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恋手紙  作者: 奏凪
7/9

最期


 栞との別れはあっという間にやってきた。


 彼女にニット帽を渡した日から数か月後、俺たちが出会った春が来る前に、成人を迎えてまだ一年も経たないうちに、彼女は皆に見守られながら静かに息を引き取った。


 ――泣いた。俺も彼女の家族も、彼女を知っている人たちも、全員が栞に二度と会えないことに涙を流した。死ぬ直前まで、彼女は死にたくないと言わず、その運命を受け入れて、病気と闘い、人生に終わりを告げた。


 最期を迎える時、俺と彼女だけだった病室に、彼女は俺に囁くような小さな声で言った。


「もう、わたし、無理みたい」


 その言葉が合図だったかのように、ピッピッピッと正常な音を鳴らしてた機械が、不意に不規則な音に変わり、彼女の身体が徐々に冷たくなっていく。俺は覚悟を少なからずしていたものの、まだ先だと思っていたために突然のことで頭はパニックに陥った。冷静さを失った中で、取り敢えずナースコール! と思い急いで押して、医師や看護師、彼女の家族が来るまで彼女にまだ逝くなと訴え続けることしか出来なかった。


「栞、まだ逝くなよ! まだ置いていくなよ! また公園へ行こうよ。だから、」


 その先の言葉を言う前に、彼女によって遮られた。柔らかい感触が俺の口に余韻を残して。


「初めて私からキスしたね」


 寝ていた体勢を無理矢理起こして、彼女は俺にキスをした。ふふっと微かに笑んで、もう一度、優しく俺を覚えていようとするかのように唇を合わせて名残惜しそうに離れていった。


「……ああ……確かに、そうだな」


 キスをするときはいつも俺からで、しかも最後にしたときから随分と時間が経っている。


「……わたしね、幸せだったよ」


 呟くように彼女は言葉を漏らして、俺が大好きな笑顔を向ける。でも、どこか消えてしまいそうな儚い笑み。


「ねぇ、直哉。さいごの言葉、聞いてくれる?」


 バタバタと彼女の病室前が煩くなり始め、医師たちが次々と駆け込んでくる。それを一瞥した彼女は、


「ごめんなさい、わたし直哉とまだ話がしたいの。わがままだって分かってるけど、もう少しだけ二人きりにさせてください」


 そう言って周りに頭を下げた。当然のことながら、俺も医師も困惑した。いつも彼女をみてくれていた看護師は、静かに彼女の名を呼んで、医師の指示を待っている。俺は、彼女をまだ失いたくない一心で先生に診てもらおうと言うが、それでも意思を曲げない彼女に折れたのは、彼女のお母さんだった。


「……分かったわ。でも、約束してちょうだい。直哉君と話が終わった後に私たちとも話せないなんて親不孝なことしないでちょうだいね」

「そんなこと、しないよ。お母さんたちとも話がしたいもの」

「本当ね? 先生、私からもお願いします。親として娘の最後のお願いを叶えてあげたいから、少し時間をいただけませんか」


 栞の意思を確認し、再度、私たちとも話をしてね、ともう一度彼女に念を押してから、彼女のお母さんは未だに困惑している医師を促し看護師に目配せをして病室の外に出ていった。


「栞、良かったのか?」


 まだ今なら彼女は助かるかもしれない。医師たちの力で、まだ彼女は生きられるかもしれない。そんなことを考えていた俺の心を、彼女は読み取ったようで。


「わたしのことは自分が一番分かっているの。もうね、先生たちもどうすることが出来ないわ。だからせめて、わたしの意識がはっきりしているうちに直哉と話して、伝えておきたいことがあるの」


 ああ、なんて情けない彼氏だろうか。俺は栞の気持ちに気付くことができなかった。彼女は、俺を選んだ。親よりも最期の時に時間を使いたいと思う相手は、他でもない恋人の俺だと。それくらい大切に想ってくれていた。それが、とても嬉しくて。俺も彼女の言葉に耳を傾ける。


「直哉、私と出会って一途に愛してくれて大切にしてくれてありがとう。そして、ごめんなさい。手料理を振舞ったり、デートしたりそんな彼女らしいこと一切出来なくて。それでも、私は幸せな毎日だった。諦めることが多い人生の中で、直哉といた時間だけはずっと笑っていられた。……出来ることなら、本当はね直哉と結婚したかったな」


 それは俺も同じ気持ちだった。栞は彼女らしいこと出来ないことに謝っていたけど、そんなことはない。俺の隣で笑っていてくれるだけで、俺は幸せだった。その幸せの為に、大学に入ってからバイトのシフトをたくさん入れて密かに結婚準備をしていた。彼女に悟られないように。


「……俺もだよ」


 彼女の言葉に色々言いたいことがあったけれど、上手く言える気がしなくて結局その一言しか言えなかった。もっと気の利いたことは言えないのかと、自分の無力さに嫌悪する。それでも、彼女は笑う。


「同じ気持ちで良かった」


 それから彼女は、話を聞いてくれてありがとうと微笑んで、病室の外にいた医師たちを入れてと促した。そして、彼女は中に入ってきた彼女の家族と数回感謝の言葉を交わし、また俺を傍に呼ぶ。彼女の近くに行けば、もう時間がないのか耳を貸してと苦しげな表情で無理やり笑っている。


 栞の言葉通りに従って、彼女の口元に耳を持っていけば、内緒話をするかのように、


「愛している」


 その言葉を囁いて、最後の最後まで笑顔を崩さないまま静かに永遠の眠りについた。とても綺麗な、栞らしい終わり方だと思った。


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