30 形質の変化
名前は何と名乗ったのか分からないが、自分を悪魔と名乗ったその影は、リュウコの反応を待っているようだった。
対するリュウコも、その名乗りを聞いて強い既視感に襲われる。
「名前、なんて?」
「名前なんてどうでも良いだろ。おら、構えろよ。」
そういった真っ黒な男、悪魔は、筋肉でまとまったような腕を振って誘う。
かかってこいと言わんばかりの仕草に、かろうじて立ち上がったリュウコは、魔力を練りつつ相手の出方を―――
「出方を見るなんてできるわけねェだろ。」
「———ぐぅるおぉおお!!?」
瞬きの刹那、その一瞬を切り取るように、リュウコの懐に入り込んだ悪魔は、リュウコの腹を足の平で蹴り上げる。
関節なんてまるで感じさせないような、綺麗な一本の蹴り上げで、数十メートル吹っ飛んだリュウコ。
蹴った悪魔が黒い点にしか見えないほどの高さにあげられたリュウコは、数舜遅れて腹部の痛みに悶える。
「おいおい、空中だからって呑気にしてんじゃねェよ。落ちるまでは休憩時間ってわけにはいかねェっての」
「は――――ぶっぉおおおおお!!?」
跳び上がり、未だ降下どころか上昇の勢い収まらないリュウコの背中に、人ひとり分の重さが加わる。
振り返るまでもなく、蹴り上げたリュウコの背に飛び乗っているであろう悪魔が、そう悪態をついて見せる。
疑問と驚愕、その二つの感情を表に出すよりも早く、背骨を叩き折るような速度と威力で蹴り落とされ、重力と相まって上昇よりも速く蹴り落とされた。
『MEEEEEEEYYYYY!!!!!』
地面に叩きつけられたと同時に、遠くから苦悶を訴える羊の声が聞こえるが、それに構っているほどリュウコは頑丈にできていない。
背面からの蹴りで肋骨と背骨が大損壊。最初の蹴りと地面に激突した衝撃で内臓もいくつか破裂しているのを感じ、魔力でどうにか取り繕おうと集中する。
「おいおいおいおい、俺を相手に寝転がったまんまなんて、余裕だなオイ。楽しいなオイ。俺なんて相手にならないってかァ、オイ?」
音も無くリュウコの前方に降り立った悪魔はそう見下ろしながら、殺気を纏った言葉を投げかけてくる。
それだけで、全身から出てくる冷や汗の質が何段階も変わってくる。
「チッ、しゃあねぇから治療の間だけは待っててやるよ。」
「あ、ありが―――」
「馬鹿かてめぇ、敵の言うこと信じるんじゃねぇよ馬鹿おい馬鹿。」
殺気を沈め、優しそうな雰囲気を出す悪魔に騙され、感謝の言葉を述べようとしたリュウコの口は、容赦のない蹴りに閉ざされる。
顎が三つ、四つに割れてしまうほどの蹴り砕きで、リュウコの下の歯は全損状態。舌を巻き込んでの大破壊で、顔面崩壊も甚だしい状態にまでなってしまった。
「が、あががっ」
「大変だなぁオイ。死ぬか?そろそろ死んでも悪くねェと思うぜ。俺はなんでもいいが、お前はどうだ?」
「がはっ、はぎゃ」
「そうかそうか死にたいか。俺は良いぜ、そうしたいならな。」
顎を抑えながらどうにか両の足で立つリュウコは、戦意を失うことの無い鋭い目で悪魔を睨む。
「いいね、いいぜ。悪くない目だ。だから潰そうか。」
「ぎぃぃいああああ!!」
またしても瞬間的に移動してきた悪魔によって、両目を潰されたリュウコは、何も見えない暗闇の中で、悪魔の出方を見る。
そんな余裕もないまま、失明の喪失感と眼球という内臓がつぶれた痛みに悶え、両足で立つのがやっとな状態。
そんな隙だらけの獲物を、見逃す獣はいない。
「ほい、ほい、ほ―――」
鼻を削られ、耳を潰される。肌の感覚も、体の痛みで機能していない。
およそ全ての知覚機能を潰されたリュウコは、暗闇と静寂の中で震えるしかない。
死。その一文字だけが頭を支配する。
(まずい、まずい。どうすれば、そもそもこれはなんだ?)
(なんでもいいが、心の中にも入れるもんだぜ。)
(は―――)
思考を遮るように、リュウコの腹部に強い衝撃が―――
「チッ、ダメだな。コイツに期待するのは辞めとけ」
『うるせェヨ。お前もっと教えるの上手かっただロ。』
「しかたねェだろ。相手はなんてったって」
『いいかラ、続きダ』
「はぁん?」
怪訝そうに悪魔が見た先、そこには、顔がほとんど無くなったにも関わらず、当然のように直立しているリュウコの姿があった。
「へぇ、確かに悪くないな」
「あぇああえぇいぅ」
「げひっ、いひひひっ、ははははは!!!!見ろよこいつ、げはっはあはあはははははは!!!!」
階層全体に響き渡るほどの大きな声で、げらげらと笑う悪魔。
大きな牙を見せつけるように、大きな口で笑う。その姿はまさに悪魔そのもの。
しかし、そんな姿は文字通り見えないようで、リュウコは何かを呟き続ける。
「あえいぃえあえあこんな具合か?』
「ああ、そんな具合だ。」
口元で歯と顎の形に魔力を整形。
そのままの要領で耳も鼻も整形し、形だけでなくある程度の感覚器官としても整形しなおす。
細胞一つ一つ、生体機能の再生という神業を成す。
死に際というのが、一番覚醒を促す最高の環境。
『ラウンド2だ』
「ラウンド2~?100までカウントさせてやる。覚悟しとけ。」
◇◆◇
ラウンド5
魔力で人体を形成し、最低限のサンドバッグとして機能するようになったリュウコでも、悪魔に対して反撃するというのは至難の業のようで、
『んぅずおおおおおお!!?』
「はっははははは!!!」
地面をスケートボードよりも滑らかに走るのは、ボード替わりにされているリュウコで、楽しそうにそれを乗り回しているのが悪魔。
地面がふわふわな羊毛だからこそ、摩擦の熱と皮膚の摩耗が激しいという地獄の拷問。
「おっしゃああああ!!!」
『んがががっがががが!!!』
なんらかのゴールテープを切り、リュウコの頭を地面にめり込ませてブレーキを掛ける悪魔。
頭蓋骨は粉砕されても、その端から魔力で整形してギリギリ意識を飛ばさずに済んではいるが、それも根気の問題となりつつある。
「で、反撃はまだかぁ?」
『ぎゃぃいいいい!!!』
無詠唱、というよりも詠唱する暇すらない【無】属性魔法で、背中から足を離さない悪魔との間に空きを創ろうと模索するも、悪魔はそれを容易く阻止してしまう。
どんな技術なのか、想像もつかないような魔法で、魔力の層が掻き消えて霧散する。
「もっとだ。もっと先にあるモノを掴め!」
『じぃいいああああ!!!————んぐぉおおおおお!!?』
「うるせぇって、声よりも気合出せ。」
絶叫を叩き潰され、その場に頭をめり込まされる。
遠くから別の絶叫も聞こえてくるのだが、それでも後頭部の足は止まらない。
『ぃいいいい!!』
「よし、無頼の力法を会得したな。次だ。」
自分の周囲に出現した魔力の玉。
そこから射出される無数の『魔力砲』と、そこからネズミ算式に拡大され続ける照射。
それをノールックで回避しながら、ステップを進める。
頭から足は離さずに、そのままの姿勢で
「次はそうだな。魔力以外の力を使って見せろ」




