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真理の終着点(5)

「……ちがう」


 エーテリアが、両手で顔を覆った。肩が小刻みに震えていた。


「ちがう、ちがうのよ……プリシア。わたしは、わたしは、本当に……」


 あとは言葉にならなかった。短い嗚咽が、口をつくだけだった。


「……ごめんなさい、お母さん」


 プリシアは深く息をはいて、いう。


「べつにあたしはお母さんを、責めるつもりはないの。……いまのはすこし、いいすぎたかもしれない。ごめん。お母さんはお母さんなりに、あたしのことを、考えてくれたんだよね」


 言葉を探しながら、道を探しながら、プリシアは続ける。まるではじめて自分の足で立った赤子のようにたどたどしかったが、それでも、たしかに進んでいく。


「……でも、お母さん。それは、あたしのためじゃない。お父さんのためでもない。……お母さん自身のための行動だって、気づいてる?」


 エーテリアの瞳が揺れた。その奥から顔を覗かせているのは、彼女の弱さだった。


「あなたに……あなたに、なにがわかるの!」


 すさまじい剣幕にプリシアはひるむも、すぐにその目を真っ向から見つめ返す。


「わかるよ……わかる。あたしもいま、同じ気持ちだから」

「!」

「あたしも、大切なひとを失ってしまった……お母さんと、同じように。だからこうして、必死になって、とり返そうとしている。とり戻そうとしている。ほかの誰でもなく、あたし自身のために」


 そこまでいって、プリシアは慌てたように体のまえで両手を振った。


「べつに、自分のために行動することがダメだっていってるんじゃないよ。あたしたちは人間だから。ゴーレムじゃないから」


 でも、と、プリシアはいう。


「……やっぱりダメなんだよ」


 困ったように笑う。


「だってそうでしょう? お母さんは、お父さんを守れなかった……のかはわからないけど、すくなくとも、お父さんを失ったことを後悔している。だから、手に入れようと、蘇えらせようとしてるんだよね。……でもさ。そうやって蘇えったお父さんは、本当にお父さんなの?」

「…………」

「お母さんはそれを、お父さんだと思えるの?」

「……やめて」

「お母さんはそれで、納得できるの?」

「やめて!」


 エーテリアが叫んだ。


「やめて! そんなことはない! そんなことはないの! わたしは……わたしは!」


 顔を覆っていた、表情を隠していた鉄仮面がいま、ポロポロと瓦解していく。


「……そんなことをいったら、たとえあなたがウォーロックを蘇えらせても、それはウォーロックではないことになるのよ? それはあなたにもいえることなのよ?」


 そのときのプリシアは、とても不思議な表情をしていた。まるで、喜怒哀楽の絵の具が厚く塗りたくられたかのように。結果として、なんの感情も残らなくなったかのように。

 しかし、それも一瞬だった。


「わかってるよ。……わかってる」


 そういって、彼女は笑った。……いや、泣いた?


「守るってさ、難しいよね。……守ろうとしてみて、はじめてわかった」

「……守るだけではなにも手に入れられない。欲しければ戦いなさい。自分の手でつかみとりなさい」

「そんなこと、ないよ」


 プリシアはゆっくりとかぶりを振る。


「手に入れられないから守るんじゃない。守るっていうのは、そんな簡単なものじゃない。……ううん、むしろ、逆。守ることができなかったから、ひとは手に入れようとするんだ。……あたしたちみたいに」

「守れなかったから……得ようとする」

「あたしは弱い」


 プリシアはいう。


「あたしは、いつも守られてきた。そんなあたしに、いまさら大きなものをを勝ちとることはできない。大きなものを守ることもできない。……守ることもできなかった、だね」


 口をつくのは、自分の弱さだ。


「ウォーロックは、もういない」


 自らの弱さを認めた彼女は、なによりも強い決意を瞳に携えて、エーテリアを直視する。


「でもあたしは、ウォーロックがいたことを忘れはしない。ウォーロックのかわりを用意して、それで傷を埋めようとはしない。この傷は、この痛みは、この記憶だけは……守るよ」


 そこにいるのは、なにかに守られているだけの宝物ではなかった。


「そうやってひとは、強くなるんだ」


 自らの意思で立ちあがり、自らの意思でなにかを守ろうとする、石よりもかたい、意思のかたまりだった。


「なにかを守れるようになるんだ」


 そういってプリシアは、俺のほうへと、歩みを進めた。


「だから……これがあたしの、答え」


 プリシアの手が俺の体の表面に触れた。プリシアの体温が、冷え切った俺の体内へと広がっていく気がした。それはどこか懐かしい、温もりだった。


「その手を離しなさい! プリシア!」


 エーテリアが叫ぶ。


「《エメス》!」


 その叫びに負けないくらい、プリシアも叫ぶ。


「あなたは――自壊しなさい!」


 瞬間、まるで白が黒になったかのように、表が裏に――いや、裏が表に、だろうか――なったかのように、世界が様変わりした。世界に一本、大きな亀裂が入ったかのようだった。


「《エメス》から、ユウリから離れろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 だが、その高揚感はすぐに虚無感へとかわり、そしてまた、べつの色へと豹変する。

 エーテリアに突き飛ばされ俺の体から離れたプリシアの手のかわりに、エーテリアの手が触れた。すこし冷たいその手は、しかし必死に俺の腕を掴んだ。もう二度と、決して離さないとでもいうかのように。


「ダメ! ダメよ《エメス》! あなたはユウリの魂になるの! いい? ユウリの魂になるのよ!」


 俺の体に、ひとりの男の記憶が、情報が、流れ込んでくる。《エメス》はそのすべてを飲み込み、理解し、解き明かしていく。なにかをつくりだそうとする。


「やめてお母さん!」


 プリシアは立ちあがり、組みついた。俺ではなく、彼女の母親に。エーテリアに。


「そんなことをやっても、たとえお父さんが蘇えっても、それはなにを守ったことにもならない! むしろ、お父さんを失ってしまったという事実が目に見える形で残るだけ!」


 エーテリアから流れ込む情報の波が、ぐらりと揺れた。


「でも、でも……ユウリがいなくなってしまったら……わたしには、もう、なにも……!」

「あたしがいるよ!」

「!」


 もう一度、ぐらりと。


「あたしがいるよ、お母さん! 失ってしまった穴じゃなくて、なにもない暗闇じゃなくて、あたしを見て! あたしを守って! あたしに守らせて!」


「……プリシア」

「お父さんを失って悲しくないはずがない、ウォーロックを失ったら悲しいに決まってる。……でも、あたしたちには、まだほかにも守るべきものがあるでしょう?」


 プリシアの目から涙が零れ落ちた。零れ落ちてしまった。彼女はあの涙を、守ることはできなかったのだろうか、それとも、守ることができたのだろうか。


「あたしたちは弱い人間なんだ」


 膨大な情報の海のなかから、なにかがあふれだしてくる。


「勝ちとることも、守ることもできない、人間なんだよ」


 それは、光。


「だからお互いに、助けあっていこうよ。守りあっていこうよ」


《エメス》が、光を生みだしていた。いや、《エメス》が光になっていた。


「……わたしを、許してくれるの?」


そして、《エメス》は。


「許すも許さないもないよ」


 俺は。


「喧嘩のあとは、仲直り。……でしょ?」


 消えた。


「エピローグ」は本日夜22時更新予定です。

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