第八話 「星蝕」
少年は薄れた意識でぼうっと白い少女を見ていた。
明星 宮――。救世主と呼ぶにはあまりにも頼りない体躯。しかし、月明かりに照らされたその純白の姿は、まるで古代西欧で描かれた宗教画の天使のようであった――。
「よく頑張ったね。後は任せて」
そう優しい声で志賀へと告げると、少女は右手から瞬時に棒状の物を生成する。
武器の生成――。利根が神人であることの証明となった術を少女も用いた。対する利根は脇腹をさすりつつ、おもむろに立ち上がる。
「無能共が……! 結局子ネズミは神人かよ」
利根は忌々しげに立ち上がり、部下を罵る。残弾の少ない銃を左手に、再び生成した刀を右手に持ち替え、戦闘準備に掛かる。
「子ネズミ? 兎に角、ボクはキミを倒しに来たんだ!」
宮は鼓笛隊の指揮者のように両端に大きな宝玉の付いた棒を振り回す。その軌跡は帚星が通った後のようにきらきらと輝く。
「あー……、他所モンか。残念だッたなァ。神人相手には保険かけてンだ」
「保険?」
「そうそう、保険。俺がこの会の構成員をぜーンぶ洗脳しているッてのは知ッてるかァ?」
利根は物覚えの悪い部下に説明するように大袈裟に言う。
「あっ! 知ってる知ってる!」
「そかそか。……なら、俺様が構成員全員に死ねッて言ッたらどォなるか解るだろう?」
利根、ひいては坂郎会に皇国が神人を使って手を出せない原因は、怠慢によるものではない。少しでも手を出せば構成員の只人を瞬時に自害の命令を下すと事前に勧告していたためだ。
皇国に来た利根は部下を掻き集めて新たな支部を作り、彼等を人質として立て籠もることで、神人からの襲撃を防止し、同時に力を蓄えていたのだ。
「他所モンが知らねェのは仕方無ェと思ッてるからよォ。俺のモンになッてくれるッて言うンなら見逃してやッてもいいゼェ?」
利根が嫌らしく笑う。正義を御題目に掲げる以上、ここで操られただけの人々を見殺しになどできないだろう。目の前の少女は売り物としても戦闘用としても申し分ない。利根は今から皮算用を始める。志賀は必死で何かを叫ぼうとするが、咳き込むことしかできない。
――しかし、少女から帰ってきた言葉は予想外のものであった。
「いいよ。皆に言ってみて?」
その場の空気が凍り付く。利根は顔を引きつらせ、志賀は怒りの表情を少女へと向ける。
「ハ、ハハ……。オイオイオイ! 冗談だと思ッてンのかァ!?」
「冗談? ボクは本気だよ? きっとできっこないから」
「そォかいそォかい。そこまで言うんなら見せてやるよォ!」
利根の体の表面が赤紫色に淡く光る。利根は声高々に宣言した。
「『テメェ等! 死ねェ』!!!」
利根は切り札を切った。彼を中心に同心球状に高速で波動が広がる。会長室付近の眠っている部下達には効いていないようであるが、志賀はこれから起こると思われる惨状を想像して、顔を伏せる。
「オラッ! 庭を見ろッ! 今下にいるアリ共が――」
利根は庭園を指差し、覗き込もうとした所で言葉が止まる。誰一人として自害していない。それどころか様子がおかしい。普段であれば『命令』には泣いて喜ぶように反応する構成員達は頭を抱えてのたうち回っている。
しかも、それは『命令』を聞いた後ではなくそれ以前から行われていた形跡があった。
「……は?」
「だから言ったでしょ? 言ってみてって」
対神人への切り札が通用しなかった利根は呆然とする。目の前の少女の笑顔が恐ろしく月光に照らされる。
「テメェ……、何を……?」
「洗脳っぽい物を解いて回ってたんだ。後、広範囲に妨害霊波出してるから仮に外部にキミの手が掛かった子達がいたとしても効いてないと思うよ?」
――それだけの筈がない。庭園でのたうち回っている構成員達は口々に罪の言葉を吐き出し許しを請う。それでいて誰も自ら命を絶とうとはしていない。
「洗脳を解くとき、ボクの想いも少し混ぜたんだ。――罪を忘れないように。でも、自分を遠巻きに見られるように。――洗脳されてたのは可哀想だけど、罪は償って貰わなきゃ、ね?」
志賀は全身に怖気が走る。失血によるものではない。目の前の少女のまるで上位存在であるような振る舞いに対しての恐怖である。
冷静になった志賀は自らを振り返る。とっくに失血死しても可笑しくはない出血量にも拘わらず、未だに生き長らえていた。壁や床に散った彼の血液は不自然に少なくなっており、全身の傷口にはいつの間にか大きな絆創膏のような物がベッタベタに貼られている。
(……神人の術、勝手に掛けやがったな)
――彼は、宮が何らかの術を用いて飛び散った血液を無理矢理輸血し、傷口を応急処置したものと思い、彼女にじっとりとした目線を向ける。
視線に気付いた宮は志賀の方を振り返り、可愛らしく舌を出しながら片目を閉じて武器を持っていない方の手を詫びるように垂直に立てる。
「何、ヨソ見してやがる化け物ォ!」
突如、利根は左手の銃を構え、気付いた志賀が宮に何かを言おうとする前に発砲する。
「ッ!?」
――しかし、その銃弾は少女に当たることはなかった。宮の姿は突如消失し、弾丸は空を飛び、壁に穴を開けただけであった。そして、当の少女はいつの間にか会長室の窓枠に立っていた。
「ヘッ! 瞬間移動か!」
「え? う~ん……?」
宮は首を傾げながらうんうん唸る。その様子に利根は苛立つ。
「テメェは自分が何をできるのかも解らねェのかよ!」
利根は続け様に引き金を引くが、尚も少女は瞬間移動を繰り返し、最初の立ち位置の反対側の窓枠に移動したところにもう一発を放とうとした所で弾切れとなる。利根は舌打ちをしながら刀を両手で構える。
「瞬間移動はよく解らないけど、キミも変だよ『銃兵』なのにこの距離で刀と銃別々に使ってさ。――あ、そういうことか!」
宮は納得したように窓枠から降りると武器を背中に差すように背後に固定し、無防備にも両手を空ける。そして、まるで利根を抱き止めるかのように両手を広げる。
「いいよ、来て――」
少女の挑発とも取れる行動に腸が煮えくり返る感覚を感じた利根は渾身の力を持って、宮に刀を振り下ろす。志賀は少女が両断されることを想像して再び顔を伏せる。そして、その凶刃は少女の肩口に吸い込まれ――、
――カンッ!
――信じられない程の軽い音と共に弾き返される。志賀と利根はその様子に驚愕する。
「――やっぱりね」
呆然としている二人を無視して、宮はまるでつまらない観光名所を見るような目で利根を見ていた。
「――キミ、全然強くないよね」
「――は? ハアアアアァァァ!!!? ンだとコラァ!!!」
再び頭に血が上った利根が刀を振り回す。――しかし、目の前の少女の衣装が切れるだけで、その皮膚には何の傷も付いていない。
致命傷となり得る首筋や柔らかい筈の目玉も正確に突くが一切刃が通らない。まるで、重厚な鋼鉄製の人形を子供が護謨製の剣で突いているかの如く、軽い音を立てながら弾かれ滑っていく。
「……な、な、何なンだ、テメェはァ!!?」
最早半狂乱で刀を振るう。宮は切り刻まれる衣装を気にすることもなく顎に手を当てて疑問をかみ砕いている。
「これなら窓越しの狙撃で一発だったと思うけど……。やっぱり、元はと言えば葦野国が撒いた種なんだから皇国に解決する義務はないってことかな?」
攻撃の手を止めた直後には既に衣装は元の姿に修復されていた。目の前の少女が普通の神人である自分を遥かに超越した存在であるということに、利根は恐怖を覚える。
(どォする……? 後ろのクソガキを人質にするか……? いや、さっきの様子ならコイツは人質ごと鏖殺しかねねェ……!)
利根は屈辱の感情を抱きながら生き残る術を必死に模索する。そして、彼が取った行動とは――、
「――ハ、ハハハッ! た、楽しかッたぜェ! あばよォ!」
(――なっ、アイツ……ッ!)
――逃走であった。大きく床を蹴り、窓枠に足を引っ掛け、そのまま大きく跳躍――、
――バァン!
「ヘブ!?」
――することはできなかった。割れた筈の窓硝子には透明な結界が張られていた。
「――地下で面白い物見つけたから貰っちゃった♪」
「あ……あァ……」
良い買い物をしたと言わんばかりに可愛らしい笑顔を見せる宮に対して、利根は絶望の表情をする。
それは、地下牢で捕獲した神人を捕らえるために利根が仕入れた結界発生装置と同様の能力であった。
――もう逃げられない。自分はここで殺される。そう悟った利根は――。
「そ、そォだ! 俺様は神人だ! 只人なンかよりもずッと使えるし、俺様を雇ッてみないか!? そ、損はさせねェぞ!」
――全力で命乞いをする。尊大な態度をかなぐり捨てて床に額を擦りつける。
「……」
――宮は何も答えない。小さな少女は死にかけた虫でも見るような目で這いつくばっている男の顔を見下ろす。利根は必死で次弾を考える。
「あッ、あッ……、ハッ! 今までのことは反省する! これからは善人として社会のために働いてやるぞォ!!」
「……そう」
――宮が少し口を開く。利根は希望が見えたと思い、表情を明るくする。その歪な笑顔からはとても世界中を股に掛けた巨大犯罪組織の長とは思えなかった。
(――やッぱりただのガキだな! 口だけでも反省してりャ許される!)
利根は反省などしていない。この少女の元で慎ましく暮らして熱りが済んだらまた暴れてやろう。そう思っていた。
「――本当に反省する気あるの?」
「ハ! ハイ! モチロン!」
「そか。じゃあ、許してあげる」
利根は一瞬勝ち誇ったような顔をするが、慌てて以前の歪な笑みに戻る。頭を下げるフリをして、背後で倒れている少年を嘲笑う。
志賀は必死に利根、そして宮に対して怒りの感情をぶつけようとするが、声が出ない。それでも、せめて睨み付けようと顔を持ち上げた時に違和感に気付く。
――純白の少女に似つかわしくない、黒い亀裂が彼女の肌に走っていた。
「――それじゃあ、ボクの『中』で反省しようね」
「……は?」
利根が頭を上げる。そこには『筒』があった。月夜の空よりもずっと黒い漆黒にきらきらと星の光が鏤められた不気味なナニカ――。
その先端と思しき円が利根の頭上でゆっくりと静止する。
――直後であった。利根の身体が突然震えるように振動したかと思うと上下に引き延ばされる。
「ギャアアアアアァァァァ!!! イデエエエェェェェェェ!!!!!」
利根の悲鳴と共に骨が外れるような音が響き渡り、人体が上下に引き延ばされる。身に付けていた装飾品が強引に引き千切られ、『筒』の中へと収納されていく。
「ま、まッでくれ!!! オデザマが悪がッだ!!! たず、だずげでえええェェェ!!!」
宮は何も答えない。慈愛の表情を浮かべたまま男を『解体』していく。利根の身体は少しずつ引き千切れていき、男の身体を構成していた物が『筒』の中へと吸い込まれていく。
「ア……アアアアァァァ……!!!」
志賀の目の前から怨敵の姿が消えていく。死んでも殺したかった相手が、皆の恨みが、自分の全てをぶつけて何も成すことができなかった敵が、いとも簡単に――たった一度の攻撃で消滅していく。
「……や……めろ、そいつ……は、俺……が……殺……」
彼の半生をもって追いかけてきた相手が爪先一つまで消滅したと同時に、志賀の意識は深く落ちたのであった――。




