第十四話 「最初の晩餐」
自室の戸を叩く音に、志賀は慌てて応じた。戸を開くとそこには1人の少女が控えていた。
淡い蜂蜜色の長髪はふわふわと揺れており、旧欧風の焼き菓子のような甘い香りが漂う。右目には眼帯をしており、左目の金色の瞳は少し眠たげに細められていた。
「あ、すいません、えっと……」
「金星 縁でございます。お食事の用意ができておりますよ?」
縁と名乗る少女は、皇国の港で出会った宮の使用人であった。甘い匂いは神人の権能によるものであるらしく、その能力の有用性・希少性からその身を狙われることも多いようだ。ちなみに、権能とは神人の持つ特殊能力のことである。
◇◇◇◇◆
(き、気まずい……)
志賀は縁に連れられて重い足取りのまま食堂へと向かう。厨房を紹介された際に、偶然夢と鉢合わせして手に指が掠った挙げ句に一瞬でも怯えた表情をされたことが頭から離れない。
明らかに不安そうな表情の志賀を心配した縁は声を掛ける。
「心配せずとも、夢様は大丈夫です」
「う! やっぱり知られてた……」
「ふふふ、読心術です。私の左眼、『千里眼』は何でもお見通しですよ」
縁は無表情のまま口に手を当てて笑っているような仕草をする。志賀は内心『思ったより面白い子だな』と思いつつ、隠し事もすることができないと思い、より落ち込んでしまう。
「ご安心を、悪用はしませんよ」
「そうだと良いんですが……」
「志賀さ……いえ、雪風さん、明星家の御二方は兎も角として、私達使用人には普段の喋り方で結構ですよ? お年も同じのようですし」
「う……ん、解った。……突然下の名前で呼ばれるとびっくりするなぁ」
縁は志賀に配慮して苗字呼びに直す。只人の文化では基本的にある程度仲良くならないと下の名前では呼ばないが、神人では初対面でも下の名前で呼ぶのが慣習らしい。神人にとっては、名前は生き方そのものに近いもののようだ。
「今のところは雪風さんとお呼びしますが、いずれにせよ、神人となった際には下の名前で呼び合うことになるのは変わりないでしょうし、宮様と夢様は下の名前で呼んで貰えませんと区別が付きませんからね。私も初めは姉様・妹様と分けて呼んでいましたが余りにも不機嫌になされますので……」
「ちょっと待って。夢さ――いや、様付けた方が良いか。俺が夢様も名前で呼んでも大丈夫なの? 男性恐怖症の人がいきなり下の名前で呼び始めたら怖がりそうなんだけど……」
「安心してください。神人にとっては一般的な慣習でもありますし、夢様も男性恐怖症をなんとか克服しようと努力されているのです。寧ろ体接触以外であれば多少の荒療治は構わないと本人が仰っております」
「そ、そうなのか……」
志賀は安心したような、逆に不安になったような複雑な表情を浮かべる。
(……この屋敷の過去には何があったのだろう)
復讐を強く否定しながらも要請さえあれば犯罪者を容赦なく消滅させる宮、使用人側から接触することを控えようとするほどの男性恐怖症の夢――。
どこか闇を感じられる姉妹であったが、志賀自身、過去を掘られることに抵抗があるため、聞こうとする気は起きなかった。
食堂に入ると、侃と使用人の三人娘、そして明星姉妹が席に着いていた。どうやら、使用人は家族同然の扱いとして一緒に食卓を囲むのがこの屋敷のしきたりのようであった。
夢は少し申し訳なさそうな笑みで志賀に手を振る。
「志賀クン! まずは、初日の教育ご苦労様! 今日はお姉ちゃんが作ってくれたご馳走だよ!」
「真鐵国の方だからお口に合うのか分からないのだけれども、良かったら楽しんでいってね」
真鐵国とは志賀の故郷のことである。技術国家としてだけでなく、監視国家としても有名で、神人の支配に嫌気が差した只人達が都市の外に抜け出し、『外縁区』と呼ばれる只人だけの集落を形成することもあるほどだ。志賀の生まれはそんな外縁区の出身であり、元々神人に対する印象は良くはない。
そして、真鐵国――その外縁区では特に珍しい旧欧風の料理が食卓の上に並ぶ。どれも、一流の飲食店に出しても全く問題の無い高品質な品々であった。
しかし、志賀は男性恐怖症という夢の手料理に少し警戒してしまう。毒を混ぜられているとまでは思ってはいないが目の前に見えるご馳走を少し不安そうに見つめていた。その様子を察した侃は匙を手に取り、一口だけ料理に口を付ける。
「あー! 侃さん先食べちゃった!」
「いけないヒト……」
三人娘がやんややんやと騒ぎ立てる。
「いやはや、はしたなかったですな。余りにも夢様のお料理が美味しそうだったものでして……」
完璧な使用人としてはあり得ない不躾な行為。しかし、その意図を志賀は察した。
侃は警戒する志賀とそれを不安そうに見つめる夢を安心させようとしたのだ。
その様子に夢の表情がぱぁっと明るくなる。
「ボクもお腹ぺこぺこー! 早くいただきますしよ?」
「そうね。それでは、いただきましょうか」
『いただきます』の合唱と共に食卓の食器が軽やかに動き出す。使用人達と夢の食事作法は完璧な物であった。志賀は自分が田舎者のように見えて恥ずかしくなる。
「志賀クン、誰も気にしないから好きに食べて良いよ?」
「あ、あぁ、はい……」
そう言われて志賀は宮の手元を見る。他人にはそう言っておきながら、肉を切る卓刀は食器と擦れる音すら立てず、突匙を口に運ぶ所作すらも美しい。
あんなにも粗暴で幼稚に見えた宮があまりにも繊細で綺麗な作法で食事を摂る様子を見て、志賀は少し悔しくなる。
よく見ると明らかに宮の前に並んでいる料理が多い。食べ盛りかつ新しい入居者として多めに用意されている志賀の料理の倍ほどまである。あの小さな身体に入るのかと言わんばかりの料理の山を美しい所作のまま次々と平らげていく。
(いや、食べ過ぎだろ! そもそも神人って霞でも食ってそうな感覚だったのにあんなにバクバク普通の食べ物食えるんだな……)
志賀は驚嘆とも呆れともつかない表情をする。
――志賀がふと、周囲を見渡すと、呼んでくれた筈の縁が席に着いていないことに気が付く。
「あ、あの、金星さんは?」
「縁ちゃんなら今、お風呂の準備をしているんじゃないかな?」
「え?」
幾ら広い屋敷とは言え、現状でこれだけの者しかいない中で風呂の準備など難しい物ではないだろう。真鐵国では外縁区ですら釦一つ押すことなく浴室の洗浄から湯張りまで行うことが出来る。葦野国は流石にそれよりは技術力が劣るとはいえ、流石に薪を割って火に焼べるほど低水準の国ではないはずだ。
「こんなに美味しい料理を冷めた状態で食べるなんて……」
志賀は真鐵国の便利な技術での生活を捨て、幼少期を過酷な山奥で過ごし続けていたため、これ程までに豪華な食事は初めてであった。
そのため、こんなにも美味な料理を一番美味しい状態を逃して食べることに勿体なさと贅沢さを感じてしまう。
「――縁には、食事は無いわ」
「――は?」
志賀は一瞬、夢が何を言っているのかが分からなかった。あの子は屋敷の中で虐めに遭っている。そんな想像をしてしまった。もしもそうなのであれば志賀としてはこの食卓を囲むのは許せないことであった。
――しかし、席に着いている面々は皆一様に重苦しい表情をしていた。宮が口を開く。
「折角だから、話しておくね。縁ちゃんはご飯を食べられないの」
「そ、そんな……」
宮はどう説明して良いか少し悩みつつも口を開く。
「縁ちゃんの甘~い匂いについては志賀君も知っているよね?」
「は、はい」
縁の身体からは常に食欲をそそるような甘い芳香が漂っている。志賀が一緒に食堂に向かう間も涎が出そうで困っていたくらいであった。
「あれは『神気』」
「神気?」
「正確に言うと神気が縁ちゃんの権能で変質した物だけどね。ボク達神人は神気で形作られて、神気を動力に動いているんだ。勿論、術を扱うにも神気は必要」
そう言うと、宮は自分の料理の中から挽肉を焼いた料理の皿を取りつつ、わざとらしく卓刀で肉を叩く。すると、肉の音に混じって硝子片を叩いたかのような音が混じる。
「……もしかして、その料理の中に?」
「そう! ボクはちょっととある理由で燃費が悪いからね。神気を沢山摂らないといけないから神気の籠もった素材を沢山料理に混ぜ込んでもらっているの」
改めて料理を確認すると、挽肉焼以外にも馬鈴薯を潰した物や煮込み料理など、混ぜ物がし易い料理が多い。
「それで、神気は大気中にも物凄い量が保持されているんだけど、そのままの状態だと神人でも殆ど吸収することは出来ないんだ。だから不足分はこうやって結晶化した素材を摂取して補っているの。この辺は窒素分子と肥料や繊維素と葡萄糖の関係に似ているかな?」
「あ、あの、化学の知識は暗殺用以外は初等部程度の水準しかないのでお手柔らかに……」
志賀は幼い頃に家族を失い、孤児院まで抜け出してしまったため、知識の偏りが激しい。物覚えが極めて良いお陰で真鐵国の最新機器でも説明書をぱらぱらと捲れば難なく扱えるが、知らない知識についてはどうしようもない。
「むぅ……ごめんね。かんわきゅーだい、それで、縁ちゃんの持っている権能は大気中の神気の変換効率が異常に高いって特性があるの。しかも、その神気を再利用し易い形で体内に留めておくことができる」
「……つまりは?」
「いつでもお腹いっぱいってこと!」
「あぁ~……」
その答えを聞いて志賀は少し安堵した。空腹の絶頂に苦しみながらも食事を摂ることもできず、一人気を紛らわせるために食堂を後にしている少女は存在しなかったのだ。
「しかし、一緒に食卓を囲んでも良さそうですが?」
「それはボクも思っているんだけどね。さっき、神気を再利用し易い形で体内に留めておくことが出来るって言ったじゃん。それって全身を巡る体液がそうなんだよね」
「……? それが?」
「……あの子の体液、滅茶苦茶甘くて良い匂いなんだよ。血液だけじゃなくて唾液だってそう。そんな糖蜜液を常に飲んで嗅いでいるとすると……?」
「……普通の料理は相対的に不味い上に臭いがキツくなる……ってコトですか!?」
宮は深刻そうに頷く。どうやら、食事が好きな宮にとって見れば、食べ物を味わうことが出来ない縁はとても可哀想に見えるようであった。料理をすることが多いであろう夢や侃も『頑張ってはいるんですが』と言う表情をしている。
(しかし、なるほど。その神気とやらを使いやすい形で留めておける体液か……)
志賀は、縁があの港で何らかの組織に襲われた理由が解った。彼女を一人捕らえておけば、後は血液を搾り取るだけで回復薬にしろ食用の液糖にしろ何にだって使うことが出来る。資金源としては申し分ないだろう。
(でも、『最強の神人』を敵に回してまでやりたいことかぁ?)
そう思いながら志賀は宮の方にちらりと視線を向ける。
小さなあどけない少女。しかし、その本質は神人を容易に引き裂きながら吸引し、巨大な隕石を天から降らせる程の力を持つ怪物――。
彼は、そんな人ならざるモノの頂点に飼われることとなったのであった。
(……まぁ、いいさ。俺はあの夜に死んだんだ)
復讐を成し遂げられなかった少年は、そう思いながら明星家の黄泉戸喫を受け入れる。和やかな食卓の裏で彼は後には退けないと言う決意の火を静かに灯すのであった。
◆世界観に合わせて解りにくくなってしまった用語解説コーナー◆
卓刀・突匙
所謂、テーブルナイフ・フォーク。
普通の不錆鋼(ステンレス)製の安物。
明星家はあんまり必要以上のお金を掛けない主義ではあるが、
『洋館なんだから洋食の方が合ってるよね♪』
と言うことで洋食が多い。
葦野国全体で見ると一般人の食事は和風料理が基本となる。
夢は後に『葦野国に初めて来た人ならお寿司とかの方が良かったのでは?』
と勝手に一人で反省していたらしい。
繊維素
所謂セルロース。
植物の細胞壁を構成する主成分となる多糖類で、自然界で最も多く存在する有機化合物である。
多数のブドウ糖が直鎖状に重合した高分子化合物で、化学的安定性が非常に高い。
紙・布・木材等の主成分であり、人類文明は長きにわたり本物質を利用してきた。
同じブドウ糖から構成されていても、結合の違いにより人間の消化酵素では分解できない。
その代わり、食物繊維として腸内環境を整える働きを有することが知られている。




