少女とゴーレムの日常
「……ん」
閉じているまぶたに宿る淡い光で、俺はゆっくりと覚醒した。
目を開ける。ぼんやりとした視界から、次第に焦点が定まっていく。一番に視界に飛び込んできたのは、見慣れないクリーム色の天井だった。
「……っと」
薄い靄がかかった脳内を手探りで捜索するも、思いだせない。というか、そもそも頭が働いていないのだ。ゴーレムであっても、寝起きは弱いものなのである。
いつのことだったか、プリシアに、「ゴーレムも寝るのか」と問われたことがある。
結論から先にいえば、「寝る」。だが、さらに「なぜか」と訊かれれば、答えは「わからない」のである。
釈然としないその表情に、「なら、おまえはなんで寝るんだ」と尋ねれば、彼女はさらに顔をしかめて「……眠いから」という。
俺の次の台詞は決まっている。「俺も同じだ」だ。彼女の顔はだれかに踏まれたかのようにぐしゃぐしゃになる。
旅にでてから気づいたことだが、どうやら俺は、すこしかわったゴーレムらしい。外見においても、内面においても。たとえば――。
「……むにゃ」
俺の思考は、穏やかな寝息で中断された。
左隣りでは、大きな枕に頭を乗せ、プリシアが安らかな寝顔を浮かべていた。マシュマロのように柔らかそうな頬をたるませ、幸せそうに眠っている。
「そうか……そうだったな」
すこしずつ、頭がハッキリとしてくる。
久しぶりにトレジャーが成功したことを祝し、昨晩は、いつもならば絶対に利用しないような良い部屋に泊まったのだった。ダブルベッドで一緒に寝ることをプリシアは最後まで嫌がっていたが、結局、ふかふかのベッドの魅力に負けたらしい。
気持ちのいい朝だった。
窓の外には青空が広がっていた。青の深さと、山のように積み重なった雲の白さとが、その高さをより強調していた。そして、雲の頂上よりもさらに遠いところで、太陽が風船のように浮かんでいた。
……なにか違和感を覚える。耳をすますと聴こえてくる、ひとびとの喧騒――小鳥のさえずりではなく――が、さらにそれを助長する。
違和感の正体はすぐにわかった。
ゆっくりと上体を起こす。寝ぼけまなこをこすりながら部屋中を見渡す。時計は俺の視線によってはじめてそこに生まれたかのように壁にかけられていて、文字盤のうえでは、長針と短針が、二本の針がそこにあるということ以上の意味を体現していた。
時刻は一二時一〇分前を示していた。
「……なるほどな」
どうやらもう朝ではなく、昼だったようだ。
それにしても、まさかふたりとも、この時間まで起きないとは。それだけ疲労していたということだろうか。それとも、布団の寝心地がよかったということか。
どちらにしろ、気分は悪くなかった。
グッと伸びをする。プリシアがしていたことを真似し、はじめてみたわけだが、これが驚くほど気持ちいい。いまや毎朝の日課となっていた。
「……たしか、今日の予定は……」
昨晩話したかぎりだと、今日は、入手した魔宝石の鑑定をしてもらいに行く予定だったはずだ。べつにアポイントをとっているわけではないし、急ぐ必要もないわけだが、あまり寝すぎてもよろしくないだろう。
それに、腹も減った。――おっと、「ゴーレムも腹が減るのか」という指摘はなしにしてくれ。俺だって、ゴーレムなのに腹が減る理由を、知りたいくらいだ。
とりあえず、声をかけてみる。
「プリシア、起きろ、もう昼だぞ」
反応はない。
ならばと、プリシアの矮躯に手を伸ばす――すると。
「おい……って、ええええええええええええええええっ!?」
「ふわっ!? なに、なになに、なに!?」
部屋のなかに響いた俺の絶叫で、プリシアは弾かれたように飛び起きた。
ホルスターに手をかけた状態で、素早く辺りを見渡す。片膝を立てているのは、ワンアクションで行動ができるようにするためだろう。
動物じみたこの反応は、まぎれもなく、これまでの旅のなかで培われたものである。
しかしすぐに、ここが宿屋の一室であり、特に異常がないことを確認すると、プリシアはジロリと俺をにらむ。
「……ちょっとウォーロック、いったいどういうつもり?」
子供とは思えないほどに、すさまじい迫力があった。
しかしいまばかりは、俺に正義がある。俺は無言で左手を――いや、正確には、左手の部分を失った左手首を、プリシアに見せつける。
「……は? なによ、意味わからない――」
プリシアの顔色がかわった。まるで、色という概念が彼女の顔から消え失せたかのようだった。
そのままプリシアは、そそくさと布団のなかに戻っていく。もぞもぞと布団のなかを動き回ったかと思うと、「ギャッ」という短く叫びが聞こえた。
……やっぱりか。
俺の予感が確信にかわったと同時に、ピタリと音沙汰がしなくなった。分厚い羽毛布団が、部屋中の音という音を吸いとってしまっているかのように。
さて、いったい彼女は、どうするのだろう――そんなことを思っていると。
「とりあえず、ご飯にでも行きましょうか」
取り繕ったように朗らかな声が、布団のなかから発せられた。
何食わぬ顔をして布団からでてきたプリシアは、視線を宙にさまよわせながら、いう。
なるほど、こういう作戦か。
「ウォーロック、昨日、頑張ってくれたしね。それで魔力がつきて、左手を繋ぎ止められなくなっちゃったんだわ。うん、きっとそう」
この移り身の速さである。そのうち媚びた笑いを浮かべながら揉み手をしはじめないともわからないので、そうなるまえにかぶりを振ることにする。
「残念ながら、それはちがうな」
たしかに、魔力が尽きていることは事実だ。魔力に余裕があれば、昨日、キマイラに切断されつつも復元した左腕のように、この左手も再生しているはず。しかし、していない。すなわち、俺の体内を循環する魔力に、余裕はないということだ。
だが、魔力が不足しているから、体の一部が瓦解するということはありえない。
魔力は人間でいう血液のようなもの。損傷のないかぎり魔力が消費されることはなく、体内をめぐるだけだ。要するに、現状維持ということである。
「……ま、そんな原因なんて、べつにいいじゃない。そうだ! 昨日手に入れた魔宝石の鑑定にも行かないといけないわね! ほら、さっさとベッドから出て支度しなさい!」
「俺の体が崩壊する理由はひとつだ」
俺をベッドから押し出そうと躍起になっているプリシアに、静かに伝える。
「それはキマイラとの戦闘のように、外部から加わる力によって、破壊されること」
「じゃ、じゃあ、あたしが寝ぼけて、蹴っちゃったのかも?」
「キマイラの爪でも傷ひとつつけられなかったこの腕を、おまえは寝ている状態の蹴りで破壊したというのか? さすがだな」
もしそうだとしたら、俺は今後、絶対にプリシアのとなりで寝ようと思わないだろう。
「…………」
「ただし、おまえでも俺の体を破壊する方法が、ひとつだけある。……泥と魔力でできている俺は、水属性の攻撃に弱い」
「……へ、へえ、水? おかしいわね、そんなもの、どこにもないのに」
「それは、どうだかな」
真実を白日のもとに晒すように。
「あっ!」
思いきり布団をひっぺがした。
「――ダメ、見ないで!」
慌てた様子でプリシアはベッドのうえで体を丸める。
だが、彼女の小さい体では、それは到底隠しきれるものではなかった。
「……やれやれだ」
ベッドのうえにあったのは、ふたつ。
ひとつは、どこか哀愁が漂う、俺の左手。
もうひとつは、シーツに刻まれた、世界地図。
「……ウォーロックの」
そう、俺の左手は、プリシアのおねしょの、犠牲になったのだ。
「ウォーロックのばかああああああああああああああああああああああああっ!」
プリシアの絶叫が鳴り響いた。
第6話は1/19土曜日22時更新予定です。