中
次の日、ヨルクは灰色のコートを着て来た。
「あれ?これ...」
''森''の根元には、すっかり茶色くなってしまった、白のトートバックが置かれている。
『たまたまな。わたしの仲間が落ちてるのを見つけて拾ってきた。』
ヨルクの見えないところで、''森''の頭に桃色の小さなツボミが生えてくる。
森の仲間たちに懸命に頼み込んだことは内緒だ。
「ありがとう!本当に優しいね 。」
ぞわわわ。
もう少しで花が咲くところだった。
『それは...仕事道具か?』
ヨルクは嬉しそうに''森''を見あげた。
「そうだよ。見るかい?」
''森''はYesの意味で腕を揺らした。
昨日見つけて、抜けがけで見てやろうとしたが、やっぱりヨルクと一緒に見たかったのだ。
「これは昔、旅行で南の島に行った時の絵だよ。」
水が滲んだような、優しい色使いで、様々な緑が描かれている。
ヨルクの顔よりも大きい葉っぱを持った木。燃えるような赤い実をつけた木。雪のように白い幹をした木。
どれも''森''が見たことのないものざった。
「どうかな...気に入ってくれた?」
''森''は、次々にめくられるスケッチブックに描かれた絵に釘付けになった。自分の知らない世界。なんて楽しいんだろう。
「あ!''森''さんに花が咲いてる!気づかなかったー...。」
しまった。咲いてしまった。
『こっこれはあのっ...あの...昨日から咲いてた、ぞ...。』
「とっても綺麗だね。描いていいかな?...あれ?!また増えた?!」
『あっこっれは...その...!』
ヨルクは小さな子供のような顔で、夢中になって筆を走らせた。
『...出来上がったら見せてくれ。』
「今日中には難しいかもしれないけど、完成したらまた持ってくるよ。」
また会える。花がまた咲いた。
その次の日、ヨルクは不思議な模様をした種をくれた。日当たりの良い所に植えたら、太陽のような花が咲くらしい。''森''は、それを森の特等席に植えてやった。
その次の日、ヨルクは''森''の剪定をしてくれた。''森''はヨルクにその枝をプレゼントした。ヨルクはまたとろけるような笑顔を見せてくれた。
その次の日、ヨルクは旅行先で集めた押し花のノートを見せてくれた。ぺったんこになってもなお輝きを失わない色とりどりの花は、少し可笑しかったし、不思議だった。
その次の日、ヨルクは街でヒトが歌っている歌を教えてくれた。ヨルクの優しい声に、森の動物たちはうっとり聴き入った。
ヨルクはそれから毎日来てくれた。
でも、仕事が忙しくなったのだろうか、それは2日に1回、3日に1回、そして1週間に1回となっていった。
「チチチ、森さん、ざわざわいってぼくら夜も眠れない。」
小鳥が''森''の腕に止まって少し怒ったようにぼやいた。
『!』
''森''の頭についたツボミがぽんと弾けて、桃色の花びらが顔をだした。
『ご...ごめん...。』
「ヨル」
3つほど加えて花が開いた。
『違う!ヨルクは関係ない!』
「チチチ、誰もヨルクなんて言っててないもんね。チチチ。」
小鳥が嬉しそうにぴょんぴょん跳ねた。
「チチチ、ヨルク、ヨルク。」
『違うもん!!違う違う!』
身を捩る''森''。今度は濃い桃色の花が立て続けに咲いた。
「ヨルク、あたちたちにお花くれた。優しい。」
茶色い毛並みのウサギが、足元に寄ってきた。
「おいら達を絵のモデルにしてくれたんだぜ。あいつ、良い奴!」
キノコがカサを揺らした。
『うん...優しくて、良い奴。』
「チチチ、でもヨルク、あれから来ないね。」
心なしか''森''の花の元気がなくなる。
ヨルクからもらったらじおは、喋っている時よりもザザーっと鳴いている時間の方が長くなっていった。最近では、喋ったと思っても「さ」と「し」と「す」と「せ」と「そ」しか聞こえない。
『なあ、らじお?』
「...す.........せ.......さ....」
『お前はヨルクとどこで出会ったんだ?』
ザー、ザザー。
『秘密か。恥ずかしがり屋め。』
「チチチ、''森''さんもらじおのこと言えないぜ。」
『うっうるさいよ。』
空からの日差しは、日に日に強くなっていった。木々の緑は一層濃く、動物達は一層賑やかになっていく。
ヨルクのくれた種からは、黄緑色の芽が出てきた。でも、当のヨルクは来てくれない。
「チチチ!森さん、誰か来る!」
『え!』
''森''は小鳥の飛んでいく方を見た。
2人いる。1人は、忍び足のように静かに歩いてくる。ヨルクだ。
もう1人は、地面の落ち葉を乱暴に蹴散らすように歩いてくる。花がもう幾つも踏まれた。
「チチチ、あいつ誰だ?」
「''森''さーん、久しぶり。ごめんね遅くなって...。」
ヨルクは眉を八の字にして''森''を見上げた。
「なんだヨルク、ただの木じゃないか。なんでそんなもんに話しかけてるんだ?」
ヨルクじゃない方のヒトは、小太りのちょび髭だ。ヨルクと同じ赤毛だが、なんだか意地悪そうな顔をしている。
「まあこの森の中では1番の大木だが...それにしても''森''って安直すぎやしないか?っというかおい、''森''ってあの''森''か?!」
ちょび髭は、''森''の枝を乱暴に折った。
『いだぁ?!』
「やめてよ兄さん!痛がってるよ!」
ヨルクはちょび髭の腕を掴んだ。
「チチチ、兄さん?」
小鳥は''森''の上の方の腕にとまった。
「紹介するね、僕の兄のギーナ。」
『...』
「おっ、ウサギもいるじゃねえか!肉にすっか?」
ギーナは寄ってきたウサギの耳をむんずと掴み、顔の前に持ち上げた。
「兄さん!駄目だって!離してやって!」
「へへへ、おいあれはなんだ?」
ギーナはウサギを落とした。
「兄さんってば!...あれは薬草の一種だね。かなり貴重で、薬屋にも滅多に並んでない。」
「へぇ...。」
ギーナはおもむろに薬草を引きちぎった。
「薬屋に売ってやろう。」
ポケットに押し込まれた薬草は、茎が折れた。
ヨルクは真剣な表情になり、ギーナの袖口を引いた。
「兄さん、植物は」
「商売の道具じゃない、だろ。分かってるよヨルク。でもお前がまともな仕事にもつかずに毎日3食食えてるのは誰のお陰だ?俺が汗水垂らして働いてるからだろ。」
ちょび髭を手で撫でながらヨルクを見下ろす。黄ばんだ前歯が黒い唇の隙間から覗いた。
「...自分はデスクでふんぞり返ってるだけのくせに...。」
ヨルクは小声でぼやいた。
「何か言ったか?」
「いや何も。」
ギーナは、それから暇に任せて食べもしないキノコのカサをむしり、いたずらに大声を出して動物を驚かせた。
「ふん、つまらん。森なんて何が楽しいんだ。」
「植物を見れる。不思議だと思わない?指先に乗るくらい小さな種が、土と水と太陽だけでこんなにも大きくなるんだよ。これこそ生命の神秘の」
「あぁあぁわかった分かった。そんなだからお前は街で変人扱いされるのさ。」
ギーナは切り株にどっかと腰掛けた。
「まあ納得だね。こんな腐った葉っぱの匂いがムンムンする所で一日中過ごす奴の気が知れないな。弟が虫ケラと四足歩行の下等動物共と同レベルに成り下がってる兄の気持ちも考えて欲しいなまったく。」
『そんな言い方!』
「そんな言い方ないだろ!」
ヨルクが勢いよく立ち上がり、落ち葉が舞った。
「僕のことをどう言おうがかまわないよ。でも森の動物達をそんな風に...づ動物だって植物だって皆等しく生き物だ!兄さんが貶していい奴らじゃない!!」
''森''は、ヨルクがこんなにも顔を真っ赤にして大声を出すのを初めて見た。びっくりしたけれど、それ以上に嬉しかった。もう何百年も、こんなふうに言ってくれる人はいなかったから。
ギーナは面食らった顔をして、眉をひそめた。
「...ごめん、兄さん。」
ヨルクは足の力が抜けたように座りこむ。地面に顔を向けて、兄の方は見ずに独り言のように呟いた。
「...帰ってくれ。」
ギーナはぶつくさ言いながら街の方へ歩いていった。途中で森の木の根っこに躓かせてやった。ささやかなお返しだ。