悩み深き朝
翌朝、9時より少し前。
ライラはユリウスの執務室の重厚な扉の前で深呼吸していた。
どんな顔をして彼の前に出ていけばいいか、まとまらないままここまで来てしまったのだ。
もちろん、気分は朝起きた瞬間から最悪だ。
できることなら今日は休んでしまいたい気持ちで一杯だったが、ライラのなけなしの矜持がそれを押し留めた。
気にしてない風を装って笑顔で挨拶?
何事もなかったかのように真面目な顔で早速今日のスケジュール申し送り?
挨拶もそこそこに、心を入れ替えて頑張るとしおらしく決意表明?
(何だか全部自分じゃない気がする。私、毎日どうしてたんだっけ?)
結局答えが出ないまま、ぐるぐると思考の堂々巡りを繰り返し、9時を告げる時計台の鐘の音が聞こえてきた。時間切れだ。
(ええい、ままよっ!)
勢いでドアを大きく開けたライラは(ノックを忘れたことに彼女は気付いていない)、室内にユリウスの姿が見えないことにすぐ気が付いた。
「あれ?」
「おはようライラ。団長ならいないよ。緊急事態発生で騎士団の緊急会議。」
大きな執務机の手前にある応接スペースで、眼鏡をかけた黒髪の男が書類に目を通しながらそう言った。
「ノーラン様。おはようございます。あの、緊急事態ですか・・?」
相変わらずこちらに目もくれずに頷く。
ノーランは王宮騎士団の中でも所謂事務方にあたる、戦略部隊の所属だ。
役職こそないものの、非常に頭のキレると噂される男で、まだ若いが時期部隊長の有力候補ともっぱらの評判だ。ヒラの団員が団長の執務室への入室を許されているのだから、実際そうなのであろう。
眼鏡の奥の切れの長い瞳には、野望めいたものは少しも感じないのだが。
「昨夜王宮に忍び込もうとした賊がいてね。酔っ払って悪ふざけしただけと思うんだけどさ。最近隣のカストラ王国の動きも不穏だし、念には念を入れて厳重に取り調べしてるんだ。団長も責任者として立ち会いして、そのあと僕は警備体制の不備についてコッテリ絞られる予定ってわけ」
何の感情も入れずに他人事のようにさらっと話すノーランに、ついクスっと笑みが漏れる。
「いくらノーラン様でも、こってり絞られるとしたらそれは部隊長様のお仕事ではないですか?」
「うちの部隊長は、良くも悪くも権限移譲型だからさぁ・・。てなわけで、しばらく団長は戻ってこないよ。ライラが来たら一旦自分のデスクで待機していいって言付かってる。」
「そう・・なのですね。分かりました。ありがとうございます。」
ライラはホッと息を吐いた。とりあえず、この場は切り抜けられそうだ。
「何かあったの?何かホッとしたって感じだけど。」
安心感に浸る余韻もなく、容赦なくノーランの突っ込みが入る。
ライラはぎくりとしたが、努めて平静な表情を装った。
「いえ?別にそんな・・。今日ユリウス閣下は大変お忙しい日だったので、私も少し準備の時間が取れるなぁと思ってはいましたが・・。」
これまでこちらを振り向くことすらしなかったノーランが、急に目線を合わせてきた。
今度こそ本当に目が泳いでしまいそうだ。
「ふーん・・。」
ノーランの目は何か言いたそうに訴えかけてくる。
何を言うつもりなのかは分からないが、ライラにとっては居心地の悪いもののような気がしたので、早々に退散することにした。
「それではノーラン様。私も一度部署に戻って雑務を済ませてまいります。失礼致します。」
宮内府の執務スペースに戻り、とりあえず手近な事務仕事を一心不乱で片づける。
特段急ぎだったわけではないが、とにかく何も考えず手を動かしたかった。
本当は突如訪れたこのフリータイムで対ユリウス会話シミュレーションをするつもりだったが、ノーランからも面倒なことを言われそうになり、考えるのが嫌になってしまった。
もう、その瞬間になった時の自分の直感に任せることにした。
人間、あれこれ深く悩みすぎると、ある瞬間から吹っ切れてしまうものだ。
「・・・ライラ。 ライラ。」
「んっ!?」
団長の交際費申請書の作成に没頭していたところ、突如頭上から自分を呼ぶ声に気付く。
「ふぇっ!?ユリウス閣下!?」
ちょうど、「ちくしょう、閣下いい店行ってるな・・」等と思っているところに話しかけられたものだから、つい声が上擦ってしまった。
そんな不埒な考えを知ってか知らずか、ユリウスは涼し気な顔でライラを見下ろしていた。
私とは対照的に、ユリウスはいつもと変わらず美しくクールだ。
「この書類を第二師団のフィン師団長に届けてくれないか?彼がいなければ第二師団の騎士に託してもいい。私はこれから王に会ってくる。」
珍しく面倒くさそうな顔をして嘆息した。
そんなユリウスを見て、ライラは書類を受け取り、思わず答えた。
「あ・・昨夜の件ですか?あの・・そんな事件が起こっていたなんて知らずに申し訳ありません・・。
ほかに何かすべきことがあれば何でも言ってください。」
ユリウスはフッと柔らかい笑みを浮かべてライラの頭をくしゃっと撫でた。
「あぁ、頼み事ができればまた声をかける。とりあえずはその書類を届けてくれればいいよ。」
よほど忙しいのか、そう言うとユリウスはすぐに立ち去った。
あんなに思い悩んだのに、気まずいどころか、初めて頭を撫でられてしまった。
予想だにしなかった展開に、ライラはしばらくその場で立ちすくんでしまった。




