其之参
「 責任取れよっ、絶対!」
「 分かってんのか! 行き遅れてんのはお前のせい…… 」
『 もういいっ(ハズカしーーー)やめてよちょっとぉ!! 』
ここに至り、思わず後から駆け寄って頭を叩いてしまった――――
……今でも後悔している。
強情で生一本な性格の妹が、里抜けに反対し『自分は帰る』と決めてしまったら、止めることはできない。……しかし、戻ったら殺されてしまう危険がある。
そして姉は〈何としてでも説得しなければ〉と決心していた。
――だが、既にその心配は無用だった。
背をむけていた次女は、再び心を通わせ、愛を確かめ合うふたりの姿にアテられていた。
(チェッなにさ、阿呆らし。……勝手にやってろ、もう……)
眠た振りをしながら、密かに小声で愚痴る。
そして――自身も脱走を決意したアカネは、これから後に起こることを、様々に想像してみる。
(大首領は、あたし達まで里を抜けたと知ったらどうするだろう?)」
首領・影丸陰也斎は見事な白い総髪の持ち主だが、異様なことに顔の上半分を、天狗か仁王の様な厳めしい表情に彫り込んだ仮面で覆っていた。白い口髭を生やしたその姿は、威圧感と同時に、見る者の恐怖心をかき立てる。
アカネも、幼い頃は無性に怖ろしげに見えて(そして今でも)大の苦手だった。
――――ちなみに仮面を被ってはいるが、蜃気郎とは特に血族関係にある訳ではないらしい。
(……更に刺客を放つとしたら〝ネズ公〟共か。だとしたら、厄介だな……)
谺の里には『霞と蜃気楼(蜃気郎)すら凌駕する』と謳われた程の、最強伝説を誇る手練れが幾人(?)かいる。
念珠三兄弟――――
谺衆一の使い手と定評のある、ガジ(オ)コジ(ロウ)ホジ(ノスケ)という、コダマネズミの三匹衆であった。
一度、アイツらと組んだ事がある。
競合する《葉隠ノ里》の者に追い駆けられた時の事だ。
元亀元年(一五七〇年)に始まった石山本願寺と織田信長の戦は、どちらかと言えば本願寺が優勢にすすめ、織田軍は難攻不落ともいえる本願寺の直接攻撃に行き詰まっていた。
そこで信長は搦め手として、本願寺の主力を担い兵員・物資の補給地ともなっていた雑賀衆の本拠紀伊・雑賀の地を先に攻略して、干乾しにする事を思い付いたらしい。
やがて天正五年(一五七七)の二月頃には、織田側が雑賀の宮郷・中川郷・南郷ら三緘衆を調略で味方に付け、大動員をかけることになる。
本願寺側に雇われていた谺の里は、やがて攻め寄せるであろう織田側の陣容や準備の進み具合を、子供であるアカネたちまで動員して探らせていた。
元もと織田側に加勢していた根来衆の一部と、それら根来衆と繋がりのあった葉隠衆はその機密を守る側として間者を捕らえ、始末するために忍びを放っていた訳だ。
その頃、アカネは念珠の三兄弟と共に、織田信長の拠点となっていた安土城下へ、ただの子供として潜入した。
賑やかな城下町の噂や、兵糧の数といったものの詳細な有様を記憶してまわったが、ある時一人の夫役姿に呼び止められ、脱兎のごとく走って逃げた。
茂みに飛び込んで麓を伝い、繖山に逃げ込んで一安心かと思いきや……いつの間にか今度は、土気色の忍び装束を着た奴が一人、凄い勢いで追い縋って来る。
(早っ 捕まっちゃう!)
手裏剣はすべて使い果たしていた。咄嗟にクナイを取り出そうと懐の中に手を突っ込んだら、昼寝をしていた生温かい三匹を偶然掴んだので、取り敢えずそのまま投げつけたところ――――
一瞬にして、相手の忍び装束から褌まで膾に切り刻み、追尾不能状態にしてしまった。
お陰で振り切ることに成功し、事なきを得たのである。
只、この術? を出した時
「忍法・鎌イタチ!!」と思わず 口走ったら『 ネズミじゃ!! 』
そう三匹から同時に突っ込まれた。
(でも、アイツらは人の懐にもぐり込み温々としておいて、
〈 山が な だ ら か や な ぁ 〉
――――なんて、沁み染みと抜かしやがった! 文句言われる筋合いはねぇよな)
その後 結局戦は膠着状態に陥り、織田軍は撤退して決着は付かなかった。
何とはなしに、横に目をむける。
三女のヤマネは苦痛から解放されたせいか、微笑みを浮かべ、楽しい夢見の中にあった。
(まったく、邪気のない顔をして。コイツは確か、あの三匹と親しかったよな。食い物差し入れたり……何とか見逃して貰えないかなぁ)
あの時、三匹は追っ手の装束のみを斬った。
それでアカネが《葉隠れ者》をなぜ殺さなかったのか? と念珠兄弟に尋ねたところ
(あの里には、敵に回したくない苦手な相手がいるからや)
と答えたのを思い出した。
それでアカネはピンときた。
葉隠れの里には猫忍の一族がいる、という情報は以前から耳にしていた。
念珠三兄弟に言わせると、猫は『天与の忍』と言い、非常に手強い相手とのことだった。
〝忍猫〟(にんびょう)とも称されるそれらは、齢をへると尾がふたつに割れ、変化の術まで使うものも現れるという。
「おまえら〝鼠忍〟よりも強いのか?」
「猫忍は、空恐ろしいわな。ヤツラは天性の忍びや。……考えてもみい、足の裏に予め、音消し付けて産まれて来よるんやで。相当近くに寄ってきても気が付かんし、カナわん」
《葉隠れ者》は、他にタヌキを〝狸忍〟に仕立てて使役するという噂もあり、もし事実なら幻術まで使う可能性が出て来る。
ところで〝忍犬〟というのが《谺》や《葉隠れ》意外の里にはいるとされるが、彼らは猟師の相棒〝猟犬〟と同様、忠誠心の強い走狗である。一方で鼻が利くのと足が速いといった特性以外、忍びとしての素養には欠けるので、然して強敵ではないそうだ。
(葉隠れ者を殺さなかったのが、幸いするかもしれない。場合によったら、他の里へ帰順する芽があるかもしれない)
里抜けした者を受け入れた事が露見すれば、相手との関係は当然悪くなる。
また下手に前例を作ると、自分の里からも裏切り者が現れる。例えば機密などを手土産に、他所へ抜ける者が出るかもしれない。
そんなこんなで、元の里に引き渡される可能性はあるが……
(身分を偽る、という方法だってありじゃないか?)
現に、里の忍び総てが代々の里人という訳ではなく、他所からの流入者もいる。
アカネがそんな希望を抱いたのは《葉隠の里》に〝天狗シノヴ〟と異名を持つ、ちょうど自分と同じ年頃のくノ一がいる、と聞いていたからだ。
実はアカネも、歳の近い娘と「友だちになりたい」という願いを抱いてはいたが、他里の者であったし、忍びは任務に関わる場合を例外として、必要以上他人に情を移す事は【忌むべきもの】とされているので、我慢をしていた。
(空を飛ぶとか、いろいろ噂があるけど……確かめてみたいもんだ)
そんな夢みたいな目的でも、何かで心を楽しませなければ……先の不安を思うと、やりきれない。
――――それから間もなく
里抜けが四人に増えたことが露見し、谺忍群大首領・影丸陰也斎は、新たなる下知を発した。
『 おのれ三姉妹めっ、ミイラ取りがミイラになりおって! 殺れっ《三銘華』もろとも、蜃気郎を消すのだ!! 』
怒り心頭の大首領に刺客として指名されたのは、やはりアカネが読んだ通り。コダマネズミの〝念珠三兄弟〟であった。
だが三匹は逡巡した。
(あの三姉妹の中には、ヤマネがおる)
ある日。三匹のもとへ、ヤマネがおやつの差し入れを持って訪ねて来た。
「ガジオくん達、クッキー焼いたんだけど。食べて!」
「え? あ、ああ……おおきに。」
しかし三匹の顔には、困惑と緊張の色が浮かんでいた。
「(…………入っとるんか!? また入っとるんやろか……?)」
玉のような汗を浮かべて、顔を見合わせる三匹に、幼女はブレッシャーを掛けるかのように促した。
「ネエどうしたの? ……美味しいよ。召し上がれ!」
「オ、……オウ…………」
そして、祈るような思いで手を伸ばした。
(入っとらんよな、ヤマネ。……猫イラズとか)
考えてみたら、あまり良い思い出ばかりというワケではないが。
次女のアカネも、生意気だが どこか憎めない所のある少女だ。
そして長女のサヤカは、蜃九郎と恋仲である。
以前、三兄弟のうちの一匹、ガジ(オ)が蜃九郎と世間話をした時のこと。
「蜃気郎 お前なんで仮面やねん」
『お前こそ何故ネズミなのだ』
「ひょっとして、二目と見られん顔か?」
『コダマネズミがどうして忍者になれたのだ?』
「質問に質問で返すな ワレ」
『 質問すな 』
閉口したので 話題を変えてみた。
「ええ日よりやのぉ~~……」
蜃気郎は、仮面の口の部分まで覆っていた肩掛けを、人差し指でずり降ろし言った。
『 明日もきっと日本晴れだな 』
(……まあ、蜃気郎の方は何かワケの解らんヤツやさかい。どーでも構わん)
暫く相談して〝鼠忍〟の念珠三兄弟は任務受諾を拒否し、剰え直言した。
『 あのなぁ。そもそもアンタが、婚約者を刺客なんぞにするさかい。焼けぼっくりに火が付いたんやで、首領 』
『 大概にさらせよ、ジイさん! 』
『 ええ歳して、鼠に諭されてどないするねん。な、もう自由にしたれや 』
しかし大首領・陰也斎は、強硬処置の一点張りだった。
『 脱走は許さん! 』
『 里抜けは極刑!! 』