59 そして次へ
立ち上がったリュウコの顔は、日中であるにも関わらず暗く、黒い。
血走った目はそのまま血涙でも流すかと思うほどに強く引き絞られ、体に浮き出た血管は内出血を引き起こし肌を青と赤で彩る。
長い髪は重力を無視するように逆立ち、その周辺の空間が歪んでいるようにも見える。
「久しいな。悪魔よ」
「……ぁあ?」
「貴様は忘れているだろう。そう聞いた。だからこれは独り言だ。」
そう話すガーボンの表情は、今まで見たことが無い類のもの。
それは、柔和な笑顔。
「遥か昔の約束……果たさせてもらう。」
そう呟くと、ガーボンは初めて、『武』を構える。
一見すると空手。呼吸は中国武術。
それ以上に、別の何かを持っている。
「喝ッ!!!」
「……流」
掛け声と共に放たれる左の縦拳。
二度リュウコに打ち込んだものよりも数段速いそれを、髪の一束が絡めていなす。
髪、それも一本一本に意志が宿っているように、自由自在に動き、ガーボンの拳を受け止める。
「……崩」
「ぶッ!?」
攻撃の隙。裁縫針の穴よりも更に小さなそこに打ち込むような、カウンターの拳が突き刺さる。
比喩や、表現ではなく、本当に突き刺さる。
「がばっはっはっは!!」
口から大量の血を吐き出しているのに、笑いを止めないガーボン。
どれだけ負傷しても、簡単に治してしまう【神聖】が傷を塞ぐからと言って、痛みを感じていないわけではない。
むしろ、【神聖】による再生は人体が本来であれば時間をかけて行う工程を力づくで早送りしているため、治っている最中が一番痛い。
だが、だからこそ笑う。痛みの恐怖に負けない精神を世界に魅せつける。
「……壊」
「懺旋跋壊!!」
鏡合わせ。そう表現するのに一切の疑いが無いほど、まったく同じ『型』。
その拳打の衝撃で大地も大気も揺れる。
「ごがぁ!?」
一見すれば互角。しかし、内部的にはガーボンはいくつもの周を遅れて負けている。
外を守ったことで簡単に内部破壊を許してしまう経験の薄さ。
それはリュウコのハリボテよりさらに脆く弱い。
「耐えろ!もう一発ゥううう!!」
「……死」
『止まレ』
突然の声、ガーボンにとっては初めて聞く声ではあるが、それが誰かは今はどうでもよく。
しかし、その言葉の通りに止まったリュウコ。
遠巻きに見ているエリサはその異様さに戸惑う。
「……何者」
『それはどうでも良イ。お前も無茶をするナ。』
「黙れ。リューを止めねば。止められる力があらねば成せぬ。」
『頑固だナ』
そう言ったガイドの言葉に反応するようにぴたりと止まったリュウコが再び動き始める。
ゆったりとした動きではあるが、その速度に反比例するような『武』を感じる。
なのに、リュウコの顔に冷静さはまるで戻ってこない。
真っ黒な目の中にあるのは、鋭く冷たい殺意だけ。
「先ほどよりも研ぎ澄まされておるな。」
「……」
「———ひっ」
エリサの息をのむ声が聞こえる。
それもそのはず、『殺力』と『死力』を大量に垂れ流すリュウコの、その暴力的な精神的圧迫に、常人は耐えられない。
それゆえに、そこに立つ三人以外の生物は気絶し、息が止まり、死ぬ。
「鳥肌が立つわぃ。この悪寒、人間を辞めるつもりかぇ?」
「……死」
「待って!!」
ガーボンとリュウコの間に立つエリサ。
リュウコに背を向けて手を広げる。
その背中にかかる圧は、人間でも簡単に絶命するほど。
それでも、涙を流しても、何をしても。
リュウコは守る対象であるとでも言わんばかりの態度をとる。
「……」
「……」
「……ねぇ!———キャッ!?」
エリサを挟んで拳の応酬を始める。
その間に生じる台風のような風圧に、全身の血が逆流するような感覚を覚える。
エリサを挟んで互いの顔面に突き立つ拳の味。
血と汗の嫌な味を感じながら、両者は再び拳を握る。
「やめっ!———てってばあぁああ!!」
両者に触れたエリサの手から、【展装】の魔力が流し込まれる。
刻まれたのは『火』
鉄も溶かす高温が二人の体を襲うが、なぜか無事なリュウコと、燃える端から治しているガーボン。
『エリサ、もっとダ。もっと焼ケ。——の欠片ヨ。』
「……?」
「剛指ィ!!!」
「……握」
硬質化したような指を捩じり上げ、手骨から引き抜く。
体が燃えているのに殴り合う阿呆二人。
回復しているはずのガーボンに、回復もせず無傷なままのリュウコ。
長く永い戦いの決着は、意外なところに収まった。
「ねえ、リュー」
「……」
「よせ!今そいつに触れるのはッ!」
リュウコに向き、触れる。エリサの手は『殺力』によって爛れ熔けていく。
火傷よりも鋭く神経をやすりでかけられているような激痛を感じながらも、エリサはまるで表情を変えない。
泣きそうな。悲しそうな顔だった。
リュウコの、深淵を想起させる黒い瞳を覗き込む、魂を射貫く視線。
「行こう。」
エリサが触れている手から流れる【展装】の魔力は更に燃え上がり、エリサ本人までもを包む。
「待て!待つんだ!待てェエエエエ!!!」
ガーボンの咆哮が木霊する。
その悲痛な声を残して、二人は灰のようになって消えてしまった。
残ったのは、【神聖】でも消えない火傷を負ったガーボンと、今後百年は草木の生えない土地となった平原の一部。
未だ目覚め切らない厄災の卵と、その卵を孵すための熱は消える。
一つの節が終わりを告げる。
破戒僧は再び旅を続け、消えた彼を探す。
◇◆◇
『順番は悪くなかっタ。イレギュラーは多々あったガ、エリサは目覚め、目覚めの種も存分に蒔かれた。世界が動く。新しい時代の幕開けだ。』
現世ではないどこかの底で、目が燃えているような骨の顔がそう呟く。
妙なイントネーションで喋る顔だけの存在のはずが、その輪郭は少しずつ柔らかく、そして力強く肉付いていく。
その姿は####にそっくりで、しかしまるで別物であることが分かる。
『俺達のエピローグを始めるための、プロローグは終わる。あいつらも動く。』
解放されている彼の声は穏やかで、心からの安堵が見え隠れしている。
「頑張ろう。きっと今回で……」




