真理の終着点(3)
それは、はじめての感覚だった。少女が嗚咽をもらしているのがわかった。エーテリアが恍惚の表情を浮かべているのがわかった。
すべての感覚器が、ひたすらに鋭敏になっていた。体にまとわりつく空気は電気を帯びたようにピリピリと触れあい、耳に届く音は、鋭い槍のように頭の奥底にまで突き刺さった。
まるで、俺という存在が、世界よりすこしだけ「上」にいったような、そんな感覚。
「いやああああああああああああああああああああああああっ!」
少女の魔装銃が火を吹いた。銃弾を放つその一瞬いっしゅんのタイミングまでもが、手にとるようにわかった。
さきほどまでの迷いはなかった。そこにあるのは、あふれんばかりの殺意だけだった。銃はまるで、少女の殺意を吸収する魔宝石となったかのように、弾を吐きだした。
「……できるじゃない、きちんとした攻撃」
しかし――いや、やはり、だろうか――その攻撃が、エーテリアに届くことはなかった。
正確には、届いていた。その証拠に、エーテリアの体には無数の銃弾が炸裂していた。無数の傷が残った。だが、無駄だった。傷は、何事もなく消えていった。
修復――それは、ゴーレムのそれと、同じだった。
「……まさか、あんた」
「ええ。……わたしの半身は、すでにゴーレムと化しているわ」
やはりか――と、ぼんやりとした視界のなかで思った。
先ほどの会話から、すでにふたりが親子であることはわかっていた。しかしそれでは、母親であるエーテリアは、やはり若すぎるようだ。だが、体の一部がゴーレムであるならば、説明がつく。ゴーレムは、年をとらないからだ。
だが問題は、そこではない。
「自分の体をゴーレムに……なんのために」
「念のため、ってところかしら」
「真面目に答えろ!」
「……まったく」
エーテリアは付き合いきれないとばかりに肩をすくめた。
「あなたにそんな口を利く権利はないことくらい、考えればわかるでしょう。それがひとにものを頼む態度だとは思えないわ。頭のひとつくらいさげたらどう?」
「どうしてあんたに、そんなこと……っ」
怒りをにじませる少女に、エーテリアはかわらぬ口調でいう。
「考えてみれば、あなたはずっとそうよね。わからなければ、すぐに訊く。敵が来たら、すぐに守ってもらう。それは、これまではそれでよかったでしょうね。なにせ、このわたしの唯一無二の最高傑作が、近くにいたのだから」
「唯一無二の最高傑作……ウォーロック、が……?」
「ええ。……あなたも薄々、勘づいていたでしょう? ウォーロックとあなたが呼び慕う彼は、ゴーレムとは根本的にちがう、と。いえ、むしろ、人間に似すぎている、と」
「……それは」
少女は言葉につまる。その表情は、エーテリアの言葉が的を射ていると示していた。そして、言葉がでてこなかった理由は、それだけではないようだった。
「……ウォーロックは唯一無二にして、最高傑作……。最大の特徴は、人間に似ていること……? そしてあんたは、半分だけゴーレムになった……。それは、なんのため……?」
少女の表情に、電流が走ったかのようだった。
「気づいたわね。そしてその答えは、おそらく、正解よ」
「……あんたが自分の体をゴーレムにしたのは……それもまた、実験のため……? なら……なら、ウォーロックの正体は……」
言葉の語尾は、緩やかに消えていった。飲み込まれたのだ、地獄の裂け目のようにニンマリと開かれた、エーテリアの口のなかへと。
エーテリアは叫ぶ。
両手を広げて、空に向かって。人間をつくりだした、神に対して。
「そう! ユウリは、土と魔力と人間をもとにしてつくりあげた、稀代の錬金魔術師エーテリアによる、最高にして最上のゴーレム!」
瞬間、空が割れた。かぎりなく続く空に、果てしなく亀裂が伸びていた。真一文字に引かれた空の傷からは、暗雲が立ち込めてくる。そしてやがて、闇を孕んだ太陽が降りてくる――ということはなかった。
空はかわらず快晴であり、太陽はまぶしかった。
しかしなぜだろう、どうしてだか俺の目には、この世界のすべてがつくりもののように見えた。そして事実、この世界はつくりものなのだ。空も、太陽も、自然も、人間も。すべては、神という存在がつくった、つくりもの。
そのなかで唯一、俺だけが、ゴーレムだけが、神が干渉していない、つくりものだった。
「そしていま、最高のゴーレムのなかに、最高の魔宝石がある」
最高のゴーレムというのは俺であるはずだった。そういう意味ではエーテリアよりも、金髪の少女よりも、俺は当事者だった。
しかし、そのような実感はあいかわらずなかった。
理由はわかっていた。最高の魔宝石――賢者の石が、俺のなかで、着々と大きくなっているからだ。それは比喩であり、比喩ではなかった。理の魔宝石《エメス》は物理的にも精神的にも、拡大していた。俺の体を、俺の精神を、浸食していた。
「《エメス》は、無から有を生みだす。万物を生みだす」
エーテリアはいう。
「なら、失われた故人の命を、魂を生みだすことも、できるはず」
淡々と、淡々と。
「つくりだすのは、ユウリの魂。そしてその魂は、ユウリの器に入る。……ならそれは、ユウリそのものだと、いえるでしょう?」
だがその根底には、熱く激しく燃え盛る、強靭な意志がひそんでいた。
「それが、わたしの願いであり、目的」
そして、エーテリアの説明は幕をおろした。言葉のかわりに、沈黙の粒子が、音もなく入り込み、満たした。だれも動かなかった。だれも動けなかった。
「……ウォーロックは、どうなるの?」
少女がポツリとつぶやいた。静かな水面に生じた波紋のようだった。
「ウォーロックなんてものは、最初からいなかったの」
また、波紋がひとつ広がった。
「おまえがつくりだした幻想。虚像よ。あるのは唯一、ユウリのみ」
「もうひとつ、訊いてもいい? ……お母さん」
「……なにかしら?」
そこにいたのはもう、さきほどまでの気丈な少女ではなかった。母親をまえにうなだれるだけの、ひとりの幼い、少女だった。
「あたしを捨てたのは……《ハーティア》を得るためだった……そういうこと?」
「そうよ」
「それはつまり、あたしより、《エメス》を選んだってこと?」
「そうよ」
「そのユウリってひとを、選んだってこと?」
「そうよ」
「あたしよりも……そのひとのほうが大事……ってこと?」
「…………」
そうよ、とはいわなかった。
エーテリアはここにきてはじめて、答えを、答えることを、戸惑ったようだった。
「ねえ」
肯定も否定もすることなく、エーテリアは少女に呼びかけた。
「ユウリのことを、あなたはなにも覚えていないのかしら? ……プリシア」
それはまるで、悲しみに暮れた娘に優しく声をかける、母親そのものだった。
「だから、あんたにその名前で呼ばれる筋合いなんて――」
「あるの」
思いのほか強い言葉が返ってきたからだろうか、それとも母親に怒られるという感覚を思い出したからだろうか。少女は口をつぐみ、母親の言葉の続きを待つ。
「あるのよ……だってその名前は、わたしたちがつけた名前だから」
「……わたしたち?」
息を吹き返したかのように、少女の目に光が宿った。瞳は濡れ、黒い輝きを放っていた。上等な魔宝石のようだと思った。
「そう……わたしと、ユウリがつけた……名前よ」
「……っ! そんな……それって、つまり」
「ええ」
エーテリアはかすかにあごをひき、いう。
「ユウリはあなたの、お父さん」
すいません、次話は2月27日木曜日更新予定となります(もしかしたら26日水曜日に更新できるかもしれませんが、それよりまえの更新は難しそうです)。
また、「ハゴです。」はそろそろ完結の予定です。次回作に役立てるため、感想はもちろん、良かった点、悪かった点等の指摘をいただけるととても参考になります。感想欄、メッセージ、活動報告へのコメント、ツイッター(@Harubaru_haruse)までよろしくお願いします。




