魔物
「わぁ、キレイな色。あの実はなんですか?」
「ん? どれ?」
「あれです。えっと、あの川にせり出した枝に成っている、朱色と黄色のグラデーションがキレイな、丸い……」
アリシャが楽しそうに、ぱらつく雨に煙る景色の向こうを指差す。
「あぁ、カラカラの実だよ。美味しそうに見えるけど、食べられるようなところは全くない。ふると、中の種がカラカラ音を立てるから、カラカラの実」
「へぇ、そうなんですか。甘そうな果実に見えるのに……」
「あの木は水辺に育つんだけど、綺麗に色づいた頃、水の中に落ちて、種を遠くに運ぶんだ。水に浮きやすいように、中が空洞なんだと思う。あの実は色が綺麗だから、中の種を抜いた細工物なんかもある。……町についたら、探してみたら?」
「本当ですか? わぁ、楽しみです。ルーチェ、ありがとう」
「……ん」
アリシャの弾む声と、ルーチェの淡々とした声のやり取りが先程からずっと続いている。途切れることのない会話が憂鬱で、ため息が出た。
俺の家を出てからというもの、アリシャからの「あれは何?」「あの生き物は?」という、幼い子供のような質問攻撃が止まらない。
意外にもルーチェは忍耐強く、その返答をしながらヘルトの後をついてくる。
対応を任せられるのは助かるのだが、俺としては二人共黙っていて欲しい。黙るというのは、そんなに難しいのか?
――嫌がらせに、しばらく走って進んでやろうか……。
底意地が悪いというか、しょうもない思いつきに首をふる。
俺がうんざりしているのに対し、後ろをついてくるアリシャは動きやすいケープと笠に、ニコニコとご機嫌だ。
昨日の時点で、すでに雨に負けてヘタっていたアリシャのローブ。
一体、何日間、ヒュドールの雨に濡れていたのか知らないが、あの質の良いローブの有様は酷かった。
町へは一日あれば着く。それなら自分のローブでなんとかなる、とアリシャは俺のケープを借りるのを固辞していたが、俺とルーチェが却下したのだ。
正直、濡れ鼠で震える同行者とか、目障りだ。
だから、俺が数年前、この国に入る前に買ったローブを引っ張り出し、丈の長いそれを俺が来て、普段の採取用の軽装をアリシャに使わせた。さすがに靴の替えはなく、自前のロングブーツを履いているが、スライムでしっかりと乾かしてあるため、快適なようだ。
アリシャは俺から物を借りるのを遠慮していたものの、やはり、久しぶりの乾いた服は嬉しいのだろう。周囲を見て楽しむ余裕もあるようで、まばゆく、鬱陶しい笑顔が途切れることがない。
そんな彼女の相手をするルーチェが、無表情ながらもどこか顔つきが和らいで見えるのは意外だった。もっと、刺々しい性格かと思っていたのだが、違ったらしい。元々は面倒見がいい性格なのだろうか。傍から見ると、頼りない姉としっかり者の妹、といった様子だ。
もう、二人で町へ向かえば良かったのではないだろうか。
なんで俺が一緒にいるのか、疑問に思い始めた頃――。
「……来るぞ」
俺が上へ視線をやり、つぶやくように言うと、二人はきょとん、とした顔でこちらを向く。
「は? 何を――」
ルーチェが眉間にシワを寄せる。だが、隣のアリシャはすぐに気づいたのか、上空――木々の緑が覆うその上へと、鋭い視線を向けた。
「伏せてっ!」
ルーチェに覆いかぶさるようにして、アリシャが避ける。
一瞬の差で、鋭く、黒い影が現れ、木々の枝をへし折り、空気を引き裂いた。
――ギュアアアアアッ
獲物を逃したことに苛立ったのか、そいつは巨大な翼をバタバタとはためかせ、威嚇の声を上げた。
「魔物……」
呆然とつぶやいたアリシャの表情が、険しくなる。
「え? なに?」
ルーチェは困惑した表情で、大の大人の三倍はある鳥と、アリシャの顔を見比べている。
俺も、思わず顔をしかめた。
「くそっ。魔王か……」
――ヒュンッ
俺が吐き捨てるように言うと同時に、小さな短剣が巨鳥の片目を貫いた。
――ギュアアアアアッ
痛みと怒りに、のたうち回るように巨鳥が暴れ、嵐を思わせる強風が吹き荒れる。木々が揺れ、木の葉が舞い、落ちる水滴がバラバラと音をたてる。
俺は強風によろけて後ずさり、少女たちの笠とフードが飛んで、二人は地面にしがみつくようにして耐えている。
――どうすんだ、これ。
飛んでくる水滴が、肌を打つ。痛いぐらいのそれが煩わしい。暴れてうるさい、不愉快な巨鳥に目を眇め、原因の一旦であるアリシャをじろりと睨んだ。
アリシャは険しい顔で漆黒の巨鳥を睨みつけていたが、荷物を放り、槍だけを持って駆け出した――巨鳥とは反対方向に。
「え?」
ルーチェがぽかんとして、アリシャの背を見つめる。
「逃げた……?」
愕然としてつぶやく声が、強風の中、辛うじて聞き取れた。
巨鳥は今も暴れている。
ルーチェはハッとしたように、巨鳥を見ると、距離を取る。
「……とにかく、逃げなきゃ」
そうやって、数歩、退くと――。
――ギュアアアアアアアアアアッ
巨鳥が、空気を引き裂くような悲鳴をあげた。
――ギュアアアアアアアアアアッ
さらに、もう一度。
巨体が羽ばたこうとうごめくが、翼を動かす度に「グルルル……」と苦痛の声をあげ、動きを止める。
俺とルーチェが現状を把握できないまま、のたうち回る鳥を眺めていると、その黒い影の後ろから、ひょっこりと亜麻色の髪の少女が顔を出した。
いつの間に、と俺とルーチェはポカンと、アリシャを見つめた。
つい先程、俺たちの背後へ走り去った彼女が、なぜ、目の前にいるのか。
俺たちの視線を気にもとめず、彼女はひょいっ、と黒い巨鳥の上に飛び乗ると、槍を一ふりして背を切り開き、心臓めがけて深々と突き刺した。
昨日と同じように、漆黒の巨鳥は灰が舞うように消えていく。
最後に残った白い光が霧散するのも同様だ。
どう見ても、これは魔物だ。
俺は顔をしかめてその様子を見ていた。
二日続けて現れた、二体の魔物。
偶然なんて、ありえない。否、信じない。
これは、たまたま生き残っていた魔物なんかじゃない。
間違いなく、誰かが新しく魔物を作っている。
「……魔王」
「チッ、また魔王か」
苦々しい思いで俺が毒づくのと、アリシャがつぶやくのは同時だった。
思わずアリシャの顔を見れば、彼女にはめずらしく、眉間にシワがよっている。
難しい顔で考え込む彼女も、俺と同じように魔王の存在にまで思考を巡らせたようだ。どうやら、ただの脳天気な馬鹿じゃなかったらしい。
彼女の評価をやや上向き修正していると、苛立った声があがった。
「魔物とか、魔王とか、二人は何の話をしているの?」
最年少の少女の疑問の声に、俺達は顔を見合わせた。




