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第十二話 「新たなる旅路」

 雪風 志賀は暫く船に揺られていた。


 葦野国製の神人が操る空飛ぶ船は、港を離れるや否や低く唸りを上げ、真鐵国製の只人が操る飛行機よりもはるかに速い速度で空を駆けた。

 灰白の船体が朝日に照らされ、金の鳥飾りが眩しく輝く。甲板の板目を震わせる推進音が、志賀の耳を塞ぐように響いていた。


 志賀は手すりにもたれ、流れ去る海と空の境界をただ呆然と見つめていた。

 高橋の『達者でな』という声が、まだ耳の奥で反響している。胸の奥に渦巻く感情は、言葉にならない。


 志賀はゆっくりと目を開けると、視界の端に宮の姿が映った。

 一度、目的地を入力してしまえば操縦する必要などもないのか、彼女は手すりに寄りかかり、朝の光の中でうとうととしていた。

 その真っ白な素肌が日差しにさらされるのを見て、志賀は思わず眉をひそめた。


 鞄の中から軍用の折りたたみ傘――利根との戦闘に用いた物を取り出し、無言で宮の頭上に差し出す。

 傘の石突きの銀の穂先は利根に切り落とされ、布部分にも銃撃で生じた生々しい穴がいくつも空いていた。


 日陰が彼女を包み込むと、宮は一瞬だけ目を開け、薄く笑みを浮かべてから、再び静かに目を閉じた。


「……お優しいのですね」


「……こんなに白い肌に光を当てるのが恐ろしくて」


 縁は口元に手を添え、微笑みを深める。


 空飛ぶ船はさらに加速し、朝日に向かって一直線に飛び続ける。

 甲板の上、宮は穏やかな寝息を立て、志賀は傘を握ったまま、しばしその影を守り続けた。



 暫く飛行を続けていると、志賀はふと疑問を口にする。


「そういえば、さっき明星さんが『あの子』って言ってもう一人いるかのような口ぶりしてたけど他にも誰か居るんですか?」

「そうですね、ヒトではないのですが……」


 そう言って縁は船内から何かを取り出す。それは、ずんぐりむっくりな少女の姿をした生物だった。その生物は鳥打帽にメガネを掛けていた。


「あーっ! この子は!」


 その生物――幼精に志賀は見覚えがあった。貧困窟から命からがら抜けてきた志賀が出会った個体である。連れ戻されたのが不満なのか頬を限界まで膨らませ、目を細めて不満の意を表している。


「この子は個体識別番号イ号168番です。私達が飼っている子でどうしても一緒に行きたいというので連れてきたのですが、お友達を見つけて勝手に船の外に行ってしまったのです」

「百番単位!? そんなにいっぱい居るの!?」


 志賀は思わず声を裏返らせて驚く。縁は『命名規則はありますが』と言いつつ、不満の表情を崩さないイ号168番のお腹をむにむにと揉んでいる。


「もしかして、明星さんがあのせっまい路地で俺に突っ込んできたのって……」

「はい、この子を探しに行っていました」


 あまりにも偶然すぎる出会いであったことに志賀は驚く。少しでも時機がズレていれば2人は出会っていなかったのだ。


「結局の所、私達――否、宮様は坂郎会を討伐するために葦野国から派遣されて来ていましたので、もし志賀さんが先走っても騒動が起きた時点で宮様も飛んで行ったでしょうから面識があるなしの違いだけで結果は変わっていなかったでしょうけどね」


 志賀は『なるほど』と思いつつも、突然下の名前で呼ばれて少し恥ずかしくなる。


「あまり名で呼ばれるのは慣れていないようですね。神人の多くは下の名前で呼び合うことが多いのですが配慮が足りず申し訳ございません」


 縁が申し訳なさそうに頭を下げる。ふわりと甘ったるい香りが漂い、空腹の腹を直撃する。思わず腹の虫が鳴き、志賀は慌てて口元を拭う。


「ご、ごめん! 良い香りだったからつい……」

「良いんです、そう思っていただけた方が私は救いになります」


 縁は障壁の外の情景を遠い目で見ている。


(そう思っていただけた方が……?)


 志賀はその言葉の意味を理解できなかったが、何となく聞いてはいけない気がして押し黙る。

 イ号168番は縁に抱きしめられ、その甘い香りを堪能したのか幾分か機嫌が直ったようである。


 空飛ぶ船はものの10分で海岸線を視界いっぱいに収める。神皇歴以降、人類発祥の地となる葦野国だ。

 船は朝日を浴びながら高度を上げていく。 途中、何かに触れたのか『みょん』という間の抜けた音と共に船体が一瞬紫に染まる。しかし、船は速度を落とすことなくどんどんと列島を横断していく。

 眼下には断崖の上に建つ白い灯台、湾の奥に放棄された古い街並み、冬の名残に春が差し込む眠そうな山々――。

 美しい風景に思わず志賀は息を呑む。


 壁にもたれてうとうとしていた宮が、ふいに目を開けると、伸びをしながら志賀をじっと見つめる。


「志賀くん、葦野国に来て何かやりたいことはある?」

「……何も。俺のことは死人だと思って接してください」


 命を救われたばかりの志賀であったが、全てを復讐に費やしてきた志賀にはもう何も残っていなかった。宮はこくりと喉を鳴らしてからおずおずと話し掛ける。


「――志賀くん、神人になってみない?」

「……」


 勧誘――。憎んでいた相手と同じ存在になり果てる。それは、志賀にとっては余りにも受け入れがたいことであった。


「初めて見たときから凄い『素質』があるのが見えたの。その力をボク達に貸して欲しい」


 宮は更に畳み掛けるように言う。


「神人になればこの世の理不尽をまとめてぶっ飛ばせる。ボクの元に来ればキミは世界から不幸を無くすことだってできる」


 その声は無邪気でありながら、どこか上位存在の如く無慈悲であった。

 宮の瞳は笑っているのに、その奥で燃える光だけが異様に冷たく見えた。


「――さぁ、キミも神人になるんだ!」


 可愛らしい口調から発せられる不気味な勧誘文句――。それにも拘わらず、結果的に神人に手も足も出なかった志賀にとって、その言葉の芯は鋭く突き刺さる。

 返答に詰まった瞬間――。


 ――バシィッ!


「ほぎゃああぁぁ!?」


 縁の長い髪が鞭のようにしなり、宮の頬を打った。ふわりと花蜜のように濃厚で甘い香りが、甲板に広がる。

 縁は呆れたように溜息を吐くと、頬を撫でている宮を叱りつける。


「貴方は悪の組織の構成員か悪徳な宗教勧誘ですか? そういう言い方はやめてくださいませ」


 宮は頬を押さえながら『ひ、ひどいよぉ……』と小声で抗議しているが、志賀はそんな2人を尻目に短く息を吐く。

 神人――憎しみの対象だった存在。その仲間入りなど、本来なら唾棄すべき話だ。


 しかし、志賀を窮地から救ったのも、怨敵を容易く葬り去ったのも目の前の少女だ。


(もしも、その力の一欠片でも使えるならば――)


 ――『キミは世界から不幸を無くすことだってできる』


 宮の先程の言葉が心の奥底で反響し続ける。――勿論、宮の言葉は誇大広告も甚だしい。本当に不幸を無くすことができるのであれば志賀も高橋も苦しむことなど無かった筈だ。それでも――、


(折角、拾い上げられた命だ。この命の意味を考えろ)


 志賀の中で1つの決心が固まる。

 あの日、炎に包まれた故郷と、嗤う神人の影が脳裏をよぎる。


(あんな『不幸』を二度と起こさないためにも――)


 志賀は震える口で過去と決別する。


「――俺は、神人になります」


 宮の瞳がぱっと輝き、口元が嬉しそうに緩む。


「――俺は、今まで復讐のためだけに生きてきました。でも、もし俺が神人に……神人になれる『素質』があるのであれば、きっと何かできることがあると思っているんです」


 志賀は2人に深々と頭を下げ、意思を表明する。


「今まで散々勝手に神人を嫌ってきた俺が言うのも烏滸がましいですが……お願いします。俺を神人にしてください!」


 宮の瞳がパァッと輝き満面の笑みになる。そして、ぐっと身を縮めると大きく飛び跳ねる。


「やったああああぁぁぁ!!! 仲間が増えるよ! 縁ちゃん!!!」


 宮は縁の腕をぶんぶんと振るう。縁も宮の感情が伝染したのか口角が少し上がっていた。

 心の底から嬉しそうな宮達に志賀は微笑みを浮かべる。


(この人達とならこの先一緒になっても大丈夫そうだな――)


 志賀はもう後ろは振り向かない。『世界から少しでも不幸を取り除く』。そのために、彼は余生を使うと決めたのだ。

 志賀がそう思っていると、宮は『あっ、そうだ』と突然懐に手を突っ込み、明らかに懐の容量を超えた資料を出して広げた。


「よーしっ、決まりだよ! 今すぐ『神人化施術前教育』の申し込みするんだ!」


「……は?」


「最低1日6時間、そして、5日間の詰め込みだよ! 小試験も大試験もぜーんぶ合格必須なんだから!」


 志賀は固まった。神人になるために教育期間が必要など当然初耳であった。


「とりあえず、飛び入り参加でも大丈夫だから今日9時から早速受講しようね♪」

「えっ」

「あっ、学力とか心配してる? 大丈夫大丈夫、倫理教育とかそっちの方が主で計算問題とかはないからね。ただ、寝ていると小試験も合格難しいから頑張って起きててね」

「お、おう……」

「じゃあ、申請完了♪」


 ――とんでもないことになった。

 嬉しそうな宮の隣で縁が片手で頭を抱えている。志賀は縁に助けを求めるような顔をするが、『こうなってしまっては無駄です』と言わんばかりに力なく首を横に振る。


 朝日を裂くように進んでいた空飛ぶ船は、葦野国の首都上空でゆっくりと減速し、港に向かって着陸準備に掛かる。


 ――現在時刻、葦野標準時で8時48分。

 着陸予定時間は8時52分――。宮は既に志賀の腕をぎゅっと握り、着陸と同時に教育会場に彼を突っ込むための準備を整えている。


 ――かつて経験したことがない程の嫌な予感が背筋を伝う。せめて肩が外れぬよう無駄な抵抗はせず、掴まれている腕を反対側の手でしっかりと押さえて他の部分の力を抜いた。


 志賀の心だけが、着陸する前から地獄に真っ逆さまに落ちていくようであった。




 ――ここから始まるは復讐を諦めた一人の少年の物語。


 焼け落ちた過去を背に、彼はもう一度、生きる理由を探し始める。




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