銀閃と黒鉄(5)
「最初から、こうすればよかったんだわ」
なにもなくなった手のひらを見つめながら、プリシアは言葉をもらす。
これでもう《シルヴィス》は、俺の腹のなかだ。《ヴォルカニカ》や、《サザーノース》と同じように。とりだすには、腹を掻っ切るしかない。
「…………っ!」
外に漏れ聞こえるほど、シルバは強く歯ぎしりする。噛み締めた歯と歯のあいだからひねりでてくる押し潰された声に宿るは、強い怨嗟の念だ。
「やってくれたわね……おチビさん」
弾かれたように、シルバの手がしなる。
「魔針細工――《鬼面白虎》!」
ふたたびアルマードの体に打ち込まれる、針の数々。
メキメキという物騒な音がしたのち、堅牢な甲冑が勢いよく弾け飛ぶ。かわりに姿を見せたのは、盛りあがった、岩壁のようなアルマードの体だった。地獄へと続く裂け目のような縞模様は、まるで鬼のよう。手の先に伸びる大爪はさしづめ、死神の鎌といったところか。
獰猛そうな外見には似つかわしくない俊敏な動作で、アルマードは地を跳ねる。
「見たところ、防御型には思えないけど……舐められたものね、シルバ?」
「……四肢切断……死屍累々……寸鉄殺人……生殺与奪……」
「話が通じないどころか、普通に怖いわよっ!?」
「……プリシア」
「なに!」
「いまから謝るというのはどうだ」
「できるかあっ!」
「悪鬼羅刹!」
なにやら物騒な掛け声とともに、アルマードの爪牙が振り下ろされる。すこしまえまで俺たちがいたうしろの壁が、綺麗に三分割された。
「謝るなんてしないわ。……いいこと、いまからいうことを、一言一句逃さず頭に叩き込みなさい――作戦があるの」
「……おまえからそんな言葉がでてきたことがすでに驚きだ」
「ええい、もう、黙って聞きなさい!」
そういって、プリシアが口にした作戦は。
「なるほど、試してみる価値はありそうだ」
「……鬼哭啾啾……叫喚地獄……残酷非道……」
「…………」
それに、ああなってしまったシルバを元に戻さないと、アルマードに申し訳ない気もする。
「そうと決まれば、さっさといくわよ――《緑風石の一陣》!」
放ったのは、風の一撃。
《サザーノース》は《キャンディポップ》と同じく、屈衝撃性の魔宝石だ。脚を踏み鳴らすことでも効果を発揮し、生じた風圧は移動補助に用いることができるため、近接戦闘に適している。
しかし、さきほどシルバも指摘したように、単純な攻撃力としてはすこし物足りないことも事実だ――だが。
周囲に向かって放った風は壁を伝い、頭上から舞い戻ってくる。
そう、俺が攻撃したのはーー俺自身だ。
「魔力弾、いくわよ!」
プリシアの渾身の魔力弾が、体の奥深くに刺さる。一瞬の静寂のち、火柱のように魔力が噴きあがった。
体が冷気に覆われていく。泥でできた体が、白銀に染まっていく。
「性質変化――《シルヴィス》!」
そして、《シルヴィス》と化した俺の体に――屈風性氷結転換型の魔宝石と化した俺の体に――風の妖精が入り込む。
しかし、ふたたび姿をあらわすとき、それは、風の妖精ではなかった。
磨き抜かれた鏡のように輝かしい、氷の妖精だ。
「《銀氷石の連弾》!」
掃射されるは、視界を覆わんばかりの氷のつぶて。
「縦横無尽!」
しかし、ひとつひとつが小さい。アルマードが巨大な爪を薙ぐそのいち所作で、つぶてはあっけなく砕け散り、勢いを失った氷粒は宙を舞う。ダメージをあたえるにはほど遠かった。
理由はわかりきっている――練り込まれる魔力が、少ないのだ。つまり、魔力不足。
「……プリシア」
「ウォーロック、いまのをもう一度――いえ、何度も繰り返して」
「無駄よ」
いつのまにか我をとりもどしたシルバは、静かにつぶやく。
「お願い」
「……わかった」
やるかやらないではなかった。できるかできないかでもなかった。命令がくだされたらでもなかった。ただ、お願いされたから。それだけで、じゅうぶんだった。
シルバはいった。「わたくしのほうが上手く使える」と。当たり前だ、プリシアは俺のことを、使おうとはしない。
だから俺は、拳を振るおう。
おまえを守るといった、誓いを守るために。
「《連弾》!」
もう一度、つぶてを放つ――もう一度、つぶては吹き飛ばされる。
「無駄だといってるでしょう!」
「《連弾》!」
もう一度――結果はかわらない。
「ああ、なるほど、悪あがきっていうこと!」
「《連弾》!」
「って、さっきからなに無視してるのよ!」
そして、もう一度――結果は、いうまでもなかった。
「……はあ」
地面に散らばった氷のつぶに視線を落としながら、シルバは嘆息する。その表情には、どこか失望の色さえ浮かんでいた。
「……なんか、気持ちが萎えたわ。そろそろ、おしまいにしましょうか」
その言葉が終わるまえに、アルマードが跳ねた。
そして、それよりもまえに、プリシアが魔力弾を放った。
シルバの言葉どおり――おしまいに、するために。
「《サザーノース》!」
光が弾ける。体がふたたび、白銀色から翠玉色へと変貌する。森の奥にひっそりと鎮座する湖から、鳥が一羽飛び立つような、そんな感覚だった。
「いまさら、風の魔宝石なんて!」
その指摘はもっともだ。
だが、それはまちがっていた。
「いまさら、ではないーーいまだからこそ、だ」
「《緑風石の円陣》!」
風が、生じた。湧きあがった風は氷のつぶてをさらい、宙に巻きあげる。夜の底へと飲み込まれていく。わずかな光がただようだけの、薄暗い夜へと。
「たしかに、光は弱いわ」
ふと、光がまたたいた。
星のようであったが、星ではない。だが、そうとわかっていても、俺にはその光が、流れ星のかがやきのように見えた。
まるで、俺たちの必死の呼びかけに、願いに、応えるかのような、希望の光。
「なら――」
無数の氷のつぶてが。
「集めてあげればいい」
夜空で、光を反射していた。
磨き抜かれた氷は鏡と同じだ。そして鏡は、光を反射する――《シルヴィス》の冷気で生じた、スターダスト現象のように。
ふと、光の筋が頬を撫でた。
頬だけではない。乱反射した光が、雨のように、夜の闇を埋め尽くしていた。いまや俺の体は、光の洪水に包まれていた。
ゴクリと。水が砂に染み入るように、静謐な月の光を、飲み込んでいく。
「……これで最後」
「アルマアアアアアアアアアアドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
白き虎は速かった。
「性質変化――《ヴォルカニカ》」
しかし、光よりは遅かった。
「《赤爆石の――》」
体にまとわりつく闇が、赤白く染まる。器に満ちた液体が、限界を超え、静かに溢れ出すように。夜が明けるように。世界がはじまりを告げるように。
「《超撃》」
真昼のような光が、闇夜を裂いた。
次話は2月8日土曜日夜22時に更新予定です(もしかしたら、一日前倒しにするかもしれません)。




