魔宝石店に行こう(4)
「……母親」
長い静寂だった。部屋のなかを漂う静寂の粒子が風船のように膨張し続け、身動きがとれなくなるほどに。押し潰されそうになるほどに。
「どう? なにか心当りはないかしら」
「……ひとつだけ、心当りがある」
それは静寂ではなく、沈黙だったようだ。部屋を埋め尽くしていた圧力のようなものが、音もなくひいていくのを感じた。
身を乗りだして、プリシアは問う。
「教えて、店主さん。あのひとについての情報を、なんでもいいから」
「そうだね、たしか彼女――もちろん、きみのお母さんと同一人物かはわからないけれど――がこの店に来たのは、ここ一ヶ月以内のことだったと思うよ」
「一ヶ月……」
この街で彼女の反応を感知したのは、約一ヶ月前。時期的には合致している。
「そう、その日は大雨だった。でも、店に入ってきた彼女は、少しも濡れちゃいなくて、それが印象的だったよ。彼女はまっすぐにレジのまえへと歩み寄ると、無造作に手を突きだした」
そういって、店主は握った手を、プリシアに向ける。
プリシアはしばし迷ったものの、その握りこぶしのしたに、両手を皿のようにして置く。店主は軽くあごを引いて、指を開いた。
「するとその手からは、どこからともなく、いくつもの《宝石箱》が落ちてきたんだ。まさか、と思ったね。慌てて支度をして、中身を確認したら」
そのときのことを思いだしているのだろう、店主はゴクリと生唾を飲み込んだ。
「そこには色とりどりの魔宝石が入っていた。価値があるものだと、一目見てわかったよ。彼女は一言、『買とりをお願いしたいのですが』といった。ぼくは即座に首を振った。『あいにく、これだけの品々を買いきれるほどの金は、この店にはありません』とね」
この店がいくら寂れている外見だとはいえ、魔宝石を扱っているのだ。それ相応の収入もあれば、財産も持っているだろう。高額の買取りにも対応できるように。
しかしそれでも買取りきれないほどの魔宝石。Bランクはもちろん、Aランクも混じっていたのかもしれない。それも、複数。
「そしたら、彼女はうなずいて、こういったんだ。『わかりました。でしたら、買いとれるだけ買いとっていただいても、よろしいでしょうか』。いちもにもなくうなずいたぼくに、彼女はこう続けた。『いくらくらいになるでしょうか』、と。ぼくは『三〇〇、いや、五〇〇万デルのなかで、できるだけ買いとらせてください』といった」
五〇〇万デル。普通以上の暮らしが、一年間はできる金額だ。
店主は天井を見ていた。しかし、天井に焦点はあっておらず、その遠くにあるなにかを見ているかのように、視線は宙をさまよっていた。一瞬でも気を抜けば、バランスを崩し、そのまま落ちてしまいそうだった。
感嘆とも悲嘆とも判断がつかぬため息をひとつついて、店主はつぶやくようにいう。
「彼女はいったよ――『わかりました。ならば五〇〇万デルで、これらすべてをお譲りさせてください』と」
プリシアが短く息を飲んだ。
「ぼくはあわてていったんだ、『とんでもない、もっと大きな都市の魔宝石店にいけば、この倍近くの価格で買いとってくれるかもしれません』と。けど、彼女はそれ以上、なにもいわなかった。だからぼくは、店中の金をかき集めて――それでも六〇〇万デルくらいだ――彼女に渡した。彼女は短く『ありがとうございます』といった。……お礼をいいたいのは、ぼくのほうだというのに」
店主は、まるで夢を見ているかのような面持ちだった。いや、店主からしてみれば、本当に夢のような時間だったのかもしれない。
「印象に残っている客……きみにいわれて、最初に思い浮かんだのは彼女だった。でも」
「でも?」
「彼女は、きみの母親というには、ずいぶんと若すぎるように見えたよ。ぼくは彼女の年を知らないからたしかなことはいえないけど、一〇代後半――せいぜい二〇そこらだと思う」
二〇前後。店主の鑑定眼が人間にも適応されるとしたら、おそらくその奇妙な客はただの奇妙な客であり、プリシアの母親ではないだろう。
プリシアの年は一〇とすこし。だとすれば、プリシアの母親はプリシアを一〇代前半――つまり、プリシアと同じくらいに出産したことになる。ありえなくはないが、どちらかといえばありえない部類だろう。
常識的な判断のできるゴーレムなのだ、俺は。もっとも、彼女に常識的な思考が通用するかどうかは、また別問題であったが。
「だから……うん、そうだね、捜しているのがきみたちのお母さんではなく、たとえばお姉さんなら、疑いの余地はないかもしれない。たしか彼女は、綺麗な金髪だったから」
「顔は、覚えてないのか?」
俺が口を挟むと、店主は困り顔で答える。
「あいにく、ぼくはそれなりの年でね。いくら印象深かったとはいえ、一ヶ月前に一度来ただけの客の顔は、覚えてないさ」
「なるほどね……どう思う、ウォーロック?」
「正直なところ」
と、前置きをして、俺はいう。もちろん、誠実なゴーレムである俺は、これまでに正直でなかったことなど、ないわけだが。
「俺たちが捜している人間が必ずしも母親とはかぎらない、というのは盲点だった。俺が目覚めたばかりのころに視認したのはあくまで流麗な金髪であり、そこから母親と類推したにすぎないのだから」
「なにを偉そうに。素直に『まちがえました、ごめんなさい』っていいなさいよ」
まぜっかえすプリシアを無視して、続ける。
「しかし、それが母親にせよ、姉であるにせよ――」
「あたしたちが捜している人間であることに、まちがいはないようね」
顔をあげたプリシアは、それまでの陰鬱な色を孕んだ表情はどこへやら、どこか晴々とした様子だった。雲間から覗いた太陽のようなまぶしさに、思わず口元が緩んだ。
「すくなくとも、あたしたちが捜している人間は、この世にいるみたいね。いままでは幻影を追っているような心持ちだったけれど、いまの話で、それがわかった」
それは店主への返答というより、自分自身にいい聞かせるかのようだった。
「そしてもうひとつ」
プリシアはわざとらしい仕草で腕を組んで、店主をにらむ。
「捜しているのは『あたしたち』の母親ではなく、『あたしの』母親よ」
その指摘はもっともだ。俺というゴーレムを生んだ、という意味では母親ということもできなくはないが、おそらく店主は俺がゴーレムであることに気づいていないわけだから、訂正の必要があった。
「おっと、そうだったか。いや、すまない……どうにも、似ているように見えたから」
「……だれが?」
「お嬢さんと、そこきみだよ。きみたちが母親を捜していることは知らなくても、ぼくはきみたちを兄妹だと思っていた」
「まさか。ウォーロックは、げぼ――パートナーみたいなものよ」
「下僕」と口にしかけたプリシアをとがめるように一瞥し、いう。
「パートナーというか、正確には保護者のようなものだ。……あいにくこいつは、漏らしたあとの処理もできないような、お子様だからな」
「それくらいできるわ、このまえだって、きちんとお尻、拭いたもの!」
「……漏らしたことは否定しないのか」
「うっ、うるさいうるさい! やっぱりあんたなんて、下僕でじゅうぶんだわ!」
そんなみにくい口喧嘩を優しいまなざしで見守っていた店主は、やはり優しげな表情を浮かべ、ぽつりとつぶやくのだった。
「やっぱり、兄妹みたいだ」
「銀閃と黒鉄」は1月31日金曜日夜22時更新予定です。




