第三話 鐘の音で始まる一日 後編
夕食後は道着の下に上半身裸というラフな格好に着替え、中庭に移動する。そしてそこで鍛錬を行うのがキートの日課だ。
幼少の頃に叩きこまれた型をゆっくりとこなしていく。筋肉の動きを全て把握していき、関節部に至るまで神経を張り巡らす。その動きはまるでスロー再生してるかのようにゆっくりだ。
拳を突き出すだけ(と言ってもそこに注ぎ込まれた技術は途方もないもだが)の単調な動きから蹴りといった大きな動きのものへと速度はそのままに変わっていく。
すべての工程を終えると、キートの体には汗がびっしりと浮かんでいた。
井戸から水を汲み上げ頭から浴びて火照った体を冷やす。
滴る水も気にせずに井戸の側に生える木の根本に腰掛けると、姿勢を正し、目を閉じる。常人の半分しかない視界も完全に闇へと転換する。
己の奥底にある魔力をゆっくりと体中へと巡らせてゆく。
そして徐々に体外へとその魔力を放出する。僅かに左目が疼くが許容範囲であるようで、魔力の放出をやめようとはしない。
ある程度放出し終えると、今度は逆の手順で体中を巡る魔力を奥底へとしまってゆく。
再び目を開けるときにはまた彼の体には汗が浮かんでいた。
先ほどと同じように水を浴びると、側に置いてあるタオルで乱暴に水を拭く。
「なんかよう?」
「気付いておったか」
唐突に闇に向かって声を掛けるキート。すると、声を掛けた方からすうっと姿を表したのは院長だった。
「何、久しぶりに鍛錬の様子を見たくなってのう」
「見てて面白いか?」
「ふむ。面白いと言うよりは安堵じゃな。昔のようにいつ暴走するかハラハラせずに見れたのは良かったわ」
「暴走って…いつの話だよ」
「ざっと10年ぐらい前かの」
髭を撫でながら目を細める院長。キートはするすると木の上に登ってゆく。
「じいさんにお守りされてた頃からもう10年か」
「昔もそんなふうに木の上から偉そうに話しかけてきおったのう」
「俺より背が高いのが悪い」
「10年たっても木の上からじゃないと儂を見下ろせぬか。っくっくっく」
「う、うっせーな!こ、これから伸びるからいいんだよ!!」
気にしている身長のことをからかわれ思わず反応してしまうキートに、まだまだ子供だと感じる院長だった。
□ ■ □ ■ □
「化け物め!!!」
こぶし大の石が飛んでくる。思わず目をつぶるが、痛みはやってこない。
それもそのはず、石は身体にぶつかる直前で超圧縮された魔力によって防がれたのだ。
「ひぃ!?」
石をぶつけてきた子供が溢れる魔力の量に恐怖し、逃げて行く。
(あぁ…。悪夢か。久しぶりに見る)
キートは此処が夢の世界だと気付く。そして自分の記憶であるとも。
いつの間にかに場面が変わる。
そこは暗闇の森の中だった。時折聞こえる獣の唸り声にかつてのキートは怯えている。木々が風に揺られて起きる葉擦れの音にもビクビクする。
《怖い怖い怖い!!!》
(そんなにビビらなくてもいいのに。そんなに魔力散らかしてたら獣なんか近寄らないよ…人もね)
当時の思考と現在の思考が混在する。
森を抜け村に戻ると大人たちは顔を引き攣らせている。その中には両親の姿があった。
「ば、化け物め!ち、近寄るな!!」
近寄っていくと恐慌した大人数人は幼いキートに殴りかかる。が、やはり魔力に妨害される。中には斧を振りかぶるものもいた。
《やめて!!》
(そんなんじゃ傷つかない)
しかし、その斧は消してキートに触れることはなかった。やはり魔力に妨害されるのだ。
「なんなんだ、お前は!殴っても斬りかかっても死なないなんて!!!」
「消えろ!この村から!!お前のせいで安心して暮らすことも出来ない!!」
「死んでくれないのなら、私達の前からいなくなって!!」
口々に村から出ていけという。両親が率先して。
《どうして?どうして僕は化物に生まれたの!?》
(運が悪かっただけ)
飛び交う罵声に耐えられなくなり、耳を塞いで踞る。僅かに漏れてくる音が一層大きくなる。耳を塞いでいるため、明確な言葉として聞き取れていないが、なにやら音がするのが聞こえる。
(あぁ…。来る)
しばらく経つと、何やら温かいものが降り掛かってきた。
(やめろ、目を開けるな!)
不思議に思い、体を起こし、目を開けるキート。
(頼む!見るな!!)
目を開けると首と胴が分かれている父親の姿があった。
《あああああ!!!!!!!!!!!》
そこからは場面の切り替わりが激しくなる。断片的な記憶しか無いためだ。
燃える家々、あたり一面の血の海。幾度と無く振りかかる剣の雨。恐怖に顔を歪ませる汚らしい男たち。
「なんで斬れねェんだよ、化物がァァ!!!」
その一言で夢は唐突に終わる。
□ ■ □ ■ □
「っ・・・はぁ!はぁ!」
ガバリと起き上がる。汗で肌に服がぴったりと張り付いている。
寝ているルームメイトを起こさないようにそろりと部屋から抜け出すキート。
中庭に出ると、服を脱ぎ井戸水を頭から被る。脳裏にちらつく赤い色と醜い顔を脱ぎ去ろうと頭を振る。吐き気がこみ上げるが、ぐっと我慢した。
釣瓶から直接水を腹に流しこむと、木にもたれ掛かる。
「久しぶりだな…。あの夢」
ポツリと呟く。孤児院に来た頃はしょっちゅう見ていた悪夢だが、周りに馴染み、少しずつ笑うようになってからは滅多に見なくなった。夢を見る時は決まって精神が不安定な時だった。
今回は目前に15歳の誕生日が迫っているのが原因だろう。15歳になると成人と認められ、孤児院をで無くてはならない。出た後は何をしようが勝手だ。大抵は院にいる時に働いていた仕事先へ正式に勤める。ハンスの様に孤児院に従業員として残る場合もあるが。そして、冒険者となる者もいないわけではない。
止まり木の家では、護身術を習う。自分の危険は自分で守る。これも院長が掲げる理念の1つだ。中にはそこから武の才能を見出し、伸ばしてゆく者もいる。そういった者の中で冒険者になるものが出てくるのだ。中には騎士になった者もいる。
そういったことから地域住民には「武闘派孤児院」という認識になっている。本来なら、こういった孤児院で護身術とはいえ戦闘技能を身につけさせることは褒められることでは無い。そんなことしようものなら確実に国から目を付けられるのだ。
そのようなことが無い(全くではないが)のはひとえに院長アルの存在だろう。ディレーブ国に多大なる貢献をしたSランクパーティーの1人、アルフレッド=レイエントが設立、運営していることが大きいのだ。
外から見ると、大層物騒な孤児院ではあったが、中から見ると、真に「家」といえるような暖かで居心地の良い場所であった。
そして何より、自分の魔力が暴走してもそれを抑えることの出来る人物が側にいるということがキートにとっては何よりの支えだった。
「ったく、成人するってのに、いつまでも守ってもらう気分でいたらダメだな…」
乱暴に頭をかき回す。両腕に付けられた腕輪が目に入る。
見た目は何の変哲もない只の銀色の腕輪だ。装飾も凝っていない。しかし、その腕輪はミスリルという魔法金属でできており、装備する人に合わせて大きさが変わるのだ。
そして、左目を覆い隠す眼帯に触れる。寝るときも水浴びをする時も絶対に外さない眼帯。キートが普通に生活を送るために必要不可欠なアイテム。一定以上魔力を込めないと外れないようになっている。
腕輪を授けた老人は暴走する魔力を力尽くでねじ伏せた。眼帯を与え、人並みの生活を送れるようにした老人は、溢れ、暴れる魔力を類稀なる技術で押さえ込んだ。
前者は魔力をねじ伏せた後、日に日に強くなる魔力をねじ伏せることが楽しくてしょうがないと豪快に笑った。
後者はやれやれとため息を1つつくと、手にする杖で頭を殴る。そして怒涛の説教が始まった。自分の魔力ぐらい、きちんと自らの統制下に置けと。
キートは態度にこそ表さなかったが、この2人の老人に深く感謝していた。
「今度は俺が俺を抑えなきゃないけない」
大丈夫。暴走することはもうなくなった。自分の力は自分で制御できるようになった。じいさんも安心してたし、何よりあの2人に教えられたんだ。何も怖いことはない。
そう思うと心が軽くなり、脳裏にはもう赤い景色は現れなかった。