第十六話 『前夜』
(本当の幸せ……ね)
志賀は順調に教育の日程を消化して行った。縁に言われたことを何度も反芻し、自らの『幸運』な人生を振り返る。
親しい者が何度も失われる中、運良く生き延びてきた志賀は自分が幸せになるのは烏滸がましいことだと思っていた。
(今は兎に角神人になることだけを考えよう)
志賀は近所の万屋で購入した安っぽい筆記具で教本上の要点へ最低限の線を引いていく。
(それにしても、減ったなぁ……)
休憩時間に入り、志賀は周囲を見回す。
当初30人ほど居た受講者は、教育最終日の今日ではその数を大きく減らし、既に片手で数えられる程となっていた。
小試験の不合格や居眠り・私語などの受講態度不良により、受講停止・再受講措置となってしまった者も居るが、何度も口を酸っぱく神人の現実を突きつけられたことにより神人になることを諦め、自ら受講を取り消した者も数人居た。
国として一般神人に求められているのは、魔獣災害からの国防の一点のみである。
元より人類の存続の一助となるために神人を志す者は少ない。殆どの者は病にも掛からず永遠の若さを得られることや人ならざる力を得られることを求めている程度だ。その程度の浅い心情では神人に纏わり付く重責には堪えられない。
「皆さん、ここまで良く耐えてきましたね。徒に神人の数を増やしてはならないため、どうしても厳しい内容やつまらない内容が多かったと思います。今日のお昼、最後の時間では皆さんが気にしているでしょう神人の戦闘についてなどの実務的要素を深掘りしていきます。本日の教育の最後には最終試験となる本試験がありますので、最後まで気を抜かないように――」
(……殆どが倫理教育や歴史の勉強だったな。本格的に戦闘技術が学べるのは神人になってからか)
神人は『白表機関』等の特定の組織に所属している者を除き、殆どの者が軍、即ち国に所属することとなっている。細かい戦闘技術の開示は国防にも関わるため、教育では深掘りされることはない。
休憩時間に入り、志賀は教本の深掘りされなかったところを見ていると、講師に声を掛けられた。
「――休憩時間中ですが、雪風 志賀さんは少しお時間貰いますよ」
「あ、はい」
志賀は施設のとある部屋に連れて行かれる。そこには3尺程もある大きな硝子玉のような物が浮いており、その中には青い靄が光を放っていた。
「これは、只人の『素質』を測定する機械です。明星 宮さんからは大丈夫だと太鼓判を押されているのですが、やっぱり測らないまま神人にさせるのも怖いって上に言われてしまったので……。申し訳ないですけどこの宝玉に触れていただいても良いですか?」
教育参加者は事前に神人としての『素質』予測を測定され、もし、戦力として期待ができない場合は初日の受講すら適わない。
志賀の場合は事前に『素質』を然るべき機関で測定した訳ではない。しかし、どうやら宮はその『素質』をある程度読めるようで、特例で受講することができた。
志賀は、初日に教育会場に放り込まれた時に宮が受講表以外にも何か用紙を付けて受付に渡していたのを覚えていた。
「……あの人、やっぱり無茶苦茶なことで有名だったりします?」
志賀の言葉に講師は気不味そうに首を縦に振る。皇国での件を見ても結構思い付きの行動が多く、なまじ力がある分本人にその気がなくとも周囲を振り回しまくっているのだろう。
志賀は苦笑しつつ、宝玉の表面へと手を置く。
「――っ!」
全身を駆け巡る青い奔流。宝玉の内部の色が変化し、青色と紫色の光が渦巻き始める。測定器が宝玉の情報を読み取り、『素質』を分析する。
「そろそろ結果が出るかな……? あ、出た出た」
そこには、まるで学校の成績表のような形で『素質』――つまりは能力予測が表示されていた。
属性:陰/霊
耐久:凡/神気:並/膂力:並/呪力:並/防御:並
敏捷:並/技巧:良/幸運:天
適正兵種:男覡、殯屋、物忌
「……なんか、並ばっかりですね。神人の能力って只人の段階から評価出来るんですね」
「そうですね、神人は只人とは法則が違うから……って、んん!?」
あの明星家の少女が推す割に特筆すべき能力値はないと残念がるように見ていた講師であったが、最後の幸運を見た際に驚いたような表情を見せる。
「幸運が……天……!? 嘘でしょ!? 聞いたことがない!」
「……幸運。それは、どれほど凄い物なんですか?」
「とんでもないことよ! 神人の能力評価は大まかに劣・凡・並・良・優・秀・天の7段階。天はその最高峰です!」
志賀は、自らの幸運を呪ってここまで来たので『幸運』なる能力値が高いと言うことに納得はしつつもあまり嬉しくはない。
「普通の神人になった直後ではどんなに高くとも『優』が限界くらいなのに……。ここまで極端な能力値配分の神人自体が珍しいです。……これが研鑽前の初期値だというのが恐ろしい……」
講師はぶつぶつ呟きながら故障を疑い、再測定を行うが、結果は同じであった。
そして、志賀の肩を物凄い勢いで掴み血走った目を向ける。
「――志賀さん」
「は、はい!」
「絶対、今日の最後に実施される本試験、一発で合格してくださいね! 貴方は一秒でも早く神人にならないといけません!」
「りょ、了解です……」
◇◇◇◇◆
(……まさか、俺の幸運にそんな価値があったとはなぁ。まぁ、神人としての能力値だから実際の運の良さとは直接関係していないとは言われたけど)
志賀は遂に最終日の教育、そして、最終試験を無事に終え、明星家へと戻る。最終日の教育は神人関係の用語の解説が中心であり、神人が扱う武器などについても説明された。
武器の中には傘のような物もあり、皇国での利根 煬大との死闘で傘を使っていた志賀は思わず吹き出しそうになってしまった。
(あっという間の5日間だったなぁ……。でも、これでいよいよ――)
そして、最後の本試験の合格も得たことで、遂に志賀は神人化施術を受ける資格を得たのであった。
「志賀殿おつかれ……」
「おっと……。ありがとう。後もう少しで神人だ」
屋敷に戻って一番に出会ったのは誉 三光であった。何故か投げつけられたおしぼりを受け取りつつ手を拭く。やる気の無さそうな顔をしているが、女中の三人娘の中では一番ノリが良い。
「宮様の言うところによると、志賀殿のぽてんしあるは凄まじいものがあるという……」
「ぽてんしあるって何!?」
「それは、かつて悪の神が全ての人類を滅ぼす前……、現、重雲国の土地にいた先住民が使っていたとされる失われた言語……。かっこいい……」
「そ、そうか……」
歴史教育はギチギチに詰め込まれていたため、志賀は断片しか知ることが出来なかったが、約千年前に人類は一度滅びかけている。
――『始祖神』。突如地球に現れたこの世に存在し得なかった法則の存在。あらゆる宗教の『宗主の神』を吹聴し人類を支配しようとしていたが、服わぬ人々へ怒りを抱き、一夜にして全人類の9割を消滅させた悪神。
そして、その力の断片を振るっている者こそが神人であるのだという。
「しかしまぁ、悪の神とは言ってもいくら何でも執着が酷くないかな……? 流石に千年くらい経ったら諦めてくれそうなんだけど」
「残念ながら魔獣を制御する神はもう居ない……。命令系統がない獣は愚直に最初の命を守るのみ……」
人為的に産み出される神人とは異なり、魔獣は自然発生する。
魔獣という存在は、『始祖神』が僅かに生き残った人類すら根絶やしにするために遣わせた使途のようなものなのだという。
(何百年も魔獣との戦いを繰り返してきた今が昔に比べて戦闘技術が発達していたなんて訳もないし、よく人類は絶滅しなかったなぁ……)
志賀がそう思っていると、廊下の角から三人娘の残りの二人が出て来た。
「志賀殿ー! おつかれさまです!」
「おつかれさまですか? お茶要りますか?」
元気溌剌に挨拶している少女は、寿 九曜。まるで上官と居合わせたかのように背筋を正して敬礼をしている。
小首を傾げながら見つめてくる少女は、栄 七星。くりくりとした目が小動物のようで可愛らしい。
「いや、お茶くらいは自分でするよ。俺は本当の所は監視対象の身だからあんまりお客さんみたいに扱われるのは逆に良くないと思うんだ」
「そうですか? そうかも?」
七星は梟のようにぐりぐりと首を傾げる。あまり納得がいっていない様子だ。
「七星殿――否、わたくし達はお世話を焼きたがりですので! 例え、ご主人様やお客様でなくとも何かをしてあげたいと思ってしまうのです!」
「お、おう……。ごめんね……」
志賀は九曜の勢いに押されてしまう。元孤児とは思えない程の元気さだ。
「志賀殿は謝る必要などないのです! それでは、わたくし達は他のお仕事をしております! もしも、助けが必要とあらばいつでも駆けつけますので! よろしく、お願いいたします!」
そう言うと、九曜は嵐のように何処かに行ってしまった。七星は少しだけ命令を待つ素振りをするが、すぐに別の仕事に戻っていく。そして、三光は気が付くと何処かに消えてしまっていた。
「……これだけ賑やかなら毎日楽しいだろうな」
志賀はそう言いつつ、自室に戻る。そして、床に寝転び、天井を眺めた。
(後一日……。後一日でこの身体も最期か……)
神人嫌いの両親から授けられたこの身体――。神人に殺されることで不幸の証明をしようとするためだけに生き長らえてきたこの身体――。
それも、明日で終わりを迎える。両親が忌み嫌っていた存在に、そして、今まで呪い続けていた『幸運』を力に変える存在に――。
志賀の目尻からはいつの間にか一筋の涙が零れていた。明日からは自分の今までの人生の全てが無に帰す。感情も、思想も、価値観も――全て1週間前までの自分は全否定される。それがたまらなく悔しかった。
「志賀くーん! お散歩行こ!」
バターンと鍵を掛け忘れた扉が開き、小さな神人の少女――宮が部屋の中へと入ってくる。
「……健全な男子の部屋に入る時は扉くらい叩いてくださいよ」
「おぉ! 冗談を言えるようになったんだ! これで大丈……って訳でもなさそうだね……」
宮は目を擦った志賀の目を見て涙を流していたことを察すると、静かに手を伸ばす。志賀は拒絶することもなく、その手を握り返す。
◇◇◇◆◇
――神人化施術前教育の1日6時間は休憩時間を含まず、しかも、純粋な教育時間だけで6時間必要となるため、補足説明や小試験など含めると朝の8時に始まっても終わる頃には日が落ちている日もあった。
最終日の今日は教育だけでなく、最終試験まで含まれていたため日程終了時点で夜の8時を回っていた。
宮に散歩に連れ出された志賀であったが、当然外は真っ暗であった。宮は手の平から輝く星屑を作り出し、地面を照らす。
「……こんな時間に散歩ですか?」
「うん♪ ボクも休暇――もとい、任務の期限日まで後二日――日曜日までしかないから、折角だしやりたいことやっておこうかなって」
宮の言う任務とは、坂郎会、そしてその首領の利根 煬大の討伐任務である。既に利根は宮の手により斃されているが、任務が早く終わった分その残り日数はそのまま休暇となる。
「はは……。偶然とは言え、あの時宮さんが助けてくれなかったら今の俺はここに立つことすら無かったんですよね」
志賀は自嘲的に呟く。宮の方を向くと、少し俯いて指先をこねていた。星屑の光に淡く照らされた顔が柄にもなく不安そうにしているのが見える。
「……いっつも皆を振り回しているボクが言えたことじゃないのは分かっているんだけどさ、これで良かった?」
「ははっ、今更ですよ。凝り固まった俺の価値観を解してくれて寧ろ感謝しているくらいです」
「でも、キミはさっき泣いていた」
「っ……」
宮は見抜いていた。
神人を嫌う地で産まれ、神人を嫌うように育てられ、神人に家族や故郷の人々を殺され、神人を憎む者達に教えを請うた少年――。
そんな存在が、この数日で神人の真実を知ったとしてもそう簡単に割り切れる訳がない筈だと――。
「……ここで、キミは神人になることを止めても良い。皇国の許可が出るまでは監視対象になるのは変わらないけど、いつかは故郷にだって帰してあげる。だから――」
「――いえ、俺の心はもう決まっています」
志賀は宮の言葉を遮り、過去の自分と決別する。
「俺は……俺は、自分の『幸運』が憎い。いつも勝手に生き残らせて周りに不幸を撒き散らす『幸運』が許せない。でも、今日、『素質』を分析された時の講師のお姉さんの反応を見て理解しましたよ。俺の『幸運』はきっと他人の力になれるって」
「ふ、ふ~ん……」
「宮さん、絶対知ってて黙ってたでしょ? 俺にあんな『素質』があるって。いきなり『幸運』が高い神人になれるから神人になりなよとか言ったら拒絶されると思って隠してたんだ」
「うぅ、バレちゃった……」
ばつの悪そうな顔をしている宮を見て志賀は少し勝った気分になる。
「そ、それより、この先! 綺麗だから見て!」
宮は星屑を浮かせて志賀の足下を照らしながら駆け出す。志賀もそれに付いて行き、峠を越える。
そこには提灯に淡く照らされた満開の桜が咲き誇る美しい情景があった。
「……葦野国の国花か」
志賀も思わずその光景に息を呑む。鉄と混凝土に囲まれた地で産まれ、幼少期を殺しの訓練に費やしてきた彼にとってはあまりにも眩しかった。
志賀はしばし言葉を失い、峠の下に広がる桜色をただ眺める。その様子に気付いた宮は立ち止まって振り返り、少しだけ得意げに笑った。
「ね? 綺麗でしょ?」
夜桜を照らす提灯の光が、純白の髪を透かす。その薄い輪郭だけが闇に浮いて、宮はまるで――この景色そのものを纏っているようであった。
志賀は言葉を探したが、見つけた途端にどれも安っぽく思えて喉の奥で潰れ、ただ『――ああ』とだけ呟いた。
「――この景色は、ボク達が守り抜いてきた景色なんだ」
夜桜の下では人々が集まり、志賀達と同じように美しい花を眺めている。小さな風呂敷を広げた幼精達も人々に紛れて花を愛でていた。
その光景を目にした志賀の心の中に小さな光が灯る。
――守りたい。この光景を、この世界を。
志賀はゆっくりと宮の方に向き直る。視線が合った瞬間、宮は少しだけ困ったように笑った。
「――宮さん……いや」
言い直して、志賀は『神』に誓いを立てるかのように片膝を付き、正面を見据える。
「――宮様」
「なぁに?」
淡い笑みを浮かべる小さな少女の前で少年は言葉を選ばずに吐き出す。
「俺は、神人になります。神人になって只人を、人類を守ります――」
その様子を見た少女はゆっくりと手を差し出し、少しだけ戯けるように最後の確認を行う。
「――後悔、しませんね?」
少年はその手を払い除けることなく、強く握り返す。
「――ああ!」
少女は満足そうに、そしてほんの少し安心したように息を吐き、跪く少年を抱きしめた。
提灯の灯りが揺れ、花弁が二人の肩にそっと落ちる。胸の奥で、何かがほどけた。
――『幸運』を呪い、復讐に縋って生きてきた少年の人生は、ここで終わりを告げる。
ここから始まるのは、『幸運』を武器に、誰かを救うために戦う男の物語だ。
ここまでが序章となります。
次話から、第一章『伝統と革新の国』が始まります。
神人となった志賀は、この歪んだ世界でどう変わっていくのか。
今まで嫌悪していた存在は、本当はどのような存在であったのか。
そして、神人たちが抱える闇とは――。
物語が、いよいよ動き始めます。




