第十一話 知ることから始まる
翌日。
模擬戦は中止となり、意識を失った桐谷蓮は医務室に運ばれたあと覚醒者協会によって治療と経過観察の為引き取られた。
その事件をきっかけに――覚醒者協会の会長自らが学校を訪れ、「覚醒」とその危険性についての講義を行うことが決定された。
突発的な暴走、それが引き起こす周囲への被害。そして、スキルが発現するメカニズムすら解明されていない現状。
「知っておくべきだ」「自分自身のためにも、仲間のためにも」
協会の方針として、若年層に対しても正しい理解を促す必要がある――そう判断されたのだ。
講堂の扉が重々しく開かれ、静かな足音とともに一人の男が姿を現した。
灰色がかった黒髪をきちんと整え、落ち着いた佇まいで壇上に上がるその人物こそ、覚醒者協会の会長、三枝成真だった。
生徒たちの視線が一斉に彼に注がれ、ざわつきは次第に静まり返っていく。
「皆さん、こんにちは。
本日は急遽この場をいただき、スキルの発現と、それに伴う危険性についてお話しさせていただきます。
私は覚醒者協会の会長を務めております、三枝成真と申します。」
その声は穏やかでありながらも、確かな説得力を備えていた。
「スキル――それは我々に新たな力をもたらしました。
しかし同時に、これは祝福であると同時に、制御困難な災厄の種でもあるのです。
特に若年層においては、その発現が突発的かつ制御不能な暴走を引き起こし、周囲に甚大な被害をもたらすことがあります。」
壇上の三枝は、一度周囲の様子を見渡した。
「先日、ここにいる皆さんの一人である桐谷蓮という青年が、その危険性を身をもって示しました。
彼の覚醒は、心身の不安定さが引き金となり、突発的な暴走へと繋がりました。
その結果、彼自身も大きな負担を負い、周囲の仲間たちにも深刻な影響を及ぼしました。」
会長は声を落とし、続ける。
「このような事例は決して他人事ではありません。
スキルの発現と制御はまだ解明されておらず、どんな者にも暴走のリスクが潜んでいます。
だからこそ、皆さん一人ひとりが自分自身の体調や精神状態に敏感になり、異変を感じたらすぐに報告しなければなりません。」
講堂の空気は、張り詰めた緊張感に包まれていた。
「暴走は本人のみならず、周囲の人間にも甚大な被害を与えます。
友人や仲間を守るためにも、自らを守るためにも、正しい知識と冷静な判断力を身につけることが何より重要です。」
ノアの隣でひよりが息を飲む。
鳥居副代表が一歩前に出る。
「今後、覚醒現象の増加に備え、この学校では協会との連携を強化する方針です」
「すでに、グレイアード大公国から派遣された騎士団出身の教師がいることもあり、体力や技術面の指導は十分でしょう。 ですから、我々協会は覚醒についての知識培い、メンタルを正常に保つ為の講義を実施したいと考えています」
その言葉に、数人の生徒たちがざわつく。
三枝代表が再びマイクを握る。
「来週より、“覚醒に関する講義”を数回にわたって実施します。希望者のみの参加ですが、基礎から応用まで幅広く取り上げる予定です」
「覚醒者って、誰でもなれるんですか?」
誰かが尋ねると、代表は頷いた。
「適性はありますが、可能性は誰にでもあります。ただし、制御できなければ危険な力にもなり得ます」
生徒たちがざわめく。
「希望者は、各自担任まで」
講話が終わり、生徒たちはざわめきながら体育館を後にしていく。
ノアもその流れに従って出口へ向かっていたが、教員の一人に呼び止められた。
「ノア・グレイアードくん。覚醒者協会の方が、少しお話があるそうだ。職員室前の応接室へ」
応接室のドアを開けると、すでに三枝成真と鳥居直政が待っていた。
「よく来てくれました、ノアくん。久しぶりですね」
柔らかい声で三枝が微笑む。
軽く頭を下げると、鳥居もわずかに頷いた。
「君の学校生活について、少し話を聞かせてもらえますか? 問題はありませんか?」
「はい。皆さんとても親切で、困ったことは特に……。最近は“友達”も、できてきました」
僕の言葉に、三枝が少し目を細めた。
「それは何よりです。実のところ、私たちも少し心配していたんですよ。日本の学校生活は、君にとって初めての体験ばかりでしょうから」
「ええ……何もかも新しくて。けれど、その分、学ぶことも多くて……毎日が、とても新鮮です」
少し間をおいて、三枝が話を本題に戻した。
「今日の講話でも話しましたが、我々は来週から“覚醒に関する講義”を実施します」
「はい、聞いていました」
「……ノアくん。君には“スキル”の発現はありませんね?」
僕は一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐに真っ直ぐ頷いた。
「はい。……僕には、何のスキルもありません」
「これは憶測ですが、君や君の騎士たちそして大公閣下。 異世界からきた皆さんにはおそらくスキルは発現しないでしょう。 その代わり我々には使えない魔法が使えるはずです」
「兄上ほどではありませんが、少しだけなら」
「スキルを持てない。 ノアくんは覚醒者にはなれないかもしれませんが、是非講義に参加して欲しいのです。 もちろん後ろのお二人にも。 三人には直接的には関係の無い話にはなるかもしれませんが、この世界を知る良いきっかけになると思うのです」
協会の二人は「講義で会える事を楽しみにしています」と言って帰って行った。
「ノア様どうなさるのですか」
「せっかくだから受けようと思ってるよ」
リディアが同意する。
「私も賛成です。 知って損するものでもありませんから」
放課後
「あっ、ノアくん! 今日、放課後どうするの?」
ひよりが手を振りながら駆け寄ってくる。後ろには他のクラスメイトも数人。
「……特に予定はないよ」
ノアが答えると、ひよりはにっこりと笑った。
「じゃあ、一緒に帰らない? ちょっとだけ、話したいことがあって」
「うん、いいよ」
後ろにいた数人のクラスメイトも、にこやかに手を振った。
「俺たちも一緒でもいい?」
「ちょうど帰り道同じだしなー!」
ノアは少し驚いたように目を見開いたが、すぐに柔らかく頷く。
「もちろん」
自然とできた小さな輪の中にノアが加わるように、ぞろぞろと校門へ向かって歩き出す。
夕方の空はオレンジ色に染まり、蝉の声が遠くで響いていた。
途中、公園の近くまで来たところで、ひよりが立ち止まり、ノアの袖をそっと引いた。
「ねえ、ちょっとだけ、二人で話してもいい?」
「あ、ずるーい! 何何? 告白?!」
他のクラスメイトが茶化すように言い、ひよりが真っ赤になって手を振る。
「ち、ちがうからっ! そういうんじゃなくて!」
笑い声がこだましながらも、空気はあたたかい。
やがて、ノアとひよりだけが少し離れて、公園の木陰に立った。
「……改めて、ありがとう。模擬戦の時、助けてくれて」
ノアは少し首をかしげる。
「僕は何も……ただ、動いたのは、自然なことだった」
「それでも、あの時、ノアくんが声をかけてくれなかったら、私……怖くて、動けなかったと思う。あのまま桐谷くんが暴走してたら、どうなってたか……」
ひよりの声が少し震えていた。
「君も、怖かっただろうに」
「……うん。すごく怖かった。でも、ノアくんがいたから、踏ん張れたんだと思う」
ノアはその言葉を静かに受け止め、小さく微笑んだ。
「……ありがとう。そう言ってもらえると、僕も嬉しいよ」
しばらく風の音だけが、二人の間を通り抜ける。
「……あの時、すぐに動いたのって、騎士の訓練とかしてたから?」
「うん。小さい頃から、ずっと……戦い方とか、守り方とか。たくさん教えられたから、体が勝手に動くようになってて」
ひよりは感心したようにうなずいた。
「すごいなぁ……なんだか、本物のおとぎ話の騎士様みたいだね」
「……それはちょっと照れるかも」
公園のベンチでは、リディアが一人で水を飲んでいた。陽の傾きとともに、剣の影が長く伸びている。
その静かな空間に、軽やかな足音が近づいてきた。
「ねえ、リディアさん!」
声をかけてきたのは、クラスの女子・佐伯まゆだった。明るく気さくで、人との距離を縮めるのがうまいタイプの子だ。
リディアはちらりと顔を上げる。
「……何か用?」
相変わらずのそっけなさ。だが、まゆは臆することなく笑顔を向けた。
「昨日の模擬戦、見てたんだけど……すっごかった!
あんな動き、うちの学校でできる人いないよ!」
「当然よ。私は騎士として訓練を受けてるもの」
さらりと言い放つリディア。自慢ではない、事実として言っているだけなのが伝わってくる。
「うんうん、そうだよねー!
あの剣の振り方とか、ガードの姿勢とか、なんかこう……“型”が決まってるって感じで、めちゃくちゃかっこよかったもん!」
まゆのテンションの高さに、少し困惑したようにリディアが目を逸らす。
「……褒められても、何も出ないわよ」
「えー? 出なくてもいいよ!
あっ、でも、よかったら今度ちょっとだけ剣の構えとか教えてほしいなーって」
「……教えても、あなたには無理よ。あれはそう簡単に真似できるものじゃない」
ピシャリと言い切りながらも、完全には突き放していない。
まゆはそれを察して、口元を緩めた。
「じゃあさ、最初の構えだけでもいいから! ノアくんの隣にいたときの、あれ! あれだけでもマスターしたいな~って!」
リディアはしばらくまゆを見つめていたが、やがてため息交じりに呟いた。
「……少しだけなら。次、時間があれば」
「ほんと!? やったー!」
まゆが嬉しそうに笑うのを、リディアは微妙な表情で見つめる。
ただ、それは嫌悪ではなく、「どうしてこんなにも懐かれるのか理解できない」といった戸惑いに近かった。
そんな様子を遠くから見ていたノアは、思わず小さく微笑んだ。
「リディアも、なんだかんだで人気者だね」
「……自覚はないけれど。人と馴れ合うのは、得意じゃないわ」
「それでも、ちゃんと応じてるよ。君なりに」
リディアは一瞬だけ目を見開くが、すぐに小さく口を引き結ぶ。
「なあアーク! リディアさんとの勝負凄かったな」
「あれマジやばかった! 負けちゃったけどよ、なあ俺にも剣術教えてくれよ!」
声をかけられたアークは、一瞬だけ驚いたように目を瞬かせたが、すぐに柔らかく笑って返した。
「まずは基礎体力をつけないと、二人とも訓練中息切れし過ぎだね」
アークの言葉に、声をかけた男子生徒たちは「うっ……」と気まずそうに顔を見合わせる。
「た、確かに……! 全力で走ったあと、剣振るのムリだったわ……」
「俺なんか開始三分で膝ガクガクになったからな……」
「剣術って力任せに見えるけど、実は身体の使い方と持久力が大事なんだ」
そう言ってアークは、地面に右足を引き、軽く構えるような動きを見せる。
「姿勢も崩れるとバランスが取れなくなるし、何より反応が遅れる。まずは体幹を鍛えるといいよ。腹筋とかスクワットとか、地味だけど効果あるから」
「マジかよ……道のり遠ぇな……」
「でも、やってみる価値はあるよな。ちょっとずつでも、強くなれたらいいし」
「それに、アークが言うなら信用できるしな。……よっしゃ、明日から腹筋やるわ!」
「その気合い、三日坊主で終わんなきゃいいけどな」
「うるせぇ、言ったなコラ!」
わいわいと賑やかな雰囲気に、アークは思わず笑みをこぼす。
「焦らなくていい。少しずつでいいから、続けることが大事なんだ。……それが、強くなる一番の近道だから」
静かに、けれど確かに響くその言葉に、生徒たちはうなずいた。
「よっしゃ、じゃあ今日から俺たち“アーク塾”な!」
笑い声が公園に広がっていく。
いつの間にか、空は朱に染まり、蝉の声が遠くで鳴いていた。
リディアがベンチの影からそっとその様子を見ている。
その瞳に、どこか安心したような色が浮かんでいた。
そして、少し遅れてノアとひよりが戻ってくる。
「……楽しそうだね」
ノアの声に、アークは振り返り、軽く肩をすくめた。
「剣術を教えて欲しいと頼まれまして、助言をしていました」
「うん。きっと、アークなら教えられると思うよ」
ノアの言葉に、アークはふっと優しく微笑んだ。
夏の夕暮れの中。
新たな日常と、小さな絆が、確かにそこに芽生えつつあった。
早速次の水曜日の更新が危ういです。