《賢人》エーテリア
シルバのいったとおり、《テレパ・テレパ》は夜にも珍しいふたつでひとつの魔宝石だ。屈音性音転換型――ただし、吸収と放出はそれぞれ、もうひとつのほうから行われる。この性質を利用して、普通ならば声の届きようがない離れた距離でも、連絡をとることができる。
つまり、シルバはあの日、俺の申し出に賛同したのだ。
そして後日、改めて行われた作戦会議では、次のような話しあいがなされた。
すなわち、あくまでシルバの狙いは《賢人》の持つ魔宝石であり、《賢人》自体にはなんの興味もないということだ。
ゆえにおおまかな作戦としては、俺たちが《賢人》と向かいあっている隙をついて、シルバは魔宝石を奪取、その後、後方支援に徹するというものになった。もちろん後方支援というのは、もしものとき、俺に《魔抗針》を打ち込むことも含んでいるのだが、プリシアには秘密になっていた。
また、肝心の《賢人》捜索についてはシルバたちの役目ということになった。いわく「ハンターにはハンターの情報網がある。ハンターにはハンターのやり方がある」とのことだったからだ――しかし。
「あの音……いったいなにがあったのかしら」
金色の髪と真っ赤なマントの裾をなびかせながら、プリシアはいう。その脚はせわしなく前後し、すこしでも早く先に進もうという気持ちが感じられた。
「わからない。しかしあの音から察するに、相当切羽詰まった状態であることはまちがいないだろう」
そう返すと、プリシアは黙り込んだ。
《テレパ・テレパ》から飛び込んできたのは、声ではなく、音だった。間断なく続く、固い金属音。まるで、《テレパ・テレパ》の片割れを、鉱物に叩きつけているかのような。
シルバなら、そんなことをする必要はないはずだ。声を出せばいいのだから。しかし、声を出すことができず、音でなにかを伝えようとしている――それはつまり、シルバが声を出せる状況にはおらず、かわりにアルマードが、俺たちに救援を求めての行動にちがいなかった。
「切羽詰まった状態……それって、つまり」
最後まで言葉のかたちをなさなかったプリシアの声なき声に、俺はやはり無言で同意した。
そう、シルバは《賢人》にやられたのだ。先走ったのか、それとも《賢人》から仕掛けたのかはわからない。だが、それしか考えられなかった。
プリシアはなにかをいいたげに、しかし唇を噛み締めている。シルバの身を案じているのではないだろう。もちろんその気持ちもあるだろうが、それすらも霞むほどに、矛盾した感情が彼女のなかで渦巻いているのだ。
この先に、《賢人》が――自分を捨てた母親が、いる。
ようやく会えるという気持ちと、ついに会ってしまうという気持ち。
それは、小さい体には大きすぎる、葛藤だった。
「大丈夫だ、プリシア。おまえは俺が守る」
「……ウォーロック」
俺たちは、なにやら街外れの森のほうで轟音が聞こえたという情報を聞きつけ、そちらに向かっていた。そして、すぐにその情報は正しいものだと確信した。
《賢人》の信号もまた、森のある方向から発信されていたからだ。明らかに《賢人》は、俺たちを誘っているようだった。
森に突入する。
ひとびとの話によると、この森は――ブロンドの森は、別名迷いの森とも呼ばれており、奥に行けばそれだけ光が射し込むことはない、とのことだったのだが。
「……光?」
まばゆい光が、森の奥に広がっていた。鬱蒼としげる森のなかのとある一帯だけ、根こそぎ木々が払われているのだ。
その不自然さを疑問に思うまえに、俺たちの視界に飛び込んできたのは、あふれんばかりの光と、力なく横たわるシルバの姿だった。
「シルバ!」
「……おチビさん……なんで」
幸い、意識はあるようだった。しかし、幸いなことはそれしかなかった。満身創痍とはまさにこのことだろう。目はうつろで、自慢の銀髪も、いまは土や血にまみれていた。
「アルマード……。あなた、おチビさんを巻き込むなって……いったじゃない」
「…………」
アルマードはなにも答えず、同じように力ない様子で木々に体を預けていた。手には《テレパ・テレパ》が握られている。やはりあれは、アルマードなりの緊急信号だったのだ。
「そういうな、シルバ」
シルバに歩み寄り、上体を抱え起こすと、その顔は苦痛にゆがんだ。どこか、骨が折れているのかもしれない。
「アルマードは優秀なゴーレムだ。ゴーレムはなによりも、使役者の命令を順守する。俺が、プリシアを守るように。……なにがあった?」
問いかけるも、シルバは静かに首を振るのみ。
「だとすればあなたは、ゴーレム失格ね……。あなたに、おチビさんを……守りきることは、できない……あいつから」
「あいつ……《賢人》か? やはり《賢人》にやられたんだな、《賢人》はどこだ?」
「……逃げなさい、いますぐ……」
あのシルバがこんなにも気弱になるほどだというのか、《賢人》は。
さて、どうするか。シルバを街に連れ戻すか、それともここで《賢人》を待つか――指示をあおぐべく、プリシアに顔を向ける。
しかし、プリシアの目は、こちらを見ていなかった。双眸から放たれる視線は、縫いつけられてしまったかのように、ぽっかりと開いた空を睨んでいた。
視線の先を目視するまえに、大きな影が俺の体を覆った。
「わたしはここよ」
頭上から降り注いできたのは、巨大な影だけではなかった。立ち込めた霧のように冷ややかな声が、まとわりつくように耳朶を撫でた。
「な――っ」
見あげると、そこにあったのは、巨大な岩のかたまりだった。
それがゴーレムだと、瞬時に認識する。だが、一方でそれがゴーレムだと、にわかに信じることはできなかった。飛行能力のあるゴーレム? そんな、バカな。
疑問に答えるように、ゴーレムの背から声がした。
「魔宝石が埋め込まれているわ」
女のものだった。
そして女は、ふわりと降りてくる。真っ赤なマントが空になびいた。たっぷりとした金髪が、嘲笑うかのように宙を舞った。同じように金色の瞳が、きゅっと細まった。
「会いに来たわ、愛しに来たわ……わたしの愛しいひと」
一目見てわかった。
「あ……」
こいつが、プリシアの母親であり。
「ああ……」
俺を生みだした、《賢人》だと。
「待て、プリシア――」
プリシアの顔に、亀裂が入った。その亀裂から顔を覗かせたのは、憤怒であり、憎悪であり、悲哀であった。ありとあらゆるこの世の暗い感情が、あふれでてくる。
「あああああああああああああああああああああああああっ!」
「《賢人》エーテリア(2)」は明日2月17日夜22時更新予定です。
最終章ということもあり、基本的に毎日更新したいと思います。よろしくお願いします。




