出会いは宝箱のなかで
俺がプリシアと――いや、そのころの彼女に、プリシアという名前はまだなかった――出会ったのは、一〇年以上もまえのことだった。
一〇年という年月が短いか長いか、俺にはわからない。なぜなら、俺はゴーレムであり、魔力が続くかぎり、永遠の命を持つ存在だからだ。
しかしその一〇年が、俺のなかでどれほどの比重を占めているかといえば、それはほぼ一〇〇パーセントである。
そう、結論からいえば、一〇年前、俺がプリシアと出会ったのは、俺がこの世に生を受けてから、わずか数日後のことだった。
「さようなら」
俺が覚醒したときは、彼女と――《賢人》と、別れのときでもあった。
もちろん、俺はゴーレムだ。彼女と別れるということに、なんの感情もわかなかった。足音とともに遠ざかっていく左右に揺れる流麗な金髪を、俺はただ無機質な瞳で眺めていただけだった。
俺の仕事は、いたってシンプルだった。
それは、宝箱――大きな宝箱だ――を守ること。
魔族たちから、冒険者たちから、盗賊たちから、そして、トレジャーたちから。新人からベテランまで、老若男女を問わず、宝箱を狙う不届きものたちを、俺は蹴散らさなければならなかった。
特に、やる気があるわけでもなかった。
だからといって、やる気がないわけでもなかった。
やる気があっても、やる気がなくても、やることはひとつだったからだ。選択肢はひとつだったからだ――いま思えば、このときの俺は、正真正銘、ゴーレムだった。
いつまで守っていればいいのだろうかと思うこともなく、ただ、宝箱を守ろうとだけ考えていた。考えていたわけではないかもしれない。ただそれを実行しようと、漠然と思っていた。
半日が経過し、夜になった。
侵入者はこなかった。冒険者も、盗賊も、トレジャーも、宝箱を狙って侵入を試みてくることはなかった。
魔族はいた。
魔族はいたが、みな温和だった。ひとを襲うこともなく、そこらへんに生えていたコケや草木を食べていた。洞窟の端の湧き水を飲んでいた。平和だった。
みな、俺のことに気づいていたが、話し掛けてくることはなかった。物陰からチラチラとこちらの様子をうかがっていることがわかった。
俺は気づいていることを伝えるために、そちらのほうを一瞥すると、そそくさと退散していった。なにがしたいのかはわからなかった。警戒しているのかもしれないと思った。それについて、特になにも思わなかった。
さらに半日が経った。ようするに、一日が経った。
そこで俺は気づいた。外が明るいということに。いや、外が明るいということがわかるということに、気がついたのだ。
この洞窟は、洞窟ではなく、ただの洞穴だったのだ。山のなかを横に長く一本、掘り続けただけの、洞穴。
だから侵入者もいなく、侵入者もいないから、魔族がみな、穏やかな暮らしをしているのだとわかった。なるほど、そんな平和な生活のなか、急に物々しいゴーレムが現れれば、警戒するもの当然だろう。
しかしだからといって、「お邪魔しました」と退散するわけにはいかない。俺の背中に宝箱があるかぎり、俺はここに仁王立ちをしていなければならないのだから。
また半日が経った。二回目の夜になったのだ。
俺はこのまま、何回の昼をむかえ、何回の夜をむかえなければならないのかと、すこし気になった。一〇〇回だろうか、一〇〇〇回だろうか。
術式によって作られた俺の知識はそれ以上の数があることも知っていたが、俺はそこまで考えることはなかった。いやになったからではない。むなしくなったからでもない。ゴーレムである俺は、いやになることも、むなしくなることもない。
転機――というほどのものではなかっただろう。たとえるならばそれは、いつもは右足から踏み出す第一歩を、左足から踏み出してみるような、そんな気まぐれ。
そしてその気まぐれを起こしたのは、俺ではなかった。
「よっ、こんなところで雨宿りか? 人間」
ナイトバット――蝙蝠の形をした魔族だ――はそういった。
人間。俺のことだろうか。しかし俺は、人間ではない。ゴーレムだ。そう伝えようと思い、声をだすと、声のかわりにでたのは、マッチ棒を擦ったような擦過音だった。
そこではじめて俺は、自分が言葉を話せないことに気づいた。
ゴーレムは言葉を話せないのだ。だから俺は、ゆっくりとかぶりを振った。
「なんだ、人間。言葉が話せないのか?」
ちがう。首を振る。
ナイトバットはうなりながら宙をさまよい、そして、
「もしかしておまえ……ゴーレム、なのか?」
なかなかいい閃きだ。首肯する。
「へえ、すごいな、人間みたいだ。おまえをつくった人間は、きっと相当な腕前だったんだろうな。そうだろう?」
わからない。やはり首を振る。
「そっか。……つーか、このままじゃ埒が明かないな。よし、ちょっと待ってろ!」
待つもなにも、俺はここにいるだけだ。
うなずくべきか、それとも首を振るべきかを迷っているあいだに、ナイトバットは洞窟に満ちる闇夜に溶けるかのように、どこかへ行ってしまった。
だが、「ちょっと」といっていた。すこしのあいだここにいれば、戻ってくるだろう――そう思ったまま、一日が経過した。ちょっとというには、いくぶん長すぎるようだった。
べつに、どうということはない。あのナイトバットは、飽きっぽいのかもしれない。忘れっぽいのかもしれない。どうせ話し掛けられても、俺はうなずき返すことしかできないのだ。
だが、このナイトバットの出現と、ナイトバットがいない時間の存在は、俺に退屈という概念をもたらした。
だから、ある意味で必然だったといういえよう。ナイトバットが起こしたものと同じ、いつもは右足から踏み出す第一歩を、左足から踏み出してみるような気まぐれが、俺にも起こったことは。
「わるいわるい、なかなか老師が捕まらなくてよ」
さらに半日が経つころ、またナイトバットは戻ってきた。
その日は雨が降っていた。バケツをひっくり返したような大雨だった。水はゴーレムにとって最大の敵であり、いま、世界が俺の敵だった。
「おお? なんだ、この声は」
と、とぼけたような声が聞こえてくる。
しかしいまの俺は、大雨にせよ、ナイトバットの問いかけにせよ、それらに構うほどの余裕はなかった。
「うわああああああああああああああああああああああああああんっ!」
宝箱のなかで、小さな少女が泣いていたからだ。
「出会いは宝箱のなかで(2)」は明日夜2月10日月曜日夜22時更新予定です。




