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霞の蜃気郎 ~抜け忍狩り~  作者: 当占七生
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 其之壱

 漆黒の闇であった。


 聞こえるのは己の呼吸音と、風を切る微かな音のみである。


 赤い二つの小さな光が一瞬、左手方向から己の眼前に迫ったと思うや、掠めるように降下し右脇をすり抜けて消えた。


 (モモンガではないな……ムササビか)


 大きさで見当がつく。


 子の刻にもなろう奥深い森の中だ。

 本職のお株を奪うが如き真似を、おそらく存在すら知らぬであろう〝人〟たる者がやっているのだから、彼らには思いも寄らぬ驚きだろう。


 小型の猫ほどの大きさがある大?鼠と衝突すれば、こちらとて無事では済まない。


 無造作に後髪を束ねた十三歳の少女・アカネは、衝突を回避した飛行栗鼠へ、賛嘆の思いを餞とする。


 新月の暗闇に覆われた深山の木立上を、素早い影が三つ。マシラ(猿)の如く、枝から枝へと駆け渡って行く姿があった。


 裾を僅か膝上に詰めた合わせの着物を帯留めし、小袖部分を切り落として腕を顕わにした帷子無しの軽装なので、飛び移る葉擦れの音は些細で枝揺れもしない。


 一人の抜け忍を追うために放たれた三姉妹の忍び――太刀アカネはその次女である。


 谺衆に属する三人姉妹は異名を〝三銘華〟と称され、それは主として埋伏の毒に代表される仕込み毒の使い手であった。


 〈埋伏〉とは兵法の「甘い衣で毒を包み、害がわからないよう敵に飲ませる」手段を指す。現在でも苦い薬を《糖衣錠》にするなどの形で生きている。


 今を去ること二刻ほど前、招集された彼女たちの前で、谺忍群大首領・影丸陰也斎直々の指令が下った。



 『 脱走者、蜃気郎を殺れ! この谺の里を抜ける裏切り者を消すのだ!! 』



 仲間の脱走という事態も初耳だったので驚いたが、抜け忍の名と「殺せ」という下命にも肝を潰した。


 (――――何故!?)


 その言葉と疑問だけが頭の中を駆け巡り、暫くは訳が判らなかった。


 姉などは頭の中が真っ白になったのではないだろうか。


 里抜けをした忍・蜃気郎は彼女の姉、長女サヤカの婚約者だったから。


 やや先んじて左手方向を跳ぶ姉の背中を横目に、その胸心を察すると何ともやりきれない。


 いい兄貴分だと少しは考えていただけに『裏切られた』という口惜しい思いが沸々と湧いてくる…………。



 しかし現実の問題として、この任を自分たち三人に科した首領の判断は適切であろうか。


 (こりゃ、難しいお役目だ……)


 抹殺対象は異名を〝霞の蜃九郎〟といい、里の生え抜きとして辣腕を振るい、義兄としてなら頼もしいが敵となると可成りの……というよりも、絶対的にヤバい相手だ。



 そしてなにより――――


 姉自身でさえもおそらく、人を殺した経験はない。



 その姉に〈言い交わした相手を始末しろ〉とは。……増して、実戦の経験すらも皆無である自分たち妹では、尚さら技量不十分だろう。

 

 谺衆は各集落の一党が寄り集まって組織されている。


 それぞれの党は、殆どの場合一族で構成されていたから、人手はそれ程の大勢ではなく〝傭兵〟として戦国大名と契約し各地を転戦した。これは里が違えど、伊賀衆であれ上杉の軒猿衆であれ、同じである。


 調略・謀略に準ずる諜報戦や、新兵器の種子島(火縄鉄砲)を使った狙撃、城攻めの手引きなどの専門家を擁していたが、中には《暗器》と呼ばれる特殊な武器や、手段を使い暗殺などを手掛ける者もいる。彼女たち三姉妹も、まさにそういう役目を代々仰せつかってきた。


 蜃気郎という男は、その《暗器部》の中でも忍者同士の戦闘に特化した――……


 言わば〝忍びを狩る忍び〟として養成された手練者なのだ。 


 (大首領は自分たち三姉妹の事を、何も考えてくれてはいないのだろうか? 死んでも大した損亡では無い、ということなのだろうか?)


 喩え、首尾良く蜃気郎を倒せたとしても、里への報酬は無い。 


 (自分たちは、もう里へは生きて帰れないかもしれない……)


 《谺の郷唄》が、もの悲しげに遠くの山から響いて来る気がした。



 ♪伊 賀 ノ 西 北 根 來 之 隣


 谷間に隠れし我らが故郷


 日頃の激しき 修練を知るや


 修験の精神 オン・シタラヤ ソワカ!


 ご下命忘れず 果たすが理想


 闇に消えても 我が名を問うな 


 木霊 こだま コダマ 谺 こだま 木霊 谺 ……♪



 やがて彼女たちは、枝の密生した大木の真下に降り立った。


 其処を小さく切り開き、急ごしらえの竈を設けささやかな夕餉を摂る。この場で一時小休止し、再び追跡に移るつもりである。


 しかし、サヤカの気持ちは鬱いでいた。


 くノ一 太刀サヤカ。


 彼女は谺衆〝三銘華〟の長女。色白で髪が長い器量よしで、その術は妖艶にして優美・縦横にして大胆・華麗であると、周辺の《影の里》では聊か畏怖される存在だ。


 ただし年長大にして独身……要するに、トウが立っている。


 彼女自身それを多分に意識しており、ここに至っての婚約者の失踪は衝撃であった。


 こうなる前――彼の挙動に何か、思い当たる予兆はあったろうか。


 (自分はアイツの意思表示を見逃したのだろうか……?)


 そう言えば、自分の年齢ついて取り沙汰される事を、蜃気郎の前で憤慨して見せて婚約の履行を暗に求めた時、彼は一言。


 『 確かに。この時代にしては檄遅だネ(戦国時代だもん)……怒ると、小ジワ増えるよ 』


「(何よっアイツったら! 行き遅れって、まだ二十一歳じゃないのォーーー!!)」


 つまりは、軽くあしらわれたのだ。


 (何て無神経なヤツ……! 考えれば考えるほど、だんだん腹がたってくるのよねぇ。ほんと、殺してやるっ)



 ……今から考えると、蜃気郎という男は正体不明のよく解らない奴だった。


 蜃気郎という忍びは、幼い頃から仮面を付け(させられ)ていた。普段から素顔を知る者はなく、婚約者のサヤカにさえも、その面相を秘していた。


 彼女は以前(蜃気郎のことをもっと知りたい)と想うあまり、こっそりと後を尾行たことがある。


 その日。彼は釣魚姿に頬被りをして、何時もの仮面をつけていた。

 

 知り合いでなければ『ギョッ』とするような出で立ちだが、そのまま郷の外れまでやって来る。


 山道を少し進むと、渓流ではなく、見憶えのない館の門前でピタリと動きを止めた。


 サヤカは訝しい思いで木の陰から様子を窺う。


 (……?) 


 すると何とした事か、徐に両腕を高く掲げ、そのまま全身をくねらせて、下から上へと躍動する奇妙な踊りを始めたではないか。


 ( 何故っ……? あれ、ひょっとしてコンブの真似ぇ~~~!? )


 サヤカは思わず物影に首を竦めワナワナと震え出し、引き攣った表情でゴクリと唾を呑む。


 蜃気郎は再び、何事もなかったかの如く歩き出していた。


 (ひょっとして、気が付いてるの?)


 これは〈止めろ〉という、警告の意思表示かもしれない。


 だが、どうしても後には退けない気持ちが勝り、彼女は追跡を続けた。


 蜃気郎の姿が、閾をまたいでむこうへ消える。やや間を置いて、サヤカが慎重に屋内に踏み入ると、中は真っ暗であった。


 目が馴れるまで息を殺して、一所に留まり周囲の状況を窺う。


 (まったく気配がしない。……見張られている様子も無い)


 直ぐに視覚が暗闇に順応して、サヤカは部屋が全く見当たらぬ、長い板張りの廊下を摺り足で進む。

 やがて廊下突き当たりの左側に、ぽっかりと口を開けている引き戸の外された部屋が。


 恐々として覗くと――ポツンと只一本灯された蝋燭の傍らに、件の仮面が置いてあるのを目にした。途端に彼女は胸のときめきと、ドキドキとした鼓動の高鳴りを感じ、抑えられなくなった。


 (蜃気郎の……! それじゃ今、素顔なの!?)


 しかし、目が馴れてくるや、戦慄が躰を駆け抜けた。


 僅かな光に照らされ見えたのは、壁にかけられた何百もあろうかという、あらゆる種類の仮面の群。それが薄暗く見えない遥か向こうまで、ビッシリと続いている光景だった。


 ( かっ…仮面倉庫ォーーーー!? )


 彼女はその段になると、やっと恐怖を感じ、出口から飛び出した。


 胸のトキメキが〈ドコン! ドコン!〉と内側から叩くような動悸に変わったことは言うまでも無い。


 しかし外へ出てみると、それは小さなお堂であった。長い廊下や、まして無数に並んだ仮面が暗闇に隠れる程、広大な建物でもなかった。 

 後で確かめたが、やはり中は狭い。手にした倶利伽羅剣に幾重もの蜘蛛の巣が張った、小さな明王像が置かれているだけの古い不動堂―― 


 それで狐狸妖怪の仕業か、幻術の類であると覚った。


 (あの奇妙な昆布の踊り……動作によって暗示を掛ける催幻導術だったのかしら?)


 堪らず、ある日思い切って直接要求した。


 『 ねえ蜃気郎、私たち婚約してるのよ。素顔を見せて! 』


「いいとも」


 即答だった。


 確かに、彼はその場で仮面を外してのけた。

 しかし必ず日射しを背負い、面体は影になるように仕向るので、結局のところ何も判らなかった。


「フッ… これで満足かい?」


「全っ然」


 しかもよくよく見れば、顔に墨なんかを念入りに塗ってたりして。


 (まったく、何考えてるのよっ! バッカじゃないの?)

 

 ここまで徹底していると、いっそ清々しく、笑い出したくもなる。

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