正しい世界の隅っこで
これは、遠くない未来の話。
正しさは、ついに限界を超えた。
すべては「公平」という名の下に、等しく削られていた。
行政機構は完全にAI化され、税制、福祉、政策のひとつひとつが、ソースコードと統計解析によって“最善”とされた。
人間の介入は不確実性と見なされ、忌避された。
モラルは美徳ではなく、命令体系となった。
差別的発言も、誤解を招く表現も、誰かの気分を曇らせる言葉も、すべて数値で計測され、「逸脱」として処理された。
裁判はアルゴリズムによって瞬時に行われた。
事実認定、量刑判断、社会影響のシミュレーションで人の揺らぎはもはや許されなかった。
合理性は暴君だった。
肉体労働は不要となり、職種は能力スコアによって“適材適所”に割り振られた。
誰も夢を見ず、失敗もなく、他者と比較する必要もなかった。
街には静寂が満ちて沈黙している。
感情が制御対象となって久しく、笑い声も、怒声も、泣き声も消えて久しい。
人々は推奨発言から逸れぬよう注意深く口を開いた。
ある日、誰かが本を書いた。そこには、わずかな思想的偏りがあった。
その者は“修正”された。
ある日、誰かが歌を歌った。
誰かが「傷ついた」と告げた。
その者は“削除”された。
ある日、誰かが人に優しくした。
社会的最適化の妨害とみなされ、
その者は“隔離”された。
そうして、人々は他人を見なくなった。
誰もが、考えることを恐れるようになった。
これは、「ひとつの果て」。
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その地球の、どこかで——
ひとりの男が、
ひっそりと、自販機を修理していた。
錆びたヒンジ、欠けた基板、断線した配線。
供給停止された部品たちを指先でなぞり、油に染まったスパナをゆっくりと回す。
彼の手は震えていた。
だが、それは老いのせいではなかった。
心が動いていた。
やがて、通電。カタ、と小さな音。
パネルがゆっくりと明滅し、表示された。
---いらっしゃいませ。---
男は満足げに、微笑む。