トイレットペーパーを買い占めるのは悪いことかもしれん、だが仕方ないことなのだと老婆は言った
トイレの中、用を足した後にカラカラとトイレットペーパーを手に絡めとる。
これで最後のロールだった。休みの日や仕事帰りに買いに出かけてもどの店も売り切れていた。
とりあえずこれでしのがなければならない。これがなくなったら……どうなる……?
平日の朝。無理を言ってとらせてもらった有休を利用して買出しにでかけた。
まだ湿り気がのこる朝の空気の中、ドラッグストアに続く坂道を登っている。
緩くて長い坂を面倒に思いつつも、ようやく店の看板が見えた。
「は?」
目を疑った。
平日の朝、まだ開店したばっかりだというのに駐車場はほぼ満杯で、店の入口にはすでにずらりと列が並んでいた。
うわさに聞いたとおり、ティッシュやトイレットペーパーの品薄が続いているらしい。
仕方がなく最後尾に並び、前の人間の白髪交じりの後頭部をぼんやりと見つめる。
「今日もみんなきてるわね。もう一周ぐらいはできるかしら。もっとたくさんためないと不安よね」
エプロンをつけたおばあさんが楽しげに雑談をしている。その前の方ではおじいさんが、むっつりと黙り込んでポケットに手を突っ込んでいる。
列の先を見ると、同じような老人たちの姿が多かった。
おそらく目当ては一人一個限定のティッシュやトイレットペーパーだろう。
自分まで回ってくるだろうかと不安になりながら、前に進んでいく。
ストックしていたトイレットペーパーは尽きた。
ティッシュでふくか、代用のタオルでふくか、なくなったら途方にくれるだろう。
それともインド人のように手でふくか。はははっ、そんな勇気なんてあるわけないよ。
わからない、さっぱりわからない、どうしてここまで物がいきわたらなくなっているんだ。
建物の中に飲み込まれていく人々。
両手にぶらさげたティッシュの箱を車のトランクに無造作に詰め込んでいく。
そのまま帰るかとおもったら、また列の後ろに並び始めた。
ようやく、自分の番が来たと思ったが棚はすっかり空になっていた。
ため息をつきながら、せっかく来たのだから何か買っていこうとしたとき大声が聞こえた。
店員に詰め寄っているのは白髪混じりのおばあさんだった。
その声はいやでも耳に入ってきて、目当てのものが買えなかったことをまくしたたている。
「あたしに死ねと言うの!!」
申し訳ありませんとぺこぺこと頭をさげる店員。そのまわりには同じような人間が口々に不満をぶつけていた。
他の店員はレジ打ちで手が一杯で助けにも入れそうもなかった。
「あの、売り切れたんだから仕方ないですよ。私も買えなかったですけど、次を待てばいいじゃないですか」
「うるさい! 関係ないひとは黙ってて!」
割って入った邪魔者へと視線が一斉に向く。
騒ぎを聞いて遠巻きにこちらをみる他の客達。だが、ちらりと見るだけでそそくさと立ち去っていく。
結局手ぶらのまま家への道をとぼとぼと歩いている。
道の先で、最初に列に並んだときにみた老婆の姿があった。その枝の手には大量のトイレットペーパーが握られていて、無性に腹立たしくなった。
「あなた、ちょっと待ってください」
振り向いた老婆はいぶかしげな目をこちらに向ける。
「あなたもさっきの言い合いを聞いていたのでしょう。ひとつぐらい譲ってあげたらどうですか?」
「これがないと困るのよ。もしもなくなったらあなた責任とってくれるの? みんなやっていることなのよ。どうして私だけが責められるの。仕方がないじゃない!!」
つまらない話だった。さきほどまで感じていた憤りが収まると自身の現状を思い出した。
そうすると、別の勇気がわいた。それはトイレのことを考えては嘆いていたときに欠けていたもの。
「わかりました。あなたのいうことはもっともだ。仕方ないことですよね。……では、あなたから奪うのも仕方ないことですよね」
「な、なにを……!?」
「そうしなければ、こちらも困ったことになるのでね。私も仕方がなくやるのですよ」
こちらを怯えるように後ずさる老婆につかみかかる。
「よこせ!」
老婆を突き飛ばして、トイレットペーパーを奪い取ると一目散に逃げ出す。
しりもちをついた老婆は、呆然と道の先に目を向けている
近くにいた他の客は、自らが確保した商品を奪われないようにとしっかりと握りなおした。