した。
お互い、もう一人じゃない。今日この戦いを経た事で、俺達はやっと一つのパーティーとして完成したんだ。
「……仲間って、いいですね」
「……ああ、いいもんだな」
そう言って俺達は笑い合い、“トン”と拳を突き合せた。
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