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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

トロフィー

作者: negachov

 ごう、という風の音で目を覚ました。少し眠っていたようだ。相変わらず辺りは真っ暗。山頂付近のこの小屋に閉じ込められて早三日……いや、四日目か? 戸も窓も閉めきって風雪を凌げるのは有難いが、すでに食料は食い尽くし、灯油も後僅かしか残っていない。なので一番冷え込む夜中から夜明けの数時間だけストーブを使う事にした。そうか。半日振りの暖かさで眠りに引きずり込まれたんだ。寒くて眠い、とならないのがまだ救いか。

 その暗闇の隅に針の様に細い青白い光が入っている。夜が明けるらしい。銀色のエマージング・ブランケットをわしゃわしゃ言わせ、隙間から外を覗くと、当然ながら吹雪いていた。つまり今日も助けは来ない訳だ。


「風が止むまでは助けは来ない」

 後ろから忌々しい声が聞こえた。同い年で先輩の中村だ。無理に下山しようとして、ただ消耗して帰って来た阿呆が何を言うか。思わず舌打ちしそうになるのをどうにか堪える。

 レスキューはまず最初にこの小屋に来る。ここに居るのが最も安全で早く下山出来ると言ったのに。戻ってきてガタガタ震えているのを放置する訳にもいかず、予定以上に灯油を減らす事になってしまった。空腹よりも体力の消耗の方がまずいと止めたのに、敵愾心むき出しで出て行って、戻ってきて、それでこの態度。

 それだけじゃない。こいつは乾パンの缶詰を一つ隠し持っている。こっそりと自分の荷物に押し込むのを俺は確かに見た。妙にそわそわしているのを不思議に思って、うたた寝のふりをしたら、簡単に引っかかりやがった。

 当然怒りが湧いた。しかし同時に言い様のない歪んだ喜びも発生していた。こいつは競うに値しない人間なんだという決定を下せたのだ。口八丁手八丁で周りの人間を、裕子を騙したとしても、こいつは屑だと断言できる、その事にほっとした。

 そして再度怒りの感情が戻ってくる。じゃあなんでこんな奴と裕子がくっついているんだと。



「仁科ってさ、実は幼稚園からずっと一緒だよね」

 高校二年の秋、そう言われて初めて気付いた。似たような成績だから大学も一緒かも、みたいな話もした。時々冗談を言い合ったりするだけで俺は幸せだった。そのために学校へ行ってたと言ってもいい。

 一浪して再開した時、裕子の傍には登山部の中村がいた。高校の時の自分と裕子とは違う距離で立っていた。その時の裕子の申し訳なさそうな笑顔は忘れられない。


「で、その山小屋でね、中村君が悪戯したりしてね」

 中村の話をする裕子は楽しそうだった。悪戯を咎めると、彼女は笑って誤魔化した。そういう行為を嫌う人間だったのに、あいつと付き合ううちに変わってしまったんだ。煙草もそうだ。お父さんの煙草の煙が嫌いだって言ってたのに。

 取り戻さなくてはならない。もういい、と悪戯の話を遮り俺は決意した。


『入学して半年は原則バイト禁止』なんてお構いなしに働き、ファッション誌を買いあさった。少し高い美容院で髪を切るようになった。体を絞り歩く姿勢に拘った。髪型と表情でどうとでもなる事を知った。

 授業にもちゃんと出席して『優』だらけの成績をとった。その噂を聞いて俺のノートを求めて人が集まるようになった。何より大変だったのは、無心を装って嫌味無く振る舞う事だった。

 尊大な中村とは対照的に自分はあくまで謙虚だった。バイト先の女の子に告白されるようになる頃には裕子に話しかけられる回数も増え、中村もそれに気付いてか、急に俺を貶すようになった。しかし謙虚で鈍感な俺に対してその行為は、彼の評判を下げるだけ。そしてついに奴は形振り構わず自分の得意分野でけりを付けようと、俺を雪山に誘ったのだ。

 それでこの体たらくだ。無茶なペースで登ろうとして動けなくなり、悪天候に見舞われた。彼の案内でこの小屋にたどり着けたのは確かに助かったが、そもそも出発を見送ればよかった話だから、良し悪しは微妙だ。しかもここは夏に裕子と来た例の小屋らしい。


 良いだろう。色々と決着を付けようじゃないか。そういえば悪戯をしたと言っていたな。そのくだらない罠に、うっかりお前が引っかかれ。歩けなくなれ。優しい俺は肩を貸してやるよ。これ以上ない程惨めな状態で下山して見放されればいい。


 座りなおした拍子に腹が鳴った。最後の乾パンを一つ齧ってから半日経っている。初日に温めて食ったコンビーフが懐かしい。

 中村の負け犬面を楽しむのはあくまで生きて下山出来た時の話だ。こいつだけが隠し持った缶詰を食って、俺だけ衰弱死すれば奴の勝ち。阻止するか、救助が早く来てくれたなら、奴のカバンをひっくり返して第三者の前で缶詰を隠した事を糾弾してやる。今すぐ問い質して半分差し出せというべきなのかもしれないが、最高の形でこいつを叩きのめす方を選んだ。

 どこかに予備の食料備蓄があるとしても一人では行かせない。奴が勝手に外へ出られぬよう入口に陣取った。熟睡してしまわないように横にはならない。後は助けが来るまで我慢比べだ。



――真夜中過ぎ。

 暗闇の奥でごとんと音がした。眠り込んでいたみたいだ。吹雪の呻り声、床の手触り、寒さ。そうか、俺は山小屋にいるんだった。

 体を起こして辺りを見回す。と何かが動いている。そうだ、中村。あいつと居たんだ。

 暗闇の中に四角が見える。谷側の窓が開いてそこから微かな月明りが……あ!


「おい! 何やってんだ!」

 いや何をやったかは分かってる。一人で乾パンを食って証拠隠滅しようとしてるんだ。

 一気に目が覚めた。やはり直ぐに文句を言うべきだったという後悔。こんな奴に出し抜かれたと、じわじわ悔しさと惨めさが沸き起こってくる。そこへ怒りが混ざってごちゃごちゃになる。しかし何故か急に気分が軽くもなった。ワクワクする様な妙な昂ぶりを感じる。もう猫を被る必要も無くなった。全力を出して良くなったんだ。

 暗闇に浮かぶ微かな輪郭目がけて渾身の体当たりを食らわした。怪我をさせるつもりで突っ込んだ。倒れ込む所を狙ってさらに蹴りを入れると、何かが落ちて、かしゃっと音を立てた。中身が入っている音だ。あれ? じゃあ一体何で……。

 そうか。こいつはそういう奴だった。バーベキューで自分の皿をひっくり返した時、隣の俺のもひっくり返しやがった。冗談めかしていたが、これこそが奴の核。自分が駄目ならお前も、という痩せた何も生み出さない精神。自分より上がいなければ満足なんだ。同じ物を食っても自分は持ち堪えられないかもしれないと、最後の食料を捨てて心中しようとした。本当にどうしようもない野郎だ。

 缶詰を拾おうと這う中村の胴をサッカーボールのように蹴飛ばした。咳の様な声を出し、しかし中村も寝転がったまま蹴り返してきた。まともに受けてストーブごと吹っ飛ばされる。弱っている奴とは思えない。


「中村! ふざけんなよお前!」

 息の音を頼りに腕を振り回す。腕が当たり、拳が当たり、次第に間合いが分かって来た。胸倉を掴んで殴ったほうが早い、と伸ばした手が直に首に当たった。中村は悲鳴をあげて振り払い、今度はこちらの頸に手をかけ力を込めてきた。今のは違う、と言おうとしたが声は出せなかった。

 躊躇いの無い力で締め上げてくる。俺に対する強烈な敵意が伝わってくる。顔を背け、頸をすぼめた相手に反撃は効かない。息と共に一気に力が抜けて手を振り払えない。倒れて逃れようとしても執拗に手は付いてくる。この手だけは離さないという執念。俺の頸を絞めながら奴は絶叫していた。

 野蛮な叫び声を聞いてむしろ火が付いた。手をバタつかせるとそこには肝心の缶詰が転がっている。それを掴み、有らん限りの力を込めて中村の顔を突いた。何か柔らかい感触が伝わり、短い悲鳴が聞こえ、俺の頸から中村の手が離れた。

 今しかない。顔を抑える中村を引き倒し馬乗りになり、全体重を掛けて首を押しつぶす。懇願する様に、柔道の『参った』の様に俺の腕をぱんぱんぱんと叩いてきたが、無我夢中で首を絞め続けた。さっきの中村のように俺も絶叫していた。そして。

 悪夢のような数分が過ぎ、最後にうがいの様な音をさせ――中村は動かなくなった。


 中村の筋肉からぐにゃりと力が抜けるのを感じて手を離した。はっはっという荒い息が震え始めて、涙が止まらなくなった。顔が泣き顔で固まってしまって、鼻水も涎も嗚咽も、どうしても止められない。

 怖かった。本当に怖かった。恐怖がどういうものか俺は知らなかった。街で不良に絡まれた時怖いと思ったが、あれは違う。だって死なないんだから。格闘技の経験も無い、武器も持っていない人間が、あのつまらない中村が、こんなに獣じみて力強く恐ろしいものとは思わなかった。首を触ると絞められた場所がまだ痛い。あの絶叫がまだしっかり頭に残っている。


 震えながら大きくため息を付くと、次にこれからの事が頭に浮かんだ。

 どうしよう。勿論殺すつもりはなかったんだ。『皆そう言うんだ』と言われるだろうが、俺のは正真正銘本当だ。何しろ面倒を避けてるため時間と労力をかけ、直接的な手段を取らずに来たんだから。

 しかし大勢が決したあの時、あの首を絞め続けた時、胸の奥深くに、脳裏のさらに裏側に、黒い痺れるような悪意を感じなかったわけでは無い。それを誤魔化せるのだろうか。正当防衛や緊急避難の一言で許されるのだろうか。自分にも頸を絞められた跡がちゃんとついているだろうか。一応人工呼吸をしようとした痕跡を残すべきか。いや、実際に蘇生措置をすべきか。

 薄暗い計算が頭の中でぐるぐるとまわる。


 少し気分が落ち着くと眠くなってきた。それに酷く寒い。そう言えば子供の頃、泣いた後はたいていこんな感じだった。やけくそ気味に中村の防寒具を引っぺがして包まる。どうせこいつにはもう必要ない。灯油の残り半分を俺だけのストーブに給油し点火した。その途端、暗闇に中村が浮き出てぎょっとしたが、大丈夫だ。こいつはもう動かない。


 そうだ、乾パンを食わないと。今の乱闘で消耗しきって、眠ったら最後と言う事も有り得る。代謝不良による低体温症というやつだ。

 缶詰を振ると少し変な音がした。乱暴に扱ったせいで中身が大分砕けてる。かちかちと固い物がぶつかる音は一緒に入っている金平糖か。想像すると口の中がきゅっと縮まって涎が出た。缶は所々凹んでいて『乾パン』の文字が少し不気味に歪んで見える。

 喉もカラカラになっている事に気付いた。ストーブの上に鍋をかけて雪から飲み水を作るとしよう。どうにか眠気を堪えながら雪が解けていくのを見つめる。ストーブに手をかざして温まっているうちに、乾パンの味が頭に浮かんできた。小麦粉の味。固いあの食感。でんぷん独特の、呑みこむ時の満足感。

 鍋に目を戻すと湯気が出始めている。沸騰させる必要はない。温かいお湯をカップに移し、念願の缶詰を開けた。




 病院に二人目の刑事が入ってきた。手で挨拶し合流するなりエレベーターの方へ向かう。

「話は出来るのか」

「ええ。発見時は随分弱っていたそうですが、若さですね」

「雪山で遭難して仲間割れか。……それは?」

 若手の刑事がビニール袋に入った缶詰を差し出す。

「……なるほどね。最後はこれの取り合いになった訳か。哀れだな」

「登山部で良く登る山だそうです。これを置いたのはもしかしたら彼らの先輩かもしれませんね。大人がやるとも思えませんし。今頃証拠隠滅したがっている事でしょう」

「開けたら『おもちゃの缶詰』だった、なんて平常時でも笑えんぞ。この手の悪戯をやる奴は、いっぺん死ななきゃ判らんのだろうな」

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