第三話 『初めての死』
――『雪』の放つ超音速の氷の矢が志賀の頬のすぐ脇を穿つ。
「な……!?」
通常の物理法則に従えば今の攻撃で衝撃波により志賀の頭部は破裂していたかもしれない。しかし、神人の世界には音の壁などは存在しない。氷の矢は怖気立つほどの冷気を残すのみで何の肉体的損傷も伴わなかった。
『雪』は今の一撃は端から当てるつもりは無かったようで、弓の先端を志賀に突き付け、急かすように言う。
「はい、今ので終わっていたわ。本番なら死んでいる。速く構えなさい。『霊器』を持っていない神人を甚振る趣味はないの――」
志賀は使い方も分からないまま、受け渡された傘を展開する。再度放たれた矢は開かれた傘に吸い込まれるように伸びていき、激しく弾かれて志賀は体勢を崩した。
「ぐ……あぁっ……!?」
(何て威力だ……! 嘘だろ……? 本当にこんな所で死ぬのか!? 神人になったばかりだってのに! まだ何も成し遂げていないのに!!!)
志賀は、かつての怨敵との死闘を思い出す。『銀の杭』が神人を斃す唯一の手段という情報を信じていた志賀が神人と戦うために選んだ武器が『傘』であった。傘の先端の石突を銀製にすることで、日用品に偽装すると共に体捌きを隠す攻防一体の武器として用いていたのだ。
「貴男、只人の頃、神人を斃すために傘、使ってたんですってね。通用するかしら?」
「舐めるな……! こちらとしては只人時代に神人とやり合ったんだ! 同じ土俵で負けてたまるか!」
志賀は矢を番えようとする『雪』の隙を突き、心臓を貫く勢いで傘の石突を突き立てるが――。
――カンッ!
「……で?」
(予想通り……か)
志賀の決死の突きは信じられないほどの軽い音と共に無効化される。
――高い防御能力を誇る神人に対して、弱い神人の攻撃は例え眼球のような柔らかい器官ですら通すことは出来ない。
最強の神人と、戦闘訓練すら受けていない成り立ての神人――。教本通りの結果であった。
志賀の出来ることは跪いて赦しを乞うことによる延命か、助けが来ることを信じて己の『幸運』に縋るかの二択となった。
「ほらほら、『射』に対して『盾』は有利なんだからもっと頑張らないと」
「クッ……」
『雪』の凄まじい連射に押され、志賀との距離はみるみる開いていく。そんな矢の連撃をも破れることなく防ぐ傘の耐久性などに感動する余裕もなく、志賀は追い詰められていった。
「貴男、粘るわね。そろそろ諦めたら?」
「諦め……きれるか! 俺は、まだ何も成し遂げていないんだ!」
矢の軌道は決して直線ではない。異常な速度の矢は不自然な軌道を描きながら志賀を蜂の巣にせんと襲い掛かる。『雪』は上下左右に矢を撃ち分け、安易な防御を取れないように矢を誘導していく。
「傲慢ね。貴男に世界が救えるとでも?」
「そんな大それたことは思っていない! 俺は……俺みたいに苦しむ人間を一人でも減らしたいだけなんだ」
「――謙虚ね。そう、分かったわ」
突然、矢の雨がふっと止まる。志賀は一瞬許されたのかと傘を下げてしまった。
――その直後、胸に鋭い痛みが走る。
(は?)
志賀の身体の中心に深々と『銀の杭』が刺さっていた。信じられないことに、彼はそれでも生きていた。
かつて彼が只人が神人を斃すための唯一の手段として一縷の希望を抱いていた『銀の杭』の伝説は、神人となった彼の身体を貫いても死を招くことはなかった。
しかし、杭には不思議な力があるのか抜くことはおろか、身体を杭から一寸たりとも動かすことが出来ない。
「――飛翔術、『早贄』――。ダメじゃない。攻撃が止んだからって直ぐに構えを解いちゃ」
「そん……な……」
『雪』の武器はいつの間にか弓から浮遊する宝珠へと変わっていた。宝珠からは悍ましいほどの冷気が渦巻く。
「――よく頑張ったわね。やっぱり見込みあると思うわ」
「は、はは……、皮肉ですか……? こんな状況で褒められてもな……」
志賀は傘を構えることも出来たが、無意味だと悟り、身体の力を抜く。
(はぁ……、悔しいなぁ)
死を前にして志賀は『悔しい』と思った。
今までずっと生き残り続けた『幸運』を恨んでいた彼は、怨敵に殺されることで『不幸』の証明となると考えていた。結局死に場所を逃し、彼は生きて――神人となって人々を救う存在になると誓いを立てた。
――その神人になる第一関門を突破。良き人々に囲まれ、これからと言う所で理不尽に殺されるという『不幸』。
殆どの人間が自らの死に場所を選べるわけではない。あの日、あの時死んだ志賀の周囲の人々は誰もあの時死ぬなど考えたこともなかった筈だ。
(ノコノコと怨敵の本拠地に乗り込んで『不幸』の証明をするなんて――あまりにも烏滸がましいことだったな。こんなことにも気づかなかったとは――)
志賀は自嘲するように訓練場の床に乾いた笑いを放つ。それを見た『雪』は少し目を細め、宝珠に神気を注ぐ。
「まぁ、いいわ。おやすみなさい、志賀」
――その直後、猛吹雪と共に志賀を中心に巨大な氷塊が発生する。氷塊が嵐と共に砕け散った後、そこに志賀の肉体の痕跡は何一つ残っていなかった。
雪風 志賀は、死んだ。
◇◇◇◇◆
「――『雪』……? 『雪』……!?」
一人の少女が鍛錬場へと現れる。宮とは対照的な黒い長髪の少女、夢は仕事を終え家に帰ってきたと報告があった筈の『雪』の姿が見えず探していたのであった。
宝珠を手に不遜な表情を浮かべる『雪』、同じく姿を消した志賀、そして冷気の暴風の残滓を見て、夢は何が起こったのか察し、『雪』の肩を掴んだ。
「あぁ……なんてことを……! 仮にも御客人ですよ『雪』!」
夢は男性恐怖症であるが、別に男全てを憎んでいるわけではない。表向きは客人という体になっている志賀への狼藉を許すわけにはいかない。
「放してよ。わかっているでしょう?」
「まだ、あの子は士官学校にも編入できていないの! それなのに、こんな、こんな……」
夢は『雪』を叱りつけるが、当の『雪』は尊大な態度を崩さない。
「もう、あの子は神人になったの。容赦する必要など無いわ。ほら――」
『雪』が顎で志賀の居た場所を指し示す。そこには青と紫が渦巻く人魂のような物が存在していた。
「神人になったのならいつでも蘇生できるの。ゆくゆくは人様の命を預かる人間になるんだから、早い内に『死んで』貰った方が予後は良いわ」
そう言うと、『雪』は夢の手を振りほどき、志賀の下へと歩いて行く。そして、『志賀の魂』を手に取り、先程の戦闘で向けた表情が嘘のように愛おしげに眺める。
「……消さないのよね?」
「えぇ、もしボクが勝手にこの子を消したとなったら『宮』が黙ってないわ。ボクが『蘇生』する」
そうして、『雪』は訓練場を後にするのであった。
◇◇◇◆◇
「――――ぶはぁ!? ハァッ! ハァッ! し、死――!?」
志賀は自室の寝台の上で勢いよく飛び起きる。志賀は窒息しかけたかのように大きく呼吸を繰り返し、全身からは冷や汗が滝のように流れる。
自分が宮によく似た少女に殺される嫌な夢を見たと苦い顔をする。
「死んだわ」
「えっ」
しかし、それは夢ではなかった。
志賀の自室の椅子に腰を掛けて気怠げな態度で本を読んでいるのは彼が夢の中の存在だと思っていた宮の別人格である青い少女そのものであった。
「あ、えっと……」
「『雪』」
志賀が返答に困っていると『雪』は短く自己紹介をする。
「雪と書いて『雪』。宮の別人格、月曜日を担当。対応属性は陰。こんなところかしら」
「は、はい……。しかし、何故俺は生きて……? 殺された筈では?」
「神人は、例え肉体が消滅してもそれなりの猶予期間があるの。『魂』の状態の神人はそのままではいつか消滅してしまうのだけれど、特定の術を使えば蘇生することも可能よ」
志賀はその言葉に驚く。例え神人でも死は即ち死。その法則からは逃げられないと考えていた。教本を隅々まで読み返したが、『魂』も『蘇生』も記述されていなかった。
「良かった……。『雪』がもしかして私のために殿方を殺そうとしているのかと思って。そうだとしたら私、どうして良いのか分からなくて……」
震えたような声が囁く。志賀がその主を探ると、青い小さな少女の後ろに隠れた黒髪の少女が見えた。
「夢様!? ここは……俺の部屋……! だ、男性恐怖症と聞きましたが大丈夫ですか……?」
志賀は大慌てで夢のことを気遣う。
その様子を見た『雪』は頭を掌で叩きながら呟く。
「聞いた? 『萌』。女性が自室に入ってきて一番に心配するのが自分の聖域に踏み入れられたことじゃなく女性が不快に思っていないかどうかよ? この少年が本当に貴方を穢すようなことをするかしら?」
ゴツゴツとまるで自分を叱りつけるように頭を叩いている『雪』に対して夢はひたすら平謝りする。
「身内の粗相に対して手前都合で謝罪しない訳には参りません。ほら、『雪』! 御本なんて読まずに謝って事情を説明しなさい!」
『雪』を叱りつける夢。厳しい口調ではあるものの、顔面は蒼白であり、声の節々は震えている。かなり無理をしているようであった。
姉には頭が上がらないのか、男性恐怖症を押してまで謝罪を表明する様子に堪えられなかったのか、『雪』は渋々ながらも、それでいて深々と頭を下げた。こうして見るとしっかり姉と妹である。
「ごめんなさいね、志賀君。手荒な真似をしてしまって。本当の意味で殺すつもりはなかったわ」
若干、高慢な態度ではあるものの、謝罪の意思を感じる。
「……『雪』様。何でこんなことを……?」
「死に対する純粋な反応を見るため。そして、貴男の現状の才能を見極めるため」
志賀の疑問に対して、『雪』は不遜な態度を崩し、真面目な表情となる。
「貴男はいずれ、『宮』の意思を継いで隊の指揮を執って貰いたいの。あの子、貴男に過剰な期待をしているようだけれど、あの子は甘いからきっと本気で鍛えることなんて出来ない」
「……!」
宮から期待を掛けられている空気は感じていたが、『隊の指揮』を任せる水準まで期待されているとは思っていなかった志賀はその言葉に驚く。同時に、暗殺の訓練を積んだだけの男に部隊の指揮など到底できるものではないと思ってしまった。
「あの子はね、ああ見えて理想が高いの。その癖、実現のための将来設計なんて考えていないから、タチが悪いのよ」
『雪』は額に手を当てて溜め息を吐く。多重人格である宮であるが、その主人格は間違いなく『宮』なのだろう。志賀は苦労しているであろう『雪』に同情する。
「兎に角、ボクは貴男を認めると決めたわ。他の『ボク達』はあんまり真面目じゃないから、ボクが嫌われ役を買って出ないといけないようだけれど」
『雪』はわざと持っていた本に視線を移す。
「厳しく鍛えられるのは只人時代に経験済みです。寧ろ、俺を宮様の期待に添える神人にしてくれるのであれば幾らでも厳しくしてください」
「――そう」
少女はそう答えると、読みかけていた本をぱたりと閉じる。素っ気ない返事ではあったが、少し安堵の色が見えた。
そして、少女は少年を真っ直ぐに見据える。志賀へ向けられたその目には、なお人を射抜くような冷たさがあった。
しかし、そこには先程までの不遜な値踏みは見られない。そこにあるのは、自らの指導の下に置くと決めた者を見る静かで厳しい眼差しであった。
「ボクはあまり飴を与えるのは得意ではないわ。もしも、甘い言葉が欲しいのであれば『水曜日のボク』にでも頼むことね」
「はは……。辛くなったら頼るようにしますね。よろしくお願いいたします、『雪』様――そして、『他の宮様達』も――」
少年と少女は固い握手を結ぶ。
少年にとっての少女の存在は、これより命の恩人から師、あるいは上官へと変わる。
その様子を見て安心して気が抜けたのか、男性恐怖症の少女がぱたりと床に倒れる音が聞こえた。
<戦技:『早贄』>
分類:投擲攻撃、無属性、棒術、飛翔術
上空から杭を投擲し、対象を貫き釘付けにする。
命中時にほぼ確実に『串刺』の状態異常を与える。
人体を貫通させて固定する衝撃度に反して威力は低い。
一般的には、足の早い敵の足止めや止めを譲る目的で使用される。
杭の形状は使用者により異なるが効果は同じ。




