魔物と魔王と疑惑
「気づいてなかったのか? 今の鳥も、昨日の獣も魔物だ」
「……は? 何言ってるの? 魔物って、魔王と共に現れたっていう、あの魔物の話?」
ルーチェは俺の言葉に目を丸くし、次の瞬間にはバカバカしい、とばかりに顔をしかめた。
「魔王なんて、私がちっちゃい頃に、とっくに勇者に討伐されてるじゃない。もう、生き残った魔物だって、とっくに国や義勇軍たちがやっつけたはずでしょ? 『生き残りの魔物が……』とか、物語の定番だけど、あんなの、作り話じゃん」
ルーチェはまるで、伝説の大賢者メアリーンが住んでいた、霧に隠された王国を見つけた、とでも言われたような顔だ。
たしかに、魔王討伐から十年以上の時が経っている。
それは物語として語り継がれ、その恐ろしさが人々の心にささやかな不安として残っているにも関わらず、子供にとっては昔の、終わった話でしかないようだ。
あの恐ろしさ。
悲しみの声。
絶望感に覆われた町。
それらが全く無かったかのようなルーチェの顔に、胸が締めつけられるような想いがした。
「……そう、生き残りのはずがないんです」
俺が黙ったままだからか、アリシャがポツリと呟くように言う。
その憂いに満ちた表情にルーチェが息を呑んだ。
「あの頃、賢者の塔からもたくさんの探求者たちが大陸中に向かったんです。もう、魔王はいないし、これ以上、魔物が増えないなら、って。残っている魔物を、全力で叩き潰しました」
それは賢者の塔だけの話じゃない。義勇軍も国軍も、町の防衛と魔王軍との戦闘がなくなり、魔物などの残党狩りに全力を尽くしていた。
「勇者の魔王討伐。その知らせが来る前は、魔獣に襲われて死んじゃうなんて、よくあること。日常茶飯事だった。でも、それからすぐです。魔物を最近は見ない、ってみんなが言うようになって、いろんな国で、魔物は殲滅した、って宣言が出されたのは。本当に、あっという間で……。それまで、魔物に怯えていたのが馬鹿みたいだった」
アリシャと向き合っていたルーチェの瞳が揺れた。
俺もアリシャの声のゆらぎを感じ、隣の彼女の顔を窺う。
だが、彼女はうつむいて顔が見えない。
「……アリシャ?」
「……でも、昨日も今日も、倒したのは魔物なのは間違いないから。そうだとすれば、一回全滅したはずの魔物が、新たに現れたことになります」
戸惑うルーチェの声かけには応えず、顔を上げたアリシャは厳しい顔つきで続けた。
その顔に、先程の一瞬のゆらぎは勘違いだったのだろうか、と自信がなくなってくる。
「つまり、誰かが新たに魔物を作り出している、ってことです」
「誰かがって……。そんな、魔物を作るなんて、そんなのできるわけがない。それだったら、魔物の生き残りがいたって方が、まだ信じられるよ」
馬鹿なことを、とルーチェは笑うが、その表情は不安に引きつっている。彼女も、その可能性に気づいている。当たり前だ。先程から俺たちが言っているその単語を聞いているのだから。それでも、信じたくない、と否定せずにはいられないのだろう。
だが、考えられる可能性は一つだ、とアリシャはきっぱりと言い切った。
「――それは、魔王の再来です」
魔王。
それは十五年前、突如、現れた。
一つの町に、前触れもなく魔物が溢れ、町を占拠し、その存在を知らしめた。
その後、魔王と名乗る存在は宣戦布告をし、どんどん近隣を侵略していった。
魔物自体は、その以前からチラホラと目撃情報があったため、本当はそれ以前に魔王は存在していたのだろう。
魔物が現れると魔王が生まれるわけじゃないのは分かっている。
なぜなら、魔王が魔物を作り出すことは知られていたからだ。
では、なぜ、どのようにして、魔王が生まれたのか。
それは、未だに分かっておらず、各国の首脳陣は今も調査を続けており、一部の人間はまた、あの惨劇が起こるのではないか、と不安を抱えている。
魔王について、分かっていることはわずかだ。
魔物を作るということ。
人間が苦しむ姿に喜びを感じる、ということ。
そして、彼が闇の神を崇めていた、ということ。
それ以上のことを知っているものがいるとすれば、それは賢者の塔の者だ。
なぜなら、奴らが魔王を拘束し、処刑したのだから。
「そんな、それこそバカバカしいよ。魔王が生きていたとでも言うの?!」
ルーチェはありえない、と声を荒げる。
「それは、分かりません。新たに魔王が出現した、という可能性もありますから」
「新しい、魔王……?」
「魔王のことは、未だに分からないことの方が多いんです。賢者の塔でも、魔王の研究をしている方たちがいますが、何も掴めていないようですし……。魔王がなぜ、どうして現れたのか、誰も知らない。つまり、条件が整っていれば、再度現れる可能性はある、ということです」
「なに、それ……」
ルーチェは言葉をなくし、立ち尽くす。
そんな彼女に、追い打ちをかけるように、俺は口を開いた。
「最近のこの国の状況も、もしかしたら魔王のせいかもな」
ルーチェはハッとしたようにこちらに視線を向け、アリシャは首を傾げる。
「最近の状況……? ヒュドールで、何かあったんですか?」
「ああ。最近はよく、人が殺されているんだ」
アリシャは息を呑んだ。
「殺人が、頻繁に……? 連続殺人、ですか?」
彼女の表情は予想した恐怖ではなく、痛ましいものを見たかのような、悲しみと痛みに満ちたものに変わり、俺は目を瞬いた。
まるで、目の前に悲しむ遺族がいるのかと思うような表情に、俺は一瞬言葉を失う。
「……いや、殺人鬼が徘徊してる訳じゃない、たぶんな。事件のほとんどで犯人は捕まっているらしいから。犯人が分からないまま、という事件もあるが……どうかな」
「そう、ですか……」
「……ねぇ、どういうこと?」
アリシャは目を伏せ、考え込むが、ルーチェのきつい口調に顔を上げ、目を見開いた。
「殺人事件に、魔王がどう関わっているの?」
フードの下、覗く紫の瞳が憎悪に燃えている。
俺とアリシャは、彼女の予想外の反応に言葉を失った。
「魔王がいると、どうして殺人が起きるわけ? 吟遊詩人たちの話にも、そんな内容はなかったはずだ」
「……闇の神の崇拝者って分かるか?」
俺の質問にルーチェは顔をしかめた。




