同居人の耳かき
同居人に耳かきしてもらう話です。
めっちゃ甘やかされたい…っていう個人的な妄想からなんで、万人向けではないかもしれません…
私の同居人、あやめちゃんはいわゆるニューハーフである。
女の私よりもきれい好きで、いつも石鹸の良い香りがして、休日の昼下がりにはぶつくさいいながらも紅茶と手作りマフィンを二人分用意してくれる。
美容とメイクに金を惜しまず、肌はさらさら、化粧をすれば蝶と化す。
が、その逞しい上腕二頭筋はフェミニストの一面を擁し、灯油、米、サラダ油を軽々持ち運ぶ様子はそんじょそこらの男よりも男らしい。
「男らしく、女らしくなんてね、関係ないわよ。個性よ、個性」
彼女はつまらなさそうにそう言う。
だが、ベンチャー企業の副社長のバリキャリという肩書きをもつ彼女の境遇でさえ、彼女の持つマイノリティーに眉をしかめる輩を一掃する材料には足りないらしい。
今日はやたら疲れの張り付いた顔で帰ってきたと思ったら、ばったりとリビングの5人掛けソファに倒れこんだのだった。
「あー、つっかれたわぁ」
彼女がメイクも落とさずバッタリするときは、仕事で嫌な仕打ちを受けたときと相場が決まっている。
「くっそあの社長…得意先じゃなかったらツームストンパイルドライバー決めてやるとこだったわよ」
プロレス技である。
いったいその社長は何をやらかしたのか。きっとそれなりの制裁をいつか受けることになるかと想像し、心のなかで合掌した。
さて、物騒なをしかめっ面で呟くあやめちゃんはかなり男らしいお顔。
「柴田、こっちいらっしゃい」
そんな本人には絶対に言えないことを考えていたら、感づいたのか名前を呼ばれた。こういう時は大概サンドバックにされる。なにかと養ってもらっている身だ、大概のことは受け入れる覚悟でいる。
まぁ、だいたい新しいメイク術の実験台である。
「ストレスとメイクはその日のうちに落としましょ、ってね」
おとなしく近づいてきた私に機嫌をよくしたのか、彼女はいつもの怪しい笑みをたたえてソファーに深く座り直した。そして、自らの膝をぽんぽんと二回叩いた。
これは、乗れということか。なんとも大胆なお誘いである。
「違うわよ。柴田、耳掻きしてあげる。膝に頭をのせなさい」
耳掻き、そう反芻して、合点がいった私は、分かりやすく喜んだ顔をしていたようで、あやめちゃんは少し得意気に笑った。
「早く、気が変わらないうちにいらっしゃい」
なんとまぁ今日はラッキーな日である。あやめちゃんは耳掻きがうまい。掃除がうまいと言うより、気持ちのよさを探求するような、そんな耳掻きである。
私もたまに頼まれてあやめちゃんにやるが、すぐに彼女が痛がってやめてしまう。
コツがあるのだろう、あやめちゃんの耳掻きはまるで極細の指のように自由自在で、あたかも羽毛か触れてるかのごとく柔らかだ。そんなすごい耳掻きは、私からお願いすると絶対に断られるので、いつも棚ぼた的なスペシャルサプライズとして突然やってくる。
そういうのもあって、彼女のサンドバッグを慎んで受け入れている、というのもある。
いそいそとあやめちゃんの太ももに一言断って頭をのせる。
「よろしい、今日もやりがいのある耳をしてるわね。腕がなるわぁ」
あやめちゃんの暖かい指が耳たぶを捕らえ、そっと耳穴を広げるように引っ張られた。
前回の耳掻きからかなり日が空いてるから、相当汚れてることだろう。
私が勝手にやると彼女は嫌がるから、我慢してるんだ。きれいさっぱりしてもらおう。
あやめちゃんはじっ、と耳のなかを見つめているようだ。
カチッ、と言う音がして、耳の穴の中までなんだか暖かくなってきた。ペンライトで耳穴を照らしているのだ。
「あらー、随分溜めたわね。上出来だわ」
複雑、と言うと「誉めてるのよ」と返ってきた。あやめちゃんはどこから攻めていこうか、じっくり考えているようだ。
私も、汚れのこびりついた耳穴を想像する。かさかさでカチカチの耳垢が、耳穴に張り付いていまかいまかと耳掻きをまっている。そんな妄想をしながら、じっと待つ。
ややあって、そろっ、と匙が入ってきた。
カツ
匙の先が、固まりこびりついた耳垢に触れた。匙が触れた耳垢の面積分、極微細な圧力が加わる。
バリ、バリバリ
匙の先にほんの少しだけ圧力を加えたまま、耳の出口へ掻き出す動き。あやめちゃんには届いてない耳垢が動くこの音も、耳のなかでは騒音レベルで聞こえる。かさぶたのように固まった耳垢が、ゆっくりゆっくり剥がされていくこの感じに、ぶわわっ、と鳥肌がたった。
ずる、すすすす…
「はい、一個とれた」
固まりが一個取れて外に出てったようだ。あやめちゃんはティッシュに黄色い固まりを落として、匙の先を別のティッシュで拭いた。
それを見たとたん、今まで耳垢があった場所がキーン、と痒くなってきた。
あのいてもたってもいられない、耳のなかに指を突っ込んでも届かない、あの痒さである。
「あやめちゃん、今とったとこ、すごく痒い」
いてもたってもいられないので、すぐに申告した。
「あら、それは大変」
こういうときの、世話焼きモードになってる彼女はとても優しい。
あやめちゃんはすぐさま匙を持ちかえると、私の耳たぶを引っ張って、さっきまで耳垢のあった場所に狙いを定めてゆっくりと匙を差し込んだ。
コソっ
「ここ?」
もうちょっと上
「こっち?」
もうちょっと奥
「ここね?」
そこだ!あやめちゃんは見つけたポイントから極僅かなちから加減で、撫でるように小刻みに匙を動かした。
ゾクゾクする感覚に全身の毛が逆立つ。
今か今かと息を詰めて掻かれるのを待っていた耳の壁は、すぐさまその刺激を頭のてっぺんから爪先まで伝達した。
へろへろと力が抜け、至福の耳掻きを享受するばかりの様子の私に、あやめちゃんは空気に溶けるほどの小ささでクスリと笑う。
「気持ちいいですー、って顔してるわ」
ええ、そりゃもう。
痒いところに手が届くとは、まさにこの事を言うのだろう。
あやめちゃんは掻いていた匙をすー、と抜いて、粉っぽくなった先っぽを拭うとまたペンライトで耳の中を照らし出した。
ライトの熱に、先ほどまで掻いてもらってたところがムズムズする気がする。不快ではない、触れられていた余韻のようなジンとした痺れだ。
あやめちゃんはまた耳垢に狙いを定めると、そろーりと匙をさっきとは反対の壁にあてがった。
カリッ
硬い耳垢の感触と、その分だけの圧力に期待が膨らむ。バキバキと乾いた木が割れるような音がして、塊が崩されていくのが分かる。
スルッ、スルルルル
硬く質量のある欠片が、耳の壁を滑っていって、耳の縁で止まった。あやめちゃんはそれをピンセットでちょん、と取って、私の目の前のティッシュの真ん中にお行儀よく落とした。
私がそれをじっ、と見ていると、あやめちゃんは私のこめかみの生え際辺りからスルリと髪をすいて、あやすように頭を一回だけ撫でた。
「じっとしててお利口さんだわ。柴田、そのままでいるのよ」
言うや、あやめちゃんはまた匙の耳かきに持ち変えて、そろりと耳に差し込んだ。さっきよりも奥のほうに匙が進んでいるようだ。
「ちょっと奥にね、大きいのがいるのよ。動かないでちょうだいね」
匙が道の狭い、耳の内側のでっぱりの裏側まで入っていくのが分かる。匙が産毛の表面を押し通るように撫でて、思わずぶるっ、と肩が震えた。
あやめちゃんが息を殺しながら、私の耳のごく近くにあのきれいなお顔を寄せている気配がする。
「あとちょっとだから我慢してね」
控えめにガサガサッ、と音がして、コロコロとしたものが皮膚の上を滑る感触。と同時に、みみの奥の腫れが一気に引いたような、不思議な爽快感が駆け抜けた。
「はい、取れたわよ」
ころん、とティッシュの上に落とされたのはオレンジがかった楕円形の耳垢で、もち米くらいのかなりの大きさだった。そりゃスッキリするわけだ。
「お疲れさま、最後に綿棒で仕上げるわね」
あやめちゃんに肩をぽんぽん、と撫でられて、ふにゃっと力が抜けた。少しも動かないように、いつの間にかかなり力んでいたようだ。
オイルを染ました綿棒で耳を拭われるように撫でられるたび、我が身ながらだらしなく弛緩していくのをとめられない。
「あら、柴田、猫ちゃんみたいね」
ふにゃふにゃになったら、眠気も一気にやってきた。
「あらやだ、反対もやるんだから、頑張りなさい」
うとうとと緩慢に動いていたら、ほぼあやめちゃんの逞しい腕に抱えられて、右と左を入れ替えられた。
ああもう、眠たい。ほっといてほしい。
「もう、今日だけよ…」
あやめちゃんの声がだんだん遠くなって、私は夢見心地のまま本当に夢の中に旅立った。
はっ、と目を覚ませば、逞しい太ももの上でよだれを垂らして寝こけていた。
肩にはいつの間にか毛布がかけてあり、ちょっと首は痛いが快適な目覚めだ。
ふと上を見上げれば、うつ向いてうたた寝しているあやめちゃんの姿があった。
膝を私に貸したまま寝てしまったようで、痺れてないか心配になる。
膝からそっと降りたって、ソファーをリクライニングに倒し、あやめちゃんを寝かせると、うっすら瞼を上げたあやめちゃんと目が合った。
「足、痺れてない?」
「…あなたくらい、全然平気よ」
私がメイク落としシートを取り出すと、あやめちゃんは察しよく目を閉じた。
「あとは任せるわ」
了解、ボス。
次こそは私がこの優しい同居人に、上手に耳かきをしてやろう。そう告げたら、彼女はどんな顔をするだろうか。
嫌がるかな?まずはやり方を教えてもらってからにしよう。
うん、そうしよう。
にやつく私の提案に、驚いた彼女の顔が見れるまで、もうあと少し。
了