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旅の記録




「アリシャ」


 今度は少し大きな声で呼びかけたものの、しゃがみこんだアリシャの背中はピクリともしない。

 何をそんなに夢中になっているんだ、と好奇心を刺激された俺は歩み寄り、体を屈めて声をかけた。


「アリシャ、何をしてるんだ?」


 ガバっと、音がしそうな勢いで彼女が振り向いた。

 その目はまんまるで、じっと俺を見ている。


 ――驚きすぎじゃないか?


  少しいぶかしく思いつつも身体を起こし、石のように動かないアリシャにもう一度、尋ねてみる。


「で、こんなところで、何をしてるんだ?」


 彼女は何度か目を瞬くと、ずい、と小さな手帳を差し出した。

 見下ろすと、かまどの絵と、使い方などがメモされている。


「これ、旅の記録です。賢者の塔では、こういった記録を本にしたものがたくさん寄贈きぞうされているんですよ」

「へぇ……」

「旅の探求者は旅で経験したことなどをメモし、考察し、他人にも理解できる知識――つまり、本という形に残すんです。人によっては原本を弟子に託さず、塔に寄贈されることもあって。そちらはとても貴重なんですよ。ただ、自分用のメモとして書かれるので、判読しづらいのが難点なんですが、でも、本にされたものより書いた人を身近に感じて……」


 アリシャは弾んだ声で話し始めたが、途中でハッとしたように、口を閉じた。

「……私、そういった本を読むのが大好きで、自分も本を寄贈したいと思っているんです」


 長くなりそうな話に自分で気づき、言葉を飲み込んだようで、照れたように笑う。

 彼女はパラパラと手帳をめくると、他のページも見せてくる。そちらには石化ワニの絵もあった。ヒュドール・カティキアの風呂についてのメモ。スライムについて。めくってページを確認しては、見せてくる。


「これは私の日記もかねているので、さすがに原本の寄贈はしませんけど……。でも、あの塔の書物の中に自分の本も並べることができたら、素敵だな、って思うんです」


 俺は未来さきのことを考え、目を輝かす彼女の顔に不快感を感じ、顔をしかめた。だが、話すことに夢中な彼女は気づきもしない。


「あ、そうだっ! もしよろしければ、こちらのページに簡単な絵を描いていただけませんか?」


 彼女はそう言って、無邪気に手帳を差し出してくる。自分の大切なものを、今日はじめてあった人間に、警戒心もなく渡してくる。もし、俺がこのまま手帳を土の上に落とし、踏みつけたらどうするんだろうな?


 ――そうやって、彼女の脳天気な笑顔を歪めてやろう


 心の中で、悪魔がささやいた。


 ――きっと、胸がすっとするぜ?


「……あ、すみません。図々しいお願いをしてしまいましたね」

 無言でいる俺に彼女は冷静になったのか、手帳を引っ込めようとする。

 だが、彼女の手帳を受け取ろうと、俺は手を差し出した。

 彼女は無表情な俺の顔を見て躊躇ためらったが、おずおずと手帳を渡してきた。

 俺は手帳の真っ白なページを見つめる。

 そして――。


「ん」


 ――ペンをサラサラと動かし、簡単なラフ画を描いて返した。

 すると、不安そうだった彼女の顔が、ぱっと輝いた。


「わぁ、あり……がとうござい、ます……」


 純粋な喜びから、複雑そうな表情へと変わる彼女の顔を見て、満足感を得る。

 描いてやったのは、スライムを頭に乗せられ、慌てふためくアリシャだ。

 彼女はせっかく描いていただいたのだから、感謝しなければ、という気持ちと、不満からむくれたい気持ちとが戦っているようで、ひどく面白い顔をしている。


「旅のいい記念になっただろ?」


 俺が愉快に思ってニヤリと笑うと、彼女は目を瞬いた。

 ……なんだろう、久しぶりに笑ったから、顔がひきつっていたのだろうか。

 そう考えて、表情を消すと「あっ」と残念そうな顔をする。

 なんだかよく分からんが、彼女の前に立って顔を見られるのが妙に気になってきた。

 アリシャの性格からして、人の顔を見てわらうなんて、俺のような性格の悪いことをするとは思えないが、なんだか、居心地が悪い。


「……じゃぁ、俺は戻るから。おまえも程々にして戻れよ。心配性のルーチェがうるさくなったら、俺が寝られない」

 俺は彼女に背を向け、足早に階段へと向かうと、

「はいっ。ありがとうございますっ!」

と、背後から、アリシャの元気いっぱいな声が飛んできた。


 ――なんで、ここでお礼なんだよ。やっぱ、無理だな。あの手の人間は、大嫌いだ。


 俺は盛大に顔をしかめた。


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