第十話 覚醒の形
10話 覚醒の影
「……速い」
ノアの口から、無意識に声が漏れた。
リディアの剣は正確で、無駄がない。アークの動きは大胆で、読みづらい。
ふたりの戦いは、まるで“舞い”のようだった。だがその美しさの奥には、一手ごとに命のやりとりを思わせる鋭さがあった。
木剣が打ち合うたびに重い音が空気を震わせ、見学していた生徒たちの肩がびくりと跳ねる。
リディアのチームメンバーも、アークのチームメンバーも二人の戦いには入る事が出来ず、ただ立ち尽くし見ているだけだった。
ひよりも裕也も、言葉を失っていた。
ノアは、ただ見つめていた。
(届かない)
胸の奥に、そんな思いが浮かんだ。さっきまで自分たちがやっていた模擬戦。勝った。うれしかった。少しだけ自信もついた――はずだった。
けれど今、目の前で繰り広げられている戦いは、まるで違う次元のものだった。
リディアが風のように斬り込み、アークが雷のように反応する。
流れるような攻防。一瞬の緩みもないまま、攻めと守りが何度も入れ替わる。
両者の集中は一切途切れず、その場の空気すら支配していた。
(……あそこに立ちたい)
心がざわついた。羨望でも、嫉妬でもない。ただ、どうしようもなく心が惹かれていた。
あの場所で、彼らと同じ速さで、同じ景色を見たい――
そう強く願う自分がいることに、ノアは気づいていた。
「ノアくん……?」
隣でひよりが、小さな声で呼びかける。けれどノアは、その声にすぐには応えなかった。木剣を握る手に、わずかに力がこもっていた。
目の前の世界は、遠い。
けれど――だからこそ、目を逸らせなかった。
木剣と木剣が、激しくぶつかる。一瞬、互いの体が大きく跳ねる。
そして――次の瞬間。
アークの足が、わずかに遅れた。
「っ……!」
砂煙の中、リディアが踏み込んだ。
アークが体勢を戻すより、ほんのわずかに速く。
ドンッ!
鋭い突きが、アークの胴に突き刺さる。木剣の先が、彼の胴当てにくぐもった音を立てて打ち込まれた。
一瞬の沈黙。そして、マーカス教官の叫びが響く。
「――勝者、リディア・ファーレンロート!」
その言葉と同時に、観客席がどよめいた。
リディアの金髪が、勝利の余韻と共にさらりと揺れる。
対するアークは白い髪を乱しながらも、静かに木剣を下ろしていた。
「……リディアさんが……勝った?」
裕也がぽつりとつぶやく。ひよりは目を見開いたまま、頷くことさえ忘れていた。
剣を引いたリディアが、すっと姿勢を正す。
その額にはうっすらと汗が滲んでいたが、息は乱れていなかった。
一方、アークもまた、疲れた様子は見せていなかった。
むしろ、口元に小さな笑みを浮かべている。
静かに、ふたりが木剣を納め、中央で向かい合う。
「……見事だったよ、リディア」
アークが、少し肩をすくめて言った。その銀白の髪が、午後の陽射しを受けてきらりと光る。
「ありがとう。でも、私が勝てたのは……偶然よ。あなたが、ほんの少し足を滑らせただけ」
リディアがそう返すと、アークは小さく笑った。
「その一瞬を逃さないのが、強さだ。油断した僕の負けだよ」
「……でも、またやりましょう。次は、もっと互いに本気で」
「当然だ。そのときは、今日の借りを返させてもらう」
ふたりの視線が交差する。穏やかな、けれど火花のような眼差し。
ふたりの間に、確かな敬意と、剣士としての絆が生まれていた。
その光景を、ノアは静かに見つめていた。
自分も、いつか――あの中に立てる日が来るのだろうかと、胸の奥で問いながら。
「……すごかったね、さっきの戦い」
試合後、ざわめくグラウンドの片隅で、ひよりが小さくつぶやいた。
「ああ……別世界だったな、マジで」
裕也もまだ呆然とした様子で、ぼそっと返す。二人とも木剣を持ったまま、今見た光景の余韻から抜け出せずにいた。
ノアもまた、黙ったまま立っていた。
(本当に……すごかった)
心の中で何度も反芻する。風のように舞い、雷のように打ち合った剣。集中の糸を一瞬たりとも切らさなかったふたり――アーク・クローヴァンとリディア・ファーレンロート。
(自分も、あそこに立ちたい)
その思いは、先ほどよりもずっと鮮明で、ずっと強いものになっていた。
「よう、準備はいいか?」
声をかけてきたのは桐谷だった。
ノアたちが振り向くと、桐谷チームの三人がこちらに歩いてきていた。その中で、桐谷の目だけがどこか、異様に鋭くなっていた。
「……桐谷くんもさっきの戦い、見てたよね?」
ひよりが訊くと、桐谷は短くうなずいた。
「……ああ。やっぱ、すげぇよ、あのふたりは」
その声には、悔しさと焦りがにじんでいた。桐谷も、戦士としての何かを刺激されたのだ。模擬戦であることを忘れてしまうほどに。
「でも――だからこそ負けられない。勝って、俺たちだって証明するんだよ」
その目は熱を帯びていた。ノアは、そこに一抹の危うさを感じ取った。
「それじゃあ、両チーム――位置について!」
マーカス教官の号令が響く。
ノアたちは再び木剣を構え、円形のフィールドに足を踏み入れる。
目の前には、桐谷、柏原、坂口の三人が並んでいた。
(さっきとは違う。これは、僕たちの戦いだ)
そう思った瞬間、ノアの中の迷いはすっと消えていった。
「始めっ!」
マーカス教官の号令と同時に、地面を蹴る音が重なった。
最初に動いたのは桐谷だった。真正面から、木剣を構えて突っ込んでくる。
「裕也くん、右! ひよりさん、左に!」
ノアが即座に指示を飛ばす。三人はスムーズに横へ展開し、桐谷チームの布陣を引き伸ばそうとする。
桐谷は真正面から裕也へ突っ込んでいった。
「うわっ……!」
咄嗟に受け止めた裕也の木剣が弾かれる。だがその隙を狙って、ノアが左から桐谷へ斬りかかる――はずだった。
「っ……!」
重い。
桐谷の剣は、さっきまでの模擬戦のそれとは明らかに違っていた。動きに迷いがなく、木剣の一撃ひとつひとつが鋭さを増していく。
「桐谷くん、落ち着いて……!」
ひよりの声も届かない。
桐谷の動きはどんどん激しくなっていく。正確さを失うほどに、力と速さだけが上がっていく。まるで何かに突き動かされるように、あるいは憑かれたように――
桐谷の剣が、次の瞬間――軋んだ。
「っ……なに、これ……?」
ノアが後退しながら息を呑んだ。
木剣の一撃が空気を裂く。重さが違う。音も、風も、桐谷から放たれる“気配”そのものが、さっきまでと違っていた。
「桐谷、落ち着け! 模擬戦だぞ!」
坂口が叫んだ。けれど桐谷は答えない。顔をしかめ、額を押さえるように木剣を振るう。
「くそ……頭が……うるせぇ……!」
桐谷の瞳が異様に紅く光り、額からは微かな蒸気のようなものが立ち上っていた。
意識がどこか遠くへ飛び、制御を失っていることが明らかだった。
突然、桐谷の木剣が暴走的に振り下ろされた。狙いは――ひより。
「ひよりっ!」
ノアは咄嗟に反応し、ひよりの前に覆い被さるように身を投げ出した。
木剣がノアの肩をかすめ、痛みが走る。
「やめろ、桐谷!」
だが桐谷は声にならない呻きと共に、己の意思を奪われたまま攻撃を続けた。その動きはまるで、理性を捨てた獣のように凶暴で危険だった。
その時、観客席の隅で声が上がった。
「……もしかして、あれ、覚醒してるんじゃない?」
誰かのつぶやきが波紋のように広がり、ざわめきが大きくなる。
アークがすっと桐谷の前に立ち、振り下ろされた木剣を受け流した。
「桐谷、正気を取り戻せ!」
アークの声は冷静で、だが強い意志に満ちていた。桐谷の身体が震え、目の光が揺らぐ。
「……くっ……!」
だがまだ、完全には覚醒の暴走から抜け出せていない。ノアはひよりの方に身を寄せ、傷の有無を確認した。
桐谷の身体が大きく震え、やがてその動きが急激に鈍った。
木剣が重く床に落ち、彼はそのまま膝から崩れ落ちて意識を失った。
アークが冷静に状況を見極めながら、桐谷の近くに立った。
観客席からはざわめきが広がり、教官たちが駆け寄ってくる。
「よし、これ以上は危険だ。模擬戦は中止する!」
マーカス教官の声が響いた。
「桐谷は意識を失った。無理に続けるのは怪我を増やすだけだ」
グラウンドに静寂が訪れる。
ノアはひよりの手を握り、集まっていた生徒たちは沈黙したまま見守っていた。
「ひよりさん、大丈夫だった?」
「うん……ノアくんが庇ってくれたから……でも、ノアくんの肩……!」
ひよりの視線がノアの制服に滲む血へと向かう。かすっただけとはいえ、深く切れていたらどうなっていたかわからなかった。
「平気だよ。ちょっと切れただけ。……それより、桐谷くん……」
ノアの声は自然と弱まった。
さっきの剣。暴力的で、恐ろしいほどの力。彼の中で“何か”が爆発していた。それがスキルの暴走なのか、覚醒の発現なのか――まだ判断できなかった。
裕也がそっと近づいてきた。
「……あれ、本当に桐谷だったのかなって、思っちまうくらい……」
「……うん。何かに取り憑かれてるみたいだった」
三人の言葉はどれも、気持ちの整理がつかないまま、ただ感情の形を探るようなものだった。
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